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多発性骨髄腫の治療を始める [骨髄腫]

連れ合いが多発性骨髄腫と診断されたのは、2013年春のことだ。喘息の症状が出て、血液検査をしてもらったら、アルブミンが少なく、グロブリンが多くてA/G比が基準値より少し低かった。喘息とは関係ないのだがちょっと気になるなどという話があったところに、検査技師さんが居合わせて、分画やって見ましょうかと口をはさんだ。先生もそうだねということで蛋白分画分析をやった。

結果はIgGが多く、正常値ではなかった。僕は白血病で血液内科を受診していたので、診察に連れ合いも同行した。ここで多発性骨髄腫という診断になった。βマイクログロブリンは2.4だからまだ正常範囲だがIgGは4100で明らかに高い数値だ。早期発見ではあるが、だからといって何か打つ手があるわけではない。経過観察と言うことになって、以来、僕らは夫婦で血液内科を受診するという珍しいカップルになってしまった。

僕の白血病はCMLだから、特効薬タシグナを飲んでいさえすれば寛解状態を保てる。彼女の方も当面は何の治療もないから、診察といっても、検査数値を確認して、「まだ大丈夫でしょう」ということで終わるものだった。それをいいことに、僕らは積極的に旅行に出かけたりした。「今のうちに」と言う気持ちも強かったのである。しかし、それがいいつまでも続くものではない。やがて、次の段階になることは覚悟していた。

何も治療せずに4年が経過したことになるが、その間、検査数値は上下を繰り返しながら、徐々に上がり傾向を見せ、2017年に入って、ステージ②と言われる領域に達した。IGgは6210、βマイクログロブリンは4.8まで上がった。腰痛に悩まされてPETをした結果、第11胸椎と第3腰椎に圧迫骨折があることがわかった。しかし、ブドウ糖の集積は見られず、とりあえず圧迫骨折は多発性骨髄腫によるものではなく、一般的な骨粗鬆症によるものということになったが、そろそろ治療を開始したほうがよさそうだ。

抗がん剤の投与は副作用も多く、うれしいものではない。しかし、うまく使えば、進行をかなり緩めることができるものだ。多発性骨髄腫に対しては根本治療はないので、これが最善の手立てだろう。入院して副作用や効果を見ながらベルケイドとデカドロンの投与を始め、その後は通院で継続する。

僕らの生活に、抗がん剤治療との付き合いといった新たな側面が追加されることになった。

CBD抗がん剤の投与を開始 [骨髄腫]

連れ合いが入院して抗がん剤の投与が始まる。多発性骨髄腫の根本治療はないから、抗がん剤で進行を抑える試みをするのだ。抗がん剤にはいろいろあって、その選択や組み合わせで有効性が高いとか低いとかの違いが出てくると言われている。

今回やるのは、CBD療法と言う、比較的新しい組み合わせによるものだ。Cとはシクロホスファミドでエンドキサンという薬品名で知られるものだ。一番古くから使われている抗がん剤で、毒ガスを起源としている。毒ガス兵器であるマスタードガス(イペリット)を積み込んだ輸送船ジョン・E・ハーヴェイ号の事故から、マスタードガスに白血球を減少させる働きがあることがわかった。DNA合成を阻害して細胞分裂を抑制する。毒性を軽減して薬剤となったのがシクロホスファミドである。

Bはボルテゾミブで薬品名ベルケイド。これが今回の中心となる新しい抗がん剤だ。ガン細胞はいろんな異常たんぱく質を作り出すのだが、こういった異常蛋白質が多く溜まってくると、がん細胞は動きを止めてしまう。通常は、異常なたんぱく質はプロテアソームという酵素複合体によって分解されるためにがん細胞の活性が維持される。だからプロテアソームの働きを阻害すればがん細胞は不活性になる。ボルテゾミブはプロテアソームを分子標的として開発された新薬だ。

そして、Dは、デキサメサゾンでデカドロンとかレナデックスという薬品名になる。一種のステロイド剤だから抗炎症作用があるものだ。プレドニンなどといった一般的なステロイドより、かなり強力なものである。ボルテゾミブの効果を高めることができると言う。少し前まではBDだけだったのが、最近ではCBDの組み合わせになったようだ。

CBD療法はかなり強力で、ガン遺伝子が検査では見えなくなるほどに減少させることができる。しかし、その反面、副作用が強く、中でも末梢神経麻痺が問題だった。ベルケイド治療で足が動かなくなってしまう事がしばしばあった。この原因が点滴で一気に注入することにあるとわかって、皮下注射にして、ゆっくりと体内に広げていくことが始められたのは最近のことだ。皮下注射になってからは末梢神経麻痺が起こる確率はかなり下がった。とはいえ、気を付けなければならない副作用であることは変わらず、入院して経過を見ながら進める必要性はここになる。強い便秘などといった副作用は一般的だし、間質性肺炎の発現もある。

抗がん剤で叩いても、やがてはまた復活してしまうのが多発性骨髄腫の厳しいところなのだが、自己末梢血幹細胞移植という手法が使えるとがん細胞の復活をかなり抑えることができる。CBDで寛解状態になったところで、造血幹細胞を採集しておく。そのあと、これも抗がん剤なのだが、メルファランという薬で白血球を徹底的に減らしてしまう。白血球が無くなると免疫力が無くなるので、無菌室に入らねばならないのだが、この状態で、取っておいた造血幹細胞を移植するのだ。

