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夏は過ぎ秋はまだ来ず旅の宿 [旅行]

連れ合いはBRDからKD療法に変わり副作用が治まっている。これで効いてくれればいいのだがまだその効果はわからない。ともかくもレブラミドを止めたことで、副作用にさいなまれることは少なくなっている。本を読む気力も復活して、読書で日を過ごすことが多い。

まだ歩くのは楽でないが、副作用の谷間の機会に少し出かけて見たい。僕のほうの足腰が弱ってきていることを切実に感じているから、多少の無理をしても、今のうちに出かけなくてはいけないと思ってしまうのだ。調べて見ると休暇村奥武蔵がこの月曜日だけ空いていた。あまり乗り気ではない連れ合いを説き伏せて出かけることにした。

子供たちの夏休みも終わった。川遊びや渓流釣りでにぎわった甲州街道沿いの谷間も人波は途絶えている。雨が多いし川の水に入るのはちと冷たい。かといってもちろん紅葉には早すぎる。休暇村奥武蔵の近く、巾着田と言われるところは、初秋に曼殊沙華の群生することで有名だ。ところが、これもまだ少し早いようで、今年はまだ咲いていない。

何もあてはないのだが、ちょっとした御馳走を食べてゆっくりとしてみる。それも悪くないだろう。出かけるなどと言うことができるものかどうかを試してみるという意味合いもある。彼女はコルセットで身を固め、シニアカートを押す。僕はあちこと痛み止めの膏薬を貼って酸素ボンベを担いで杖をつく。携帯用酸素濃縮器、呼吸器、多種の薬、車に積み込む荷物は結構多い。

ムーミン公園や博物館など寄り道をして行こうと思っていたのだが、小雨が降って来た。博物館・資料館の類は月曜日が休みだった。道理でこの日だけ部屋が空いていたはずだ。休暇村というのは設備が整っているのにリーゾナブルな価格設定で人気があるから、先まで予約が詰まっているのが普通だ。早々と到着してしまった。

町村合併で市になっているが、深山幽谷谷間の村と言いう景色だ。落ち着いてのんびりしよう。部屋に入って窓から眺めていると、次々に宿泊客がやってくるのが見える。年寄りばっかりだ。夏の観光シーズンも終わったし、秋の旅行シーズンはまだ始まっていない。平日だし、まあ、家族連れや働き盛りが来るわけはないよな。年寄りばかりの客層に違和感を持つのは、旅は若者のすることと言う偏見があるからだ。

その昔、僕が若者として旅をしたころは、どこへ行っても若者ばかりだった。駅は「カニ族」などと言われる背中にリュックを背負った若者であふれていた。僕らが子供たちと旅行した頃には、どこも家族連れが目立っていた。順繰りに年を取って、今は出かける年寄りの群れになっているのか。やはり団塊の世代は人口が多いのだろう。それにしても、大浴場に入った時に目にした、洗い場にずらりと禿げ頭が並ぶ光景は異様だ。思わず身を引いてしまった。

良かったのは食事が素晴らしかったことだ。東京からも日帰りの圏内だから食事が悪ければ誰も泊まってくれないから力を入れているようだ。会席料理なのだが、ごく丁寧に作ってある。それにバフェがプラスされていて、寿司やうそん、その他の料理も食べられるし、デザートもやフルーツもたくさんある。このところ全く食べられず6㎏も痩せた連れ合いだが、食欲も回復しており、久しぶりに「美味しい」いう言葉を口にした。

休暇村はバリアフリーになっている。杖をついた人も多いが、車椅子の人も少なくない。中には車椅子ばかり4人というグループもいた。車椅子を使うようになっても、臆面なく旅に出かけるという文化。僕らの世代がこれを切り開いたとしたら、それは誇るべきものの一つだろう。
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医療費が増えて行くのは当たり前 [療養]

間質性肺炎+白血病+多発性骨髄腫。夫婦で病院通いが続くと医療費はかさむ。高額医療費制度で頭打ちになってくれるのは大いに助かる。もし、あのままアメリカで暮らしていたら今頃確実に破産していただろう。高額医療費制度は実にありがたいものだ。

しかし、これは僕の負担が減っただけで、国全体の医療費負担が下がるわけではない。2015年段階で42兆円、数年で54兆円になると試算されている。国は一生懸命医療費の抑制策を検討している。高額医療費の限度額も増えた。この先制度自体を「改革」しようとしているという。とんでもないことだ。

病気にならないように、予防に力を入れるというのが最近のアプローチで、これはこれで正しいのだが、医療費の削減に役立つと言うのは本質的におかしい。健康に気をつけて体を丈夫にしたところで、結局人間は死ぬのだから生涯にかかる医療費が減ることはない。人生50年が100年になれば当然、風邪薬は2倍必要だ。長生きすれば、それだけ医療費は増えるのである。

高度な治療で今まで助からなかった病気を克服できるようになった。これは素晴らしいことだ。これに医療費がかかるのは仕方がない。しかし、それだけではない。その時は生き延びて、もう一度重篤な病気になって、さらに医療費を使って死ぬのだから医療費は二重に増えて行くのだ。

