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何だろう年末年始の世間並 [日常日記]

12月に体調を崩して入院となってしまい、いわゆる年末年始に出遅れてしまった。年賀状なども年が明けてから書く始末だ。ちょっと世間からはずれているようだ。これまで特にお正月の過ごし方を意識しなかったが、前から自己流だったかとも思う。それで今年は世間並をやって見ようと言う気になった。

世間並みの年末は「紅白歌合戦」らしい。実は我が家には、僕が子供の時を含めて、ずっと昔からテレビと言うものがなく、これまで見たことがないのだ。今年初めて「紅白歌合戦」なるものを見た。「日本電子台」というサイトがあって、これでテレビがなくともNHKが見える。

まあ、歌手が出てきてかわるがわる歌うという番組だ。なぜか、歌い手のバックに大勢の人が並んでいる。邪魔なだけだと思うが、これが紅白の特徴らしい。聞いたことがない若い歌手の歌が披露されたが、正直言って感心しなかった。年寄りだから新しいものを嫌うのだと言われそうだが、そうではないと思う。

メロディーが希薄でリズムも同じようなものばかりで新鮮味を感じない。女の子ならともかく、若い男が何人もきらびやかな服装で踊るのは見ている方が気恥ずかしい。歌詞がなんとも軽薄で付き合いきれない。さらに良くないのは歌詞の間に変な英語が混ざっていることだ。もう少しまともな英語にできないものだろうか。

色んな年齢層を対象にした番組だから、もちろん演歌もある。これはさすがにプロと言える節回しを聞かすのだが、この手の歌は昔から苦手だ。どの演歌歌手も40年前の古い歌を歌うのが不思議だ。とっくに飽きられていると思うのだが、今年もまた同じ歌が繰り返されることが安心感につながっているのかも知れない。結果的に、やはり年末は紅白だと言う文化には馴染み切れないことがわかった。

お正月で一番一般的なのは「お雑煮」と「おせち」だが、これは例年やっているから、世間並みに抵抗はない。圧迫骨折以来、長く立つのがつらくなっている連れ合いに「おせち」はなかなかの負担だと思ったのだが、今年も、休み休みしながら、全品目手作りでやり遂げてしまった。女の意地みたいなものを感じる。お雑煮は京町屋風の白味噌仕立て、必ず祝箸を使うし、塗りの「お重」を用いる。この点では我が家は世間並以上に伝統的かもしれない。

子どもの頃は、「凧揚げ」、「コマ回し」、「すごろく」、「かるた」が定番の遊びだったが、どうも最近は正月の遊びといったものがないらしい。路地で羽根つきと言うのもよくあったが、最近は見ない。羽根を落としたら顔に墨を付けるといった事もついぞ聞かない。我が家では2日に書初めをするが、これも一般的ではないらしい。鏡餅を飾ることがなくなったから「鏡開き」はないだろう。「七草粥」はやるのだろうか。小正月に「ぜんざい」を食べるというのはどうだろう。

正月の終わりは「どんど焼き」で、「お飾り」や「門松」などを持ち寄り、焚火で燃やす。これも全く見られなくなった。そもそも「お飾り」や「門松」がないのだから燃やしようがない。こういった正月飾りを省略するのが世間並なのだ。一方でクリスチャンでもないのにクリスマスツリーを飾る家が増えていると言うのだから不思議だ。

世間並みの年始でポピュラーなのはどうも初詣らしい。これもやったことがないのだが、混雑の中出かけるのは、病み上がりの体には無理そうだから、やめておくことにした。そもそも神社に詣でるにはある程度の宗教心が無ければならない。信じてもいないのに柏手を打って拝むなどと言う演技をするには勇気がいる。

大勢の人が神社に詰めかける。ネットでブログなどを見ると、初詣に行ったと言う記事が多いのに驚く。お金を出して御祈祷をしてもらう人まで結構いる。行列が出来て順番待ちで並ばねばならない。門松やお飾りの方が安上がりなのに省略することとのアンバランスがどうも理解しがたい。

うーん。一体何が世間並なのかわからなくなって来てしまった。
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大晦日、この一年を振り返る [日常日記]