普通の細胞移植は健常な人からの移植なのだが、他人の幹細胞は異物として認識され、免疫で排除されてしまう問題がある。自分の幹細胞ならそういったことは起こらない。造血幹細胞から生まれてきた血球はほとんどが正常な血球になるというのがこの治療の本旨だ。もちろん、がん遺伝子を根絶することは出来ないのだが、数さえ減らせれば、次にまたがん細胞が増えるまでに長い時間が稼げる。人によってはこれが10年以上にもなることがある。

発症時に聞いたことでは、こういった細胞移植は若い人でないとできず、65歳の上限を超えている場合は駄目だと言われたのだが、CBDの改良などがなされて、考え方が変わって来たらしい。69歳でもできる可能性があるそうだ。うまく、CBDで寛解状態に持って行け、うまく肝細胞の採集ができるかどうかだろう。あとは、は血球がなくなることに耐えられる体力の問題だ。

なんとかうまく行ってほしい。留守番の僕は、40年ぶりでしばしの一人暮らしとなる。


抗がん剤は副作用との闘い [骨髄腫]

多発性骨髄腫になった連れ合いのCDBカクテルによる抗がん剤治療が始まった。いろんな検査をして、投与が始まったのは入院3日目である。重篤な副作用が懸念されるので入院して様子を見ながら投与を進めるのだから、当然副作用があると予告されているようなものだ。しかし、実際には投与の当日も、その翌日も、これといった副作用は現れなかった。めでたく、一週間で退院と言うことになった。

抗がん剤も進歩している。ベルケイドの副作用で下半身不随といった重篤な副作用があった当時は、点滴投与だったのだが、今では皮下注射になって、そういったことはめったに起こらないらしい。一気に血中濃度が高まるのではなく、皮下から徐々に体内に吸収されて行くことで、作用がなだらかになったのだ。他の薬剤、エンドキサンもレナデックスも経口投与だから、やはりなだらかな作用だ。抗がん剤治療もかつてほど副作用にさいなまれることはなくなったと思われた。

ところが話はそう簡単ではなかった。問題は、退院してから、投与5日目から始まった。倦怠感が高まり、嘔吐、便秘、食欲不振が症状として現れた。まだ副作用が収まり切らない、7日目に第二回の投与があったから、症状が軽くなることはない。むしろ積み重なって行く。これは「なだらかな作用」の盲点だった。

医者的立場からは重篤というレベルのものではないかも知れないが、続くとなかなかつらい。便秘は定期的な下剤でなんとかなったが、倦怠感、食欲不振は収まらない。嘔吐は出たり引っ込んだりする。脊椎、腰椎の圧迫骨折による痛みも重なるから、全く元気が出ないのも当然だろう。

しかし、ここはなんとか耐え忍ぶしかない。やはり抗がん剤治療は、副作用との戦いなのだ。嘔吐しないように、おかゆなどを少しづつ食べて体力を維持する。4回目の投与の後は一週間の休みになるから、その間に、さらなる体力の回復を図らねばならない。これで1クールが終わり、4クールにわたって治療を続ける。なかなかの長丁場だし、そのあとは自己幹細胞移植に向けてのさらなる過酷な治療が控えている。

頑張れ僕の配偶者。僕もなんとか彼女を助けたい。家事はなるべく僕が引き受けるようにしようとしているが、出来栄えが彼女の基準には満たないらしい。痛みを堪えて自分でやろうとする。しかし、それではいつまで経っても圧迫骨折が治らない。だから、押しとどめようとする僕との間で衝突が絶えない。この状態が続いて彼女も怒りっぽくなっている。

シャツを前後ろに着てしまったのは、たまたまに過ぎない。それを「あなたがしっかりしないのが一番病気に悪い」なんて言われてもなあ。やっぱり、抗がん剤治療は副作用との戦いであり、家族も巻き込まれる。僕もまた戦いのさなかにあるのだ。

抗がん剤にねを上げた [骨髄腫]

連れ合いの抗がん剤治療。致命的に大きな副作用は出ていないのだが、嘔吐と倦怠感が続いている。水曜日に投薬して、金土日が厳しい。4週やって1クールが終わり、2クール目まで一週間の休みがあるかと思っていたら、休みなしだと聞かされた。金土日以外もなかなかすっきりしない。これがあと3クール続くとなると気が滅入ってくる。これに圧迫骨折の痛みが重なっている。

4週間に1回の休みを実は心待ちにしていた。温泉にでも出かけてゆっくりするのもいい。美味しいものを食べるのもいい。ところが連続投与ということになると、これらは全て取りやめだ。嘔吐と倦怠感では、それどころではない。休みなしのあと3クールだから6月まで苦しさは続く。苦しさに音をあげて、主治医に相談したら、エンドキサンをやめてみることになった。一時的にBD療法への変更である。

白血球が減少することもなく、数値的には副作用なしで、IgGもβマイクログロブリンも確かに減っていて効果は見えているのだから主治医は残念そうな様子だ。しかし、QOLの低下は見ていても痛々しい。せめて圧迫骨折の痛みから解放されるまでは、抗がん剤投与は手加減する必要があると思う。

生活面での困難については、「家事代行サービス」と言うのを試してみた。申し込んでみると、スケジュールの調整がつかないと言うことで、すぐには来てくれない。お試しだからということで、割と元気であまり必要性がない日ではあったが、短時間来てもらうことにした。朝のゴミ出しを頼んだのだが、8時には来てくれず8時半である。ルール違反ではあるが実質的にはゴミ収集車が来る時間は8時半でもなんとか間に合う。個別収集ということもあると教えてもらったので、いよいよとなれば市にお願いしようと思う。