長生きすれば医療費は必ず増える。人類が豊かになり繁栄すると言う事と医療費が増えると言うことは一体なのである。医療費を抑制するなどと言うことは出来ない。人類の幸福を追求するならばもっと医療費が使えるようにするにはどうしたらいいかが考えるべきことなのだ。

江戸時代に国家予算に占める医療費の割合は微々たるものだった。税金の大部分は将軍や大名の「宮廷費」と侍に配分する「軍事費」だった。これを医療や福祉に振り向けて行ったのが社会の進歩だったのである。

今後も医療は進歩し、人間の寿命が延びて行く。それならば国の予算はどんどん医療に振り向けざるを得ない。遠い将来、国家予算の大部分が医療に振り向けられるようになるのは当然の事なのだ。

政治の役割は、医療費を抑制する事ではなく、どうやって医療費を捻出するかにある。軍事費を医療に回すためには外交を工夫しなければならない。土木工事などを合理化して医療にまわす。官僚の無駄遣いは真っ先に省いて医療に回す。もちろん医療費内部での無駄は省かねばならない。

医療費を抑制して何かに振り向けるなどといった発想は根本的にまちがっている。
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盆だとて一人暮らしの夕ご飯 [日常日記]

お盆は先祖を祭るといった日だが、あちこちから帰省した親戚が集まり、にぎやかに夕餉を囲むというのが近年のあり方らしい。高速道路も新幹線もラッシュとなっている。しかし、連れ合いの入院で一人暮らしになっている僕は、そういったお盆の行事とは無縁だ。夕食も一人で食べるしかない。

当初は一人なら外食と決めていた。しかし、一人でレストランは間が持たない。料理が運ばれてくるまでの間、することもなく黙って待つのはつらい。さらに問題なのは食後だ。腹がくちて、しばし、まったりと休みたいのだが、一人だとそうもいかない。せかされるように、そそくさと店を出て家路につかなければならない。

やはり、家で食いたいから、弁当を買って来る事にした。しかし、弁当というのは「かきこむ」といったイメージがあり、どうも落ち着かない。いろんな弁当が売ってあるが、結局はみんな同じような味なのですぐに飽きてしまう。ブログを見ていると弁当で済ましている人がかなりいる。面倒を省くという意味では、コンビニで弁当宅配と言うのもあるようだ。しかし弁当ごときに1000円もかかるのはいかにももったいない。

今のところ、毎日3000歩歩くというルールを順守するために、毎日買い物に行く事にしているが、いずれ買い物に出かけるのが容易でなくなるかもしれない。その時は生協にお願いしようと思っている。栄養バランスも考えてあるようだし、値段も500円見当で、老人世帯には無料で配達してくれるということだ。コンビニの弁当を配達してもらうなどと言うのは愚策だろう。

弁当でとりわけまずいと思うのはご飯だ。コストダウンのために、安手の米を使っているから仕方がない。この点に関して、僕はすでに対策を確立している。土鍋で0.5合を炊くことができる。やはり炊きたてのご飯は美味しい。問題のおかずだが、これはスーパーに出来合いのものが豊富にそろっていることがわかった。僕が一人暮らしをしていた学生時代とは決定的に違う。

冷凍食品もそんなにまずいものではない。同じラーメンでもインスタントより冷凍食品のほうがかなり旨い。保存料などの添加物も冷凍食品には少ない。コストの点では、レストランで食べると1400円くらいだが、ファミレスなら980円だろう。同じものが冷凍食品なら400円になる。ファミレスの味は冷凍食品以下だから、そんなところに行く必要はさらさらない。

更なる発見はスーパーのおかずは時間帯で値段が違うということだ。毎日朝晩二回病院に見舞いに行くのだが、帰りは7時頃になることが多い。僕の夕食時間は少し遅い。帰りにスーパーによると、おかずが値引きされている。今日の晩御飯は大きなカレイの煮付け450円が350円になっていた。コロッケ58円、和風サラダ45円、鰹節をかけて冷ややっこにする絹ごし豆腐2個で98円、それに味噌汁。味噌汁はインスタントだが、豆腐を入れると立派なものだ。大体一食500円で納まるし、弁当よりもはるかに満足度は高い。これなら例え国民年金だけでも暮らして行けるのではないだろうか。

それでも一人で食べる夕食はわびしい。わびしさ、味気なさを抑えるのは盛り付けであることに気が付いた。買ってきたものをパックからそのまま食べるのでなく、食器に盛り付けるのがいい。弁当でさえ、パックから出して茶碗に移し、お皿に盛り付けると、ご飯という雰囲気が出てくる。家族での団らんと一人暮らしの違いの一つは食卓に食器が並ぶかどうかなのだ。

だがしかし、僕は一人暮らしの工夫などしたくない。連れ合いが退院して食事を復活してくれるまでの辛抱なのだ。入院が長引いたり繰り返したりすることなんかあり得ない。そうに決まっている。
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夏の日にひとりで迎える古希の朝 [日常日記]