無事に退院して、自宅で新年を迎えられることになった。なにもかも一段落したので今年一年を振り返って見ようと思う。2017年は「守勢」の年だった。緑内障手術からの帰還で始まり、次いで突発性難聴、配偶者の圧迫骨折と病院通いの毎日が続いた。多発性骨髄腫治療が始まった連れ合いは、副作用で身動きならない事態になってしまった。秋になってやっと治療の進展が見られ、副作用も治まった。ところが今度は僕の息切れが酷くなった。年末に入院してやっと晦日に自宅に帰れた。

この一年は病気との付き合いで終始してしまったと言える。旅行とかのアクティビティーはほとんどなかった。もともとこのブログは、病気を抱えながらもアクティブに動き回り、あちこち出かける元気な姿を自慢しようとして書きだしたもので、旅行記がその中心だった。その意味では今年は不作だ。気が付いたのは僕が全く国外に出なかったのは30年ぶりだということだ。仕事や遊びで、毎年必ず国外に出ていたことになる。

しかし、ポジティブなものが何もなかったかというと、そうではない。まず第一に僕にも家事が出来るという自信が付いたことだ。全く何もしたことがなく、「口を開けて待っているだけ」などと言われていたが、土鍋でご飯を炊くエキスパートになったくらいだ。本業の仕事では、2本の論文に共著者として参画した程度だが、この歳で何らかの足跡を残せただけでも良しとすべきだろう。学びとしてはプログラミングの腕が多少上がった。ベクトル・複素数クラスが自由に使えるようになったし、APIの理解も深まった。だからと言って何に使うというあてもないのだが、上達は嬉しい。趣味の歴史研究は5本くらいの評論を書いて、独自の古代史観を形成する見込みが付いた。

よく思い返せば旅行も、全くなかったわけではない。通院の合間を縫って、一泊の小旅行を3回やっている。旅行とは言えないが、孫たちの運動会や行事、講演を頼まれての大阪・東京への日帰り、姪の結婚式で神戸など、「お出かけ」は結構あった。一日3000歩歩くという課題も、年末に息切れするまではこなすことが出来た。

さて来るべき2018年。やはり元気に過ごせることが一番の目標だ。なんとか一日3000歩を年間通しで貫徹したい。連れ合いの自己幹細胞移植を成功させて二人でサンフランシスコの孫に会いに行きたい。すこし膨らませて、今度はバンクーバーまで西海岸を鉄道で行って、バンクーバーから横浜まで船に乗ることを企んでいる。鉄道に酸素濃縮器用の電源があることがわかったからだ。歴史研究はこれまでのものをまとめて体系的なものにしていきたい。

例年僕は年賀状に「謹賀新年、XXX年が良い年でありますように!」と書いて来た。今年も書こう。自分にも、そして皆さんにも、2018年が良い年でありますように!!!



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三日目でこの病院にも少し慣れ [療養]

とにかく息切れが強く駐車場から歩けず車椅子での受診になった。SpO2は80を切るし脈拍は120。即入院と言うことになり、その場で利尿剤とステロイドの点滴が始まった。病室に連れていかれベッドに寝てしばらくするともう落ち着いて来た。間質性肺炎そのものの悪化ではなく、胸水が溜まったためだとわかって気が楽になった。

今回の不調でNPPV(人工呼吸器)の効用に気が付いた。間質性肺炎で使っている人はあまりいないが、僕は睡眠時無呼吸症候群があるからこれを使っている。実際はBiPAPと言われる簡易型のもので正式のNPPVではない。マスクをして、同調器のように呼吸を検出して空気を押し込む。

肺が悪化してくるといくら酸素を増やしても苦しい。とりわけ苦しいのは労作時だ。運動すると酸素の必要量が増えるのだから仕方がない。安静にするしかないのだが、安静にしているつもりでも実は呼吸運動そのものが大きな労作なのだ。NPPVを使うと呼吸運動が外部から助けられて必要酸素量が減る。BiPAPは少し圧力を変えるだけだがそれでも効果がある。

実際、夜間BiPAPを使った時には明らかなSpO2と脈拍の改善があった。87が90になる程度だがこの違いは大きい。導尿チューブのおかげでトイレに起きる必要もなくぐっすり寝て、翌日のSpO2は92、3日目には96。ここまで来るともう苦しさはない。あちこちむくんでいたのがすっかり取れて、手などは皺だらけでまるで爺さんの手だ。あっ、そうか僕は爺さんなのだった。年を取るのは初めてだからなかなか意識が追い付かない。