短時間のサービスは効率が悪いことがわかった。来るとまず契約内容・免責事項の確認とかで説明に時間がとられ、契約書へのサインとか事務手続きが結構かかる。石油ストーブへの給油はやったことがないそうで、缶を溢れさせて床が石油だらけになり、この後始末に多くの時間を費やすことになった。こういった時間がサービス時間に含まれることは契約書に書いてある。契約時間の10分前には作業を切り上げると言うからさらに時間は短くなる。

やって来たのは若いお兄さんで、物腰は丁寧だが、調理を頼んだりできる人ではなさそうだ。しかし、慣れれば石油入れとか、ゴミ捨て、床掃除はやってもらえそうだ。これくらいの事は体調が良ければ造作もないことではある。僕の足が痛むかどうかはなかなか予測がつかない。一週間前に予約しなければいけないということは困りものだ。定常的にサービスが必要となれば、多分介護保険のケアマネージャーに相談することになるだろう。

抗がん剤の効きが今少し [骨髄腫]

連れ合いの骨髄腫治療はCBD療法で始まった。入院中は何の副作用も現れず楽勝かと思われたのだが、次週から嘔吐、便秘、倦怠感にさいなまれることになったし、全く食物も喉を通らない。副作用に音を上げてしまい、Cつまりシクロフォスアミド=エンドキサンをやめてBD療法に切り替えることになった。これでなんとか治療を継続して4クールつまり16週の治療がもうじき一段落する。

毎週の病院通いもなかなか大変だ。病院はうちから近いのだが待ち時間が長い。抗がん剤の投与は、一般外来ではなく、化学療法センターでやる。連れ合いの場合、皮下注射だから1分で終わるのだが、多くの患者さんは点滴だから何時間もかかる。順番を待つと長い。1分の注射に2時間も待つのは不合理だとは思うが、皆さんそれぞれに必死の思いで投与されているかと思うと、先にやらせてくれなどと言うわけにも行かない。

水曜日にベルケイドの皮下注射をしてレナデックスを10錠飲む。副作用が現れるのは金曜日で、週明けには楽になるのがパターンになった。だんだん慣れてくるから、2週目頃からは嘔吐することはなくなったし食欲も出てきた。金土を除いて倦怠感も薄れてきて、時々は買い物にも出かけられるようになってきた。しかし、3か所の圧迫骨折が痛むからオキシコンチン(麻薬)を処方してもらっている。これはガン患者にだけ許されている処方だ。

痛み止めは良く効くのだが、これが過信を生む。3か所目の圧迫骨折は階段で転んで発生した。その後やっと痛みも少し収まってきたので、オキシコンチンを減量することになった。これがまた問題で、3ヶ月も麻薬を続けていると離脱症状が強い。また嘔吐、ひどい倦怠感、下痢で寝込むことになってしまったが、これは耐えるしかない。寝込んだのは3日くらいで、そろそろ起き出してはいるが、腰の鈍痛が続く。まあ、食欲は出てきてなんとか食べられているから、もう少しの辛抱だろう。

この間、僕は随分と家事の修行を積んだ。買い物に行って食事を準備し、ご飯も炊く。片付けやゴミ出しなどもやるのだ。今までこういうことを全くやってなかったのだが、これで40年間、いかに彼女が大変だったかよくわかった。当たり前なのかも知れないが、ゴミが出たらほったらかしにせず、ゴミ箱に入れるようになった。

さて、問題は抗がん剤の効き方だ。治療開始前6200まで上がっていたIgGは2500まで下がった。4.8だったマイクログロブリンは2.5まで下がった。しかし、目標の寛解には程遠い。しかも、3クール目以降、変化が鈍化している。FLCに至ってはまだκが測定領域に入らないくらい高い。4クールで一応終了の予定だったのだが、これでは幹細胞移植に進むわけには行かない。

僕は白血病(CML)でチロシンキナーゼ阻害剤を処方されているが、この効果は劇的なものだった。しかし、すべての抗がん剤がこんな効き方をするものではない。同じ分子標的薬でも奏効率94.5%などと言うのは驚異的な例外らしい。半数の人には効いて半数の人には効かないのはむしろ当たり前のことなのである。そのためにいろんな抗がん剤の組み合わせが工夫されている。連れ合いの場合もまだ試行錯誤が必要なようだ。

次に打つ手として、BDにリナリドマイドを加えた療法で継続することになった。BDLということになるが、そうは言わずVRD療法という。一般名bortezomibだが実際にはVelcadeしかないのでV。lenalidomideも薬品名RevlimidのRを使う。dexamethasoneはいくつかの薬品があるので一般名のままらしい。負担の大きい抗がん剤治療がまだ続くのだから、がっかりではある。しかし、ものは考えようで、治療を始める間際には検査値が急激に上昇していたから、それを抑えてここまで減ったということは、「効いている」という判断になるのかも知れない。

VRD療法はVTDと言ったりもする。Tはthalidomideのことだ。レブラミドは胎児に奇形を生じることで騒ぎになったサリドマイドを少し改良したものなのである。連れ合いの場合、もう出産することはないから問題はない。しかし規制は厳しく、絶対に横流ししないようにビデオを見せられての教育を受けて宣誓しなければならない。事前のリサーチではレブラミドの追加で奏効率も高まるし、副作用も少ないことにはなっている。なんとか効いてほしいものだ。

僕の家事修行もまだ続くから、そのうち、名人になるかもしれない。

やっと効いて来た抗がん剤 [骨髄腫]

我が連れ合いの多発性骨髄腫。BD療法で4クールが終わったが、検査数値は期待したほど下がらなかった。そこでリナリミドを追加することになった。今度はVRD療法(ベルケイド+リナリミド+レナデックス)を試みるのだ。レナデックスの副作用は倦怠感と眠気だ。一日中ボーッと過ごして元気がない。