今日僕は70歳になった。連れ合いは入院中であり家の中には一人しかいない。そういえば還暦の朝も僕は一人で病院のベッドに寝ていた。間質性肺炎の急性増悪の最中だったからだ。あれから10年を生き延びたことになる。あの時立てた父の年齢を超えるという目標にあと2年まで近づいている。

酒債尋常行處有人生七十古來稀。古希という言葉の由来となった杜甫の詩だが、酒代の借金だらけだけどかまうものか、どうせ70歳まで生きることはめったにないのだから今のうちに楽しむべきは楽しんでおかねばと言う内容だ。そのめったにないことに到達したのだから幸運というべきだろう。

統計でみると、僕の同世代の男は70歳までに1/4が死んでいる。幼なじみの友人には60歳前後で亡くなったやつが多い。ちっ、顔を思い浮かべてみると若くて元気な姿しか思い浮かばない。大学の同級生は不思議とみんな元気で、いまだ現役で活躍している奴も結構いる。しかし、今後80歳までに半数が死ぬことになるはずだ。僕もその一人だろう。

連れ合いの入院は二回目である。正直、一回目の入院は僕も困った。なにしろ、家事は全て彼女に頼っていて、僕は買い物すらしたことがなく、どう生活したらいいかわからなくて不安だった。今回は違う。毎日食事も作っているし、昨日は洗濯機も回した。彼女の体調不良で僕も訓練されてしまったから、何でもできて生活に不安はない。

それが悲しい。洗濯した着替えを病院に持って行ったら「ありがとう」と言われてしまった。僕はこれまで「ありがとう」などと言われることをしたことがなく、「どうしてこんなことができないの、ダメねえ」と言われるばかりだった。自然と出来上がった家の中の役割で、僕はダメな夫でいることが心地よかったのではないだろうか。まあ、彼女に甘えて過ごしていたということだ。

今日からカイプロリスの点滴が始まる。心臓への負担をモニターするための入院だが、担当医との面談で、副作用が軽いわけでもなく、効果があったとしても、体力的に自家幹細胞移植は難しいかも知れないと言われてしまった。抗がん剤投与と副作用との戦いが際限なく続くというのはあまりにも厳しい。

強い倦怠感で、読むことも、聞くことも楽しめず、何を食べてもおいしくないといった状態なのに、「現状をなるべく長く維持することが治療の目標」だとは納得できない。
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再度の挫折-----進まない抗がん剤治療 [骨髄腫]

配偶者の多発性骨髄腫。自家幹細胞移植を目指しているのだがなかなかうまく行かない。CBD療法はエンドキサンがきつくて挫折。VD療法は4クールやったけど成果がいまいち。VRDにしてやっと効いて来たと思ったら、これも倦怠感が強く、眠れず、食べられずでかなり衰弱して来ている。

しかし、ネガティブばかりではない。何よりも、圧迫骨折の痛みが薄らいだのは相当な進歩だ。痛み止めにオキシコンチンは欠かせず、毎日ボーッとしていたのだが、これは解決する。断薬には激しい離脱症状を乗り越えなければならなかったがなんとかなった。あと少しの事だからと励ましながら通院日に臨んだ。

痛みは取れているし、眠れないのは眠剤を処方してもらえばいいからそれをお願いしようと打ち合わせていたのだが、倦怠感疲労感は限界を超えていたようだ。突然「レブラミドをやめてほしい」と自分で言いだしてしまった。これには僕も慌ててしまった。先生は、基本的に患者の希望を受け入れる立場だ。完治のない病気だから、最初から緩和ケア的な対応がある。

確かに衰弱が激しく、このままではたとえ寛解したとしても、肝細胞採取ができるだけの体力が続かないようにも思う。2クール目に入っており、あと少しで予定の3クールが終わるし、確かに効果が見えているのだから残念ではあるが、再びの挫折を受け入れるしかない。

実は僕は耳がよく聞こえなくなっていて、詳細は聞き取れなかったのだが、先生は、レブラミドなしの治療として新薬カイプロリスの使用を考えているようだ。病院のベッドに空きが出来たら、入院して試してみることになった。それまで、またVD療法に戻る。VDでは進展は望めず現状維持でしかない。

カイプロリスはベルケイドの改良版で、より選択性が高く、ベルケイドで問題だった末梢神経障害を低減させたものだ。カイプロリスならレブラミドなしで効果が出るという保証があるわけではない。KRD療法としてカイプロミスでもレブラミドとの組み合わせが多いようではある。新薬カイプロミスは、ベルケイドが効かなくなった時に使えると思っていたのだが、ここで使ってしまうと後の手がないことも気になる。心臓への負担もあるし、彼女は副作用に敏感だから新たな副作用が出現するかもしれない。

レブラミドを停止して一週間くらいになるが、食欲が出てきたし、倦怠感も少しは和らいだようだ。症状としては元気になっているが、もちろんこれは骨髄腫の治療が進んだわけではなく副作用が低減されただけだ。おそらく来週から入院でKD療法が始まる。良く効いて、副作用も少ないことを願う。なんとか幹細胞移植にたどり着きたいものだ。