今まで、国立大学病院と民間老人病院には入院したが、半公共病院は初めてだ。設備的には多少古くてトイレが遠い。酸素と点滴があって車椅子なのだが利尿剤を点滴して頻尿になる。さらに前立腺肥大を抱えているからということで、導尿チューブを付けられた。トイレの度に看護師さんのお世話にならなければならないのでは仕方がない。3重縛りであるが、結果的にはこれで楽になった。

この病院の最大の不満は食事だ。僕は病院食に満足する方なのだが、ここのは不味い。暖かい食事の提供を研究している大学病院や独自の無農薬野菜を使う老人病院はまだましだった。薄味だからこそ味付けに工夫がいるのだがその観念がなさそうだ。インターネットなどの設備は勿論ない。幸いに4階の窓際だからWiFiがつながる。外来で「圏外」が出た時にはどうしようかと思った。

いいところは、看護が手厚いことだ。老人病院と違って明らかに看護師の配置が多い。若くてきれいなお姉さんで、大学病院よりもフレンドリーな対応をしてくれる。トイレに連れていってもらったのに出なかったということもあるがにこやかなものだ。「着替えを手伝いましょう」「お茶入れましょう」「爪を切ってあげましょう」「シャンプーしましょうか」ベッドに寝たままで髪を洗ってもらった。

どんな高級ホテルに泊まってもこれほどのサービスはない。それでいて入院費はどのホテルよりも安いのだからすごい。「日本一周入院の旅」なんてのをつい考えたくなってしまう。もちろんこれは保険の負担があるからだが、看護師さんたちの献身的な職業意識に支えられているところが大きい。この人たちはもっと良い処遇にすべきだ。人類が進歩して医療が進めば病人が長生きできる。それだけ医療費がかさむことは当然なのだ。

何の役にも立たない軍事費に何千億円も使っている場合ではない、政治の役割は外交を駆使して、いかに防衛費を減らして医療費に振り向けるかを考えることのはずだ。「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進につとめなければならない」と憲法25条に規定されており。医療費の削減は明らかな憲法違反だ。

「先生、年末年始は不在なんでしょう」と無理強いしたところはあるが、なんとか年内に退院できそうだ。ただCTで見る限り胸水は「少し減った」程度だ。胸水の影響はある程度溜まったところで急激に現れる。この「少し減った」が大違いなのだから「少し増える」に用心しなければならない。

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年の暮れ酸素足りずに入院に [療養]

酸素さえ吸っておればSpO2 >97を保てる状態がずっと何年も続いていた。しかし、しばらく前から労作時の息切れを強く感じるようになって来た。少し歩くと息切れがする。それでも12月の定期健診でも数値はあまり変わらず、念のため月末にCTをやってもらう事にはした。

ところが12月中頃からSpO2が下がり始めた。酸素量を3Lに増やしたのだが90ギリギリ、少し動くとたちまち70台に下がる。その内安静時も80台になった。4Lに増やしてみてもあまり変わらない。これはヤバイ。間質性肺炎で酸素量が急激に増えるのは致命的な危険信号だ。酸素量が増えだして半年で亡くなった友人がいる。

クリスマスイブには孫たちが来てくれてパーティーをした。二人とも絶好調で、一年生下の子は「2学期とくに頑張った子がいます」として校長先生に「赤いハンコを2つも押してある」表彰状をもらった。作文コンクールのことだ。上の子に至っては「今まで教えて来た中でも数少ない優秀な生徒です」などと通知表に担任のべた褒めの言葉が付いていた。塾で受験勉強をしたわけでもないのだが、希望する私立中学に推薦で入れてもらえることになった。

通知表を自慢し、エレクトーンを演奏しくれてくれたり、歌を歌っての楽しいパーティーであったのだが、こちらはそれどころではない。脈拍は常に100を超えている。起き上がって息切れ、着替えて息切れ、心臓がパクパクと苦しい。CTが予定されているクリスマスまで何とか持ちこたえて車を運転して病院に着いた。多分肺の中は真っ白けで、KL-6も跳ね上がっているに違いない。間質性肺炎は10年になる。いよいよ僕も覚悟を決める時期になったのか。