連れ合いはとにかく口うるさい。「食べ物をこぼすな」「ティッシュはごみ箱に入れろ」「ひげを剃れ」、夫の躾を担当しているつもりだ。僕もそれに慣れてしまっているから、ボーッと座って何も文句を言われないのが、なんとも頼りない。あれだけ嫌だった口うるささが復活してほしいものになってしまっている。

彼女の趣味は読書と手芸だ。暇があればミシンをを掛けたリ編針を取り出していたが、根気が無くなりそれが出来ないらしい。読書もやはり倦怠感が阻害する。僕とは趣味が違って小説の類を毎週何冊も読んでいたのに、最近は全く読んでいない。

身体に影響はないが、味覚障害と言うのも気持ちの上では影響の大きな副作用だ。どこにも出かけたリできないし、読書もダメとなると、食べる楽しみが救いになるはずなのだが、何を食べても味がないのでは困る。変化のない毎日が続くから、娘が気を効かせて温泉に連れ出してくれたが、景色もお料理も楽しめず、家に帰りたいと言う。車に乗って移動するのも楽ではないらしい。それでも孫たちと過ごせたのは良かったようで喜んではいた。

そんな中でも、全く進展がないわけではない。VRDへの切り替えと同時にゾメタで圧迫骨折の損傷回復を図った。ゾメタは骨粗鬆症の予防的なものだが治療効果もあるとされている。これが効いたのか、痛みが少し和らいだのは朗報だ。こちらの副作用は嘔吐だが月一回だから我慢できる。

痛みが和らいで来たら麻薬オキシコンチンの減量をするのだが、離脱症状が出てくる。60mgから40mgに減らしたときは、激しい下痢と嘔吐が3日ほど続いた。40mgから30mgの時は1日で済んだ。30mgから20mgは嘔吐なしで減らせた。まだ痛みはあるのだが、あと一息で麻薬をやめてコルセットも外せるようになるだろう。

なんとかVRD療法の1クール終わって検査結果が出た。検査数値は明らかな改善が見られた。IgG1482、βマイクログロブリン2.4。どちらも正常領域に入った。フリーライトチェーンはκ/L=545だからまだまだ高くやっと測定できるところに来ただけだ。道は遠いが寛解を目指してVRD療法を4クール続けることになった。

効果があったのはいいのだが、この副作用があと6週間続くとなるとなかなかつらいものがある。へばり気味の連れ合いを励ましての毎日が続く。

戦果は出ている、けど味方の消耗も激しいーー抗がん剤投与 [骨髄腫]

我が連れ合いの多発性骨髄腫。VRD療法3クール目になった。BD療法で行き詰まり停滞していた数値も再び下がりだした。IgG1121、これは正常範囲に入った。βマイクログロブリン2.3、あと一息で2を切ることができる。感度の良い、フリーライトチェーンはまだκが1360だからとんでもなく高く、κ/λも97だから1.4には程遠い。しかし、一か月前は545だし、その前は高すぎて測定不能だったことを思えば相当な改善だ。

ただ、症状としては悪化が進んでいる。副作用で一日中寝込んでいる日が多くなった。圧迫骨折の痛みが続いており、コルセットをつけてオキシコンチンを処方されているが、これも長い。骨折はそろそろ治癒してきてもいいはずだ。コルセットの圧迫感も長引くとつらい。しかし、痛みを感じない状態でコルセットを外すのは危険だ。また他の骨折をしたのでは元も子もない。

痛み止めの麻薬オキシコンチンを6錠から3錠さらに2錠に減らしてきた。減らしても痛みは、そんなに増えないから多分圧迫骨折は治癒してきているのだろう。炎症反応を示すCRPも下がってきている。しかし、減らすたびに強い離脱症状が出る。今回とうとうゼロにした。1錠2回を急にやめてしまうのはきついと思ったのだが先生は「1錠以下はありません」というころで、半錠という提案は没になった。

案の定、やめた翌日から3日に渡って吐きまくり、夜中も嘔吐で寝られず、体中に痛みが出てくるし昼間も倦怠感にさいなまれることになった。何もする気がなくなる。離脱症状は一時的なものであるが、倦怠感などの副作用は持続する。おそらくレブラミドの副作用だろう。食欲もなく体重がかなり減って来ている。気力も減退して弱気なことを言いだした。

体力の消耗が激しいが、あと2クール。なんとか持ちこたえて、寛解に持ち込み自家幹細胞移植に持って行きたい。ガイドラインによれば65歳以下が対象なのだが、治療開始の時に、元気だから持ちこたえられるという判断だった。今なかなか微妙なところに来ている。年齢で対象外としているのにはやはり理由があったのだ。「我敵陣ヲ突破セリ、サレド味方ノ損傷ハ極メテ多シ」といったところだ。

再度の挫折-----進まない抗がん剤治療 [骨髄腫]

配偶者の多発性骨髄腫。自家幹細胞移植を目指しているのだがなかなかうまく行かない。CBD療法はエンドキサンがきつくて挫折。VD療法は4クールやったけど成果がいまいち。VRDにしてやっと効いて来たと思ったら、これも倦怠感が強く、眠れず、食べられずでかなり衰弱して来ている。

しかし、ネガティブばかりではない。何よりも、圧迫骨折の痛みが薄らいだのは相当な進歩だ。痛み止めにオキシコンチンは欠かせず、毎日ボーッとしていたのだが、これは解決する。断薬には激しい離脱症状を乗り越えなければならなかったがなんとかなった。あと少しの事だからと励ましながら通院日に臨んだ。

痛みは取れているし、眠れないのは眠剤を処方してもらえばいいからそれをお願いしようと打ち合わせていたのだが、倦怠感疲労感は限界を超えていたようだ。突然「レブラミドをやめてほしい」と自分で言いだしてしまった。これには僕も慌ててしまった。先生は、基本的に患者の希望を受け入れる立場だ。完治のない病気だから、最初から緩和ケア的な対応がある。

確かに衰弱が激しく、このままではたとえ寛解したとしても、肝細胞採取ができるだけの体力が続かないようにも思う。2クール目に入っており、あと少しで予定の3クールが終わるし、確かに効果が見えているのだから残念ではあるが、再びの挫折を受け入れるしかない。

実は僕は耳がよく聞こえなくなっていて、詳細は聞き取れなかったのだが、先生は、レブラミドなしの治療として新薬カイプロリスの使用を考えているようだ。病院のベッドに空きが出来たら、入院して試してみることになった。それまで、またVD療法に戻る。VDでは進展は望めず現状維持でしかない。

カイプロリスはベルケイドの改良版で、より選択性が高く、ベルケイドで問題だった末梢神経障害を低減させたものだ。カイプロリスならレブラミドなしで効果が出るという保証があるわけではない。KRD療法としてカイプロミスでもレブラミドとの組み合わせが多いようではある。新薬カイプロミスは、ベルケイドが効かなくなった時に使えると思っていたのだが、ここで使ってしまうと後の手がないことも気になる。心臓への負担もあるし、彼女は副作用に敏感だから新たな副作用が出現するかもしれない。

レブラミドを停止して一週間くらいになるが、食欲が出てきたし、倦怠感も少しは和らいだようだ。症状としては元気になっているが、もちろんこれは骨髄腫の治療が進んだわけではなく副作用が低減されただけだ。おそらく来週から入院でKD療法が始まる。良く効いて、副作用も少ないことを願う。なんとか幹細胞移植にたどり着きたいものだ。

KDの療法効いて秋の風 [骨髄腫]

秋風が吹き、めっきりと涼しさが感じられるようになった。1月から始まり、紆余曲折があって難航していた連れ合いの抗がん剤治療なのだが、ついに進展が見られるようになった。うれしいことにカイプロリスが劇的に効いている。

抗がん剤治療はCBD療法で始まったがエンドキサンがきつかった。CBDとVDでは大きな差がないとのことでエンドキサンを止めてVDに切り替えるという判断になった。しかし、どうも効きが悪く検査数値が少し下がったあと停滞してしまった。そこでレブラミドを追加してVRD療法にした。これは効いた。IgGは700までさがり、βマイクログロブリンも2.0になった。自家幹細胞移植まであと一息だし、末梢神経障害とか血小板の減少とかの医学的な副作用も現れない。

ところが自覚症状的には、なかなか強い副作用が続いた。倦怠感が強く、下痢嘔吐、不眠にさいなまれ、さらに圧迫骨折の痛みが重なった。これが長引くとなかなかつらい。3クールまで頑張っては見たが、精神的にもひどく落ち込むようになって、どうしてもレブラミドが続けられなくなってしまったのだ。あと少しだから頑張れと励ましてみたが、見る影もなく衰弱して、これではたとえ数値が下がったところで、自家幹細胞移植をするだけの体力がなくなる。

かといってレブラミドを止めたのでは効き目がないことはすでにわかっている。そこでベルケイドをカイプロリスに切り替えて見ることになった。カイプロリスはベルケイドの末梢神経障害といった副作用を軽減した新薬だと言うことだから、効果はベルケイドとあまり変わらないと思われ、これでレブラミドなしで治療できる期待はあまりない。しかし、物は試し、やって見ることになった。

ベルケイドは週一回の皮下注射であるのに対してカイプロリスは、週二回の点滴が必要になるから、かなり面倒だ。だがこの際そんなことは問題でない。幸いなことに家から大学病院は近い。二週間の入院を経てKD療法が始まった。レブラミドの副作用が治まったことで元気は出てきた。体重も少し回復して気分的には全く違う。圧迫骨折の痛みも治まってきている。問題はこれで効果があるかどうかだ。IgGがここまで下がるとあとはフリーライトチェーンを見て行くことになる。彼女の骨髄腫はκ型と言われるもので3800以上で測定不能なくらいκ値が高かった。

VDでは全く下がらず、VRDにしてκ/λが530から66にまで下がったが、実のところ一か月後63で、VRDでさえ停滞気味だった。目標の1.7には程遠い。KDでκ/λがまた跳ね上がるのではないかと懸念された。検査結果が問題なのだが、フリーライトチェーンの検査は保険の関係で月に一回しかできない。しかも測定結果は2週間後にならないとわからない。

検査結果がわからないまま日が過ぎて、秋口になってやっとその結果が出てきた。先生がにっこり笑って結果を見せてくれた。なんとκ/λは7.6になっていた。素晴らしい。一挙に一桁下がったのだ。

現在2クール目が終わったところだ。この調子なら3クールを終えたところで、κ/λも目標に到達するかもしれない。秋風がことさら心地よく感じられる。
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抗がん剤効き過ぎなんてあるのかな [骨髄腫]

連れ合いの多発性骨髄腫は抗がん剤治療の進行中。これまで難航したが、KD療法に切り替えて以来、副作用も少なく元気を取り戻している。週二回、水曜と木曜が点滴の日で、土曜あたりに倦怠感が強いが、以前に比べると全く軽いものだ。圧迫骨折による背中の痛みも随分薄らいだ。