ところが血液検査の結果は「大きな変化はない」。えっ。KL-6も500。ただCRPは9.5もあって高い。CT画像を見ると確かに今までより白い部分が増えているが真っ白というほどでもない。10年前の急性増悪の時は真っ白だった。わかったことは、胸水がかなり溜まっていると言うことだ。胸水はある程度増えると急に呼吸に影響するようになる。そういえば大分前から足などのむくみがひどかった。少しづつ増えて行った胸水が臨界点に達したのだろう。

急遽入院して胸水を抜くことになった。点滴が始まり、数時間後にはもう随分と呼吸が楽になった。またしても僕の「不幸中の幸い」だったような気がする。老々介護のつらいところで、1月には連れ合いの大学病院への入院が予定されている。僕の入院が長引くと困ったことになる。なんとか年内に退院したいものだ。
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「立ち上がり」「階段上り」を工夫する [療養]

連れ合いの多発性骨髄腫治療は薬をカイプロリスに替えてからかなり順調になった。副作用がないわけではなく、水木に点滴をして土日あたりはかなり倦怠感がある。それでもベルケイド+レブラミド当時に比べれば楽なもので、3週間に一度の休みがあるから、この間に体調を取り戻すことも出来る。4クールやって、IgGは正常値まで下がったし、βマイクログロブリンもギリギリ正常値だ。フリーライトチェーンがまだかなり悪くκ/λ=4.6なので投与を5クールに延長することになった。最初が3800といったとんでもなく高い値だったので、これでも幹細胞移植は出来る値だ。一月に入院して幹細胞移植をやる予定になった。

問題はむしろ僕の間質性肺炎の方で、最近とみに息切れが増えてきた。酸素量は3L/minに増やしたが、少し動くとSPO2が下がってしまう。ステロイドによる筋力の衰えが顕著で、歩行にも困難が伴うようになってきた。いろいろと工夫しなければならない。

椅子から立ち上がると言うのも楽ではない。立ち上がることの本質は,、お尻から踵への体重の移動だ。普通の人は、はずみをつけて体を前に放り出す、そうすると瞬間、体重が踵の方に移動するので、そのタイミングで足に力を入れて一気に立ち上がる。年をとるとこのタイミングをとらえる機敏な動きが出来なくなる。ゆっくりと立ち上がらざるを得ない。ゆっくりと立ち上がるには相当な筋力が要り、実は若い人でも難しいことなのだ。

ではどうすればいいかと言うと、踵を出来るだけ近く引き付けて頭を前に突き出す。踵を支点にしてお尻と頭のバランスで頭が勝つようにするのだ。そうするとお尻が浮き、前にかがんだ姿勢だが、体は足に乘った状態になる。ここでゆっくりと上体を起こして行けばよい。これが僕の立ち上がり理論だ。

階段を上がるのも基本は体重の移動だ。体を前に傾けて上の段に掛けた足の方に体重を移すのだが、実際にはこれがなかなか難しい。大きく体を傾けると重心は上の足を越えてさらに前に移動してしまう。前につんのめることになるのだ。それに合わせて反対の足を出せばいいのだが、そんな機敏な動きは出来ない。

階段を上がるのは、体重の移動量を最小限にして軸足を切り替える工夫がいる。下になる足は出来るだけ前に、指先が階段に当たるようにする。上になる足は出来るだけ手前にし、足が半分階段にかかるようにするのが良い。これで体を前に傾けて行けば上の足に体重が移動していく。下の足を爪先立ちにして親指で押してやる。

椅子からの立ち上がりより難しいのは、ここでどうしても片足立ちになる必要があることだ。片足立ちの状態で膝を伸ばして行く。ある程度膝を伸ばさないと下の足を持ち上げて両足立ちに切り替えることができないからだ。体重の移動量を最小限に押さえるのは、この片足立ちでのバランスを保つためだ。壁とか手すりがあればここは随分違う。

こうした工夫をしてもやはり筋力はいる。力を入れると息切れしてしまうから、休み休み時間をかけて登るしかない。早く階段に昇降機を付けたいと思っている。しかし、我が家の階段が狭く標準的なものでないことから、今までの所、昇降機メーカーからは全て設置工事を断わられている。少し工夫をすれば十分取り付けられるはずなので大工さんを頼んで自己責任で工事したいのだが、まだうまく引き受け手が見つかっていない。
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