連れ合いが寝込んでしまうまで僕は全く家事に疎かった。今度のことで僕も随分学んだのである。自分で買い物をすることにも慣れたし、「の素」料理も出来るようになった。しかし、僕に家事が出来るようになったことで夫婦のいさかいが始まった。僕にも家事の中身が気になるようになったからだ。

何が入っているかも知らなかった冷蔵庫を開けてみると、中には身動きならないほど食べ物がぎっしり詰まっていた。奥の方に何があるかは見ることも出来ない。取り出して食べようとしたら、古いから食べるなと言う。なんで食べられないものを冷蔵庫に置いておくのか訳がわからない。同じものがいくつもあるのにも驚いた。5年前に賞味期限が過ぎたものまである。

彼女の入院中に、捨てたリ食べたリしてやっと冷蔵庫内が見渡せるようになった。冷蔵庫のかなりのスペースはゴミ箱化していたのである。ところが連れ合いの復活でまた冷蔵庫が詰まり出した。どうも、冷蔵庫は常に満タンにしておくものと心得ているらしい。空きが出来たらすぐそこに何かを詰めないと気が済まない。何時でも何でも料理できるというのが信条らしいが、それでは新鮮なものは食べられない。

スーパーの売り場で買う買わないの口論になったこともある。僕は難聴で大声だから周りの人が見てしまう。「恥ずかしいったらありゃしない」とプリプリ怒る。大量買いしたほうが安いと言うのが彼女の主張だが、それは間違っている。古いものが半額で売られていることはスーパーで買い物をしてみてわかった。長く放置しておいて食べる頃には古くなっているから、当然値段は下がっているはずだ。大量買いは、実は倍の高値で買っていることになる。

僕が家事に詳しくなって来たことが気に入らない。髭を剃れだとか、食べこぼしをするな、着替えをしろとか、パソコンいじらず早く寝ろだとか前にも増して口うるさくなった。僕が家事に対して正論を唱えて反論できない事への報復に違いない。でも、まあ、元気でいてくれるほうがいいから、ここはじっと我慢するしかないだろう。

治療のほうは順調に3クールまで進んだ。カイプロリスはベルケイドよりもかなり有効だ。IgGはどんどん下がり314にまでなった。これは上限値どころか下限値を下回っている。一方でフリーライトチェーンは、やっとκ/λ比が6.7でまだ極めて高い。βマイクログロブリンは2.4から3.2へとかえって増えている始末だ。明らかに抗がん剤は「片効き」している。グロブリンが減り過ぎると感染症の危険が増えるので、グロブリンを輸血することになった。Kd+ゾメタ+グロブリン製剤というのが現在の化学療法だ。まだまだ予断を許さない。年齢もあることだから幹細胞自己移植まで持って行けるかどうか微妙なところだ。
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幹細胞、移植が視野に見えてきた [骨髄腫]

僕が胸水増加で入院したりしている間、連れ合いは快調で「おせち」作りに励んでいた。もちろん健康体ではなく、圧迫骨折以来の腰痛は続いているが、麻薬のお世話になるほどではなく、膏薬を貼る程度で済んでいる。カイプロリスが効いて、寛解まであと一息というところだ。

多発性骨髄腫は白血球成分であるB-cellから派生した形質細胞の異常だ。形質細胞がガン化して骨髄に戻り、細胞分裂を繰り返して増殖する。増殖したガン細胞はM蛋白と言われる無駄な蛋白を大量に作り出し、正常な血液細胞の生成を妨害する。血液中のグロブリンはIgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類が一定の比率で含まれるが、どれかがやたら多かったらそれは出来損ないのM蛋白が含まれているせいだ。連れ合いの場合、IgGが増えてしまっていたが、Kd療法で数の上では一応正常値までもどった。しかし、これだけではガン細胞の活動が少し鈍っただけの事かも知れない。

さらに詳しく調べる方法としてフリーライトチェーンの観察が行われる。グロブリンの形成は重鎖、軽鎖の組み合わせでなのだが、軽鎖の方が多く作られるので余った軽鎖は血液中に浮遊している。この浮遊軽鎖はκ型とλ型の二種類ある。正常なグロブリンが形成された場合、2つが大体同じような比率なのだが、M蛋白が作られる状態ではこの比が片寄る。これはグロブリンの計数よりも、もっと感度が高い異常検出になる。連れ合いの場合κ型が極端に多くκ/λ比は3000にもなっていた。今でも7.6だからまだ正常とは言えないが、かなり改善されたことに間違いはない。

グロブリンの数が正常値になって、κ/λが1近くになってもガン細胞がなくなった訳ではない。その活動が抑えられてはいるが骨髄の中に潜んだままになっているから、やがてまた暴れ出す。このガン細胞を叩くには、骨髄ごと破壊するしかない。強烈な抗がん剤として知られるメルファランを大量に用いる。これは副作用の塊のような薬だ。当然、髪の毛はなくなり、その他様々な副作用で体力を失う。65歳以上の患者には体力的に耐えられないとされて来たが、実際には個別に判断される。連れ合いの場合、69歳なのだが、まだ症状的には「くすぶり」だから、試みて見ようということになったのだ。

破壊されて造血能力が失われた骨髄を復活させるためには、造血細胞すなわちいろんな血液細胞に分化することが出来る幹細胞を注入してやる必要がある。型を選べば他の人から移植することも出来るが拒絶反応が出ると恐ろしい。あらかじめ取っておいた自分の幹細胞ならこの問題はない。もちろん自分の幹細胞には異常形質細胞を生み出すような異常染色体を持ったものもあるだろう。しかし、これはガン細胞そのものではないし、あらかじめ治療して寛解している時期のものなら異常なものは少ない。幹細胞移植というのは臓器移植とは異なり、移植そのものが目的ではない。良いも悪いも白血球を一網打尽にしてしまう捨て身の大量抗ガン剤療法から生還するための方策なのだ。

自家移植のためには幹細胞を採取しなければならない。ところが、幹細胞は骨髄中にあり、普通は血液中に出てくることはないから簡単にはできない。しかし、少しシクロフォスアミドなどの抗がん剤を使って一時的に白血球を減少させると、その回復期に血液中に流れ出てくる。さらに、G-CSF(顆粒球コロニー刺激因子)薬剤名でいえばノイトロジンなどを用いれば多くの幹細胞を血液中に動員する事が出来る。この血液を体外に取り出し、CD34マーカーが陽性なものを分離すると、幹細胞を取り出すことになる。右手から血液を取り出し、肝細胞以外は左手に戻すといった機械「血球成分分離装置」がある。

連れ合いの自家幹細胞移植が日程に上ってきた。寛解を目指した第一段階は終わった。第二段階である幹細胞採取のため来週入院する。本当の勝負で苦しいのは、骨髄を破壊してガン細胞を叩く第三段階なのだが、第二段階でも、無事に幹細胞が採取できるかどうかの山場はある。大量ではなくともシクロフォスアミドの投与はきついだろう。CBD療法には音を上げた実績があるし、G-CSFにも副作用がある。なんとか耐え忍んで乗り越えてほしい。頑張れ僕の連れ合い。
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突然に入院決まり大慌て [骨髄腫]

多発性骨髄腫の連れ合いは幹細胞採取を終えて、無菌室の空きを待っている状態だ。今度の入院は幹細胞の移植だから一ヶ月以上の長丁場になる。なかなか無菌室の空きがなく春以降になるだろうと言われていた。ところが昨日電話がかかって来て、明後日の入院になることが決まった。カイプロリスが効いて寛解を達成しているから、いいタイミングではある。

しかし、予定は大いに狂った。来週予定していた古希のお祝いは中止。孫の卒業式には卒業生代表に選ばれた姿を見に行く事を楽しみにしていたのだが、これも行けない。一番困るのはこの僕だ。年末の入院以来、体調がなかなか回復せず、歩行に困難をきたしている。生活の多くを連れ合いに依存する状態だから困ったことになった。一応、「伝い歩き」は出来るからなんとかなるだろうとは思う。息切れで、休み休みになって時間がかかるが、間質性肺炎の患者は何事も自分で出来ないわけではないのだ。

買い物に行けないというのが問題だが、ネットスーパーと言うのがあることがわかった。これはいい。前の日の9時までにネットで注文したらお昼には持って来てもらえる。これで食べ物が無くなるという心配はない。問題は3000円以上注文しなければならないことで、一人なら一週間分くらいまとめないと3000円にはならない。これは週二回くらい尋ねてくる娘の家の分を一緒に注文するという手が使えるのではないかと思う。

宅配弁当というのも考えたが、どうも聞いてみるとこれは評判が良くない。「不味い」の一言に尽きる。さりとて毎日料理をするのは大変だし、料理の腕もない。検索して「ニチレイダイレクト」と言うのがあることがわかった。メインとサブのおかずをセットにした冷凍食品だ。少し割高だけど見たところおいしそうに見える。これに得意の土鍋による少量ご飯炊きを組み合わせるとかなりイケるのではないだろうか。

あと、掃除と洗濯があるが、これは娘がやってきた時に頼める。ただ、娘も乳がんが骨転移していて、いつも自由に動けるわけではない。急遽、介護保険でヘルパーさんをお願いしてはどうかと言うことになり、認定をしてもらうことになった。僕は要介護1に該当するらしい。

あれやこれや大慌て、彼女にとっても古希の年齢で幹細胞移植は大きなチャレンジだし、僕にとっても、この状態での一人暮らしは大きなチャレンジではある。
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幹細胞 移植の苦しさ肩すかし [骨髄腫]

連れ合いが入院して、いよいよ自家造血幹細胞移植の始まりとなった。様々な検査、そして中心静脈へのカテーテルの挿入、うまく入っているかどうかはX線で確認する。もちろん幹細胞はカテーテルから入れるのだが、輸血や栄養の補給もこのカテーテルを通して行うからこの装着は重要だ。抗がん剤メルファランの大量投与は副作用を伴い、強烈な吐き気、倦怠感、下痢などが起こるのが普通だ。口内もひどい炎症が起こるのであらかじめ氷を含んでしびれさしたりする。出来る限りの副作用対策をして移植に臨む手立てになっている。

覚悟して臨んだメルファランの大量注入一日目は30分くらいで終わった。どれくらいで副作用が現れてくるのだろうか。無菌室には入らないようにして、メールで連絡を待っていたが、「まだ何もない」が続いた。晩御飯も食べて、夜はぐっすり眠ったという。しいていえば血圧が低くなっているくらいのことだ。2日目も続いて投与が行われたが、やはりなんともない。食事も普通に食べられている。

これで白血球は減少してしまい、3日目には幹細胞の注入である。これも30分くらいで終わった。幹細胞の注入後も際立った変化はなかったのだが、少し倦怠感を感じるようになった。移植後2日目になって、食欲が減退してきた。ゼリー系のおやつが食べやすいようだ。それでも、病院給食の半分は食べられているのだから副作用は驚異的に軽いことになる。

副作用に耐えるには年齢的に厳しいとも言われていたのだから嬉しい誤算だ。肩透かし大いに結構といった所だ。しかし、まだ先は長い、肝細胞が生着し、白血球数がもとに戻るまでは、まだまだ気を許せない。食欲は減っているし髪の毛も少し抜けてパラパラと落ちている。

家に取り残された僕の方は、思うように体が動かない状態での一人暮らしなのだが、ネットスーパーなどを活用して乗り切る体制は整えている。食べ物以外についても、掃除をしてピカピカにしないというわけでもなし、洗濯ものが溜まれば洗濯機を回すくらいの事はできる。いかに自立してやっているかを自慢したいくらいだ。

ところが、娘が毎日のようにやってくるから、結局世話になっている。30㎞離れた町に住んでいるのだが、この状況を非常事態ととらえているようだ。連れ合いの友達であるオバサン連中ももかわるがわる様子を見に来る。どうも「見守り」を頼んだようだ。逐一報告が行っているにちがいない。我が家はいつもよりまして来客が多いことになってしまっている。

実際の所、週二階ヘルパーさんが来てくれるし、訪問看護、訪問リハビリもあり、過剰介護というような状態ではないかと思う。体調は上向き、リハビリに励んで要介護からの脱出を目指したい。
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幹細胞 移植はやっぱり甘くない [骨髄腫]

抗がん剤の大量投与から幹細胞移植まで順調に進んだ連れ合いの骨髄腫治療。移植後、2日目になって少し食欲の減退が見え出したと思ったら、3日目には食べられなくなってしまった。倦怠感もあり、なかなかつらい状況だ。ルンルン軽い副作用なんてあるわけないよな。肩すかしと喜んだのは甘すぎた。

状況の急変にこちらは驚いたが、病院側は淡々とした扱いだ。想定内のことだから、別に騒ぐこともないと言われればその通りではある。倦怠感と食物不摂取が、生着までおそらく10日位も続くことになる。肩すかしどころではない。「我慢してくれ耐えてくれ頑張れ」これしか言えることはない。

5日目になると、下痢だ。娘があわてて着替えを持っていった。紙おむつとかいるのかと思ったけど、6日目になると下痢は少し治まってきた。それはそうだろう、食べていないのに出るはずがない。体力維持のための栄養補給は専ら点滴で行っている。食べられないことがわかっているから病院食も出なくなった。

7日目、何も食べずにいると、食べ物が恋しくなる。実際には目の前に出てきても食べられない。恋しい食べ物は何かと聞いたら、シナモンロールとオムライスだそうだ。倦怠感も続いているし、夜も寝ているのか起きているのかわからない状態だと言う。

8日目の朝、微熱だが発熱があった。37.1度。ゼロであった白血球が増え始める時、注入された幹細胞と、それを受け付けまいとする体の葛藤が起こる。発熱したりするのは順当な事らしい。微熱は収まり、夕方にはおかゆを少し食べられた。これは良いと思ったが、やはり下痢になった。

9日目、やはり朝は少し微熱がある。下痢が怖くて少しにしているが、お粥が食べられる。味覚が戻ってきているようだ。白血球が少しづつ増え始めたのかな。

10日目、週末なので血液検査はなしで白血球の様子はわからない。お粥が食べられるようになっているが、下痢はある。夕方になって7度8分の発熱。一進一退といったところか。

11日目、一日中微熱が出たり引っ込んだり。これも想定内ということだ。食事はお粥だけだが分量が増えてきている。栄養剤の投与を下げて行くことになった。この状態で退院の話が出てきたことに驚いた。順調だから週末には退院できるかも知れないということだ。確かに、移植は終わっておりあとは待つだけで何の治療もない。

12日目、生着確認。微熱はあり、腰が痛かったりするが、ご飯が食べられる。カテーテルを外して経口栄養に切り替えた。まだ半分くらいしか食べられないが、ここまで来れば体力の回復も早いだろう。

13日目、38度の発熱がある。治療は成功で、もう終わりと思っていたが、ここに来て症状が出て来るとは。腰も痛いし、髪の毛が抜けだした。やっぱり幹細胞移植は甘くない。食事はまだ半分以下。

14日目、やはり熱が出たり引っ込んだりで食欲がない。「食べられない」に逆戻りだ。気分的には落ち込んで「もう。泣きたい」と弱音を吐きだした。アルブミンを輸血したが目に見えた効果はない。今週末に退院はあり得ないだろう。

15日目、発熱はなく、これで止まったのだとしたら、いよいよ移植終了だ。しかし、まだ食欲はなく半分も食べられていない。栄養点滴が外れないと退院は無理だろう。抜け毛が多い。シャワーをするとバサバサと抜け落ちる。

16日目、また発熱がぶり返した。相変わらず食欲はなく、無理に食べようとしても、少ししか食べられない。移植自体はおわっており、は血球数も回復しているのだが、この状態がいったいどれだけ続くのだろうか。

17日目、相変わらず発熱があり食べられない。無理して食べようとしても、嘔吐したり下痢をしたり。それでも移植自体はもう終わっているから今週中に退院になるらしい。

18日目、状況は変わらないのに明日退院と言われた

19日目、本当に退院になった。食事はほんの少ししか食べられないし、下痢もある。もちろん元気はない。今日は発熱がないが、これで収まったとは言えない。どうしても24時間治療の必要が無ければ退院になるらしい。車椅子で退院する人が多い。体力回復に向けて自宅療養が10日位必要だと言うことだ。ともかくも幹細胞移植は無事に終わり、あとは体力の回復と、消化器などの機能回復を待つだけだと言う。

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