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スペインと地中海(1) クルーズ計画編 [スペインと地中海]

国際会議でマルセーユに行ったこ事がある。白亜の岸壁と海の色に魅せられた。研究会でシチリアに行ったことがある。やはり、地中海の美しさに感激した。

67歳になって、目も耳も悪くなり、酸素ボンベを持ち歩かねばならなくなった今、あの海をもう一度見たい言う思いがつのる。人間は、限界を意識すると限界を見極めたくなる。あるいは、限界を破りたくなる。僕が、旅行をしたくなったのは、体力の限界を感じてからだ。いずれ動けなくなるのは確実だ。でも、まだ動ける。動ける自分を旅行で確認したいのに違いない。

ということで、スペインとスペインを基点にした地中海の船旅を思い立った。酸素ボンベを抱えての身体障害者の旅行は、尋常ではないことは承知している。飛行機だってそう簡単には乗せてくれないのだ。いちいち医者の診断書を要求される。

手始めに旅行社の地中海クルーズというのを調べてみた。

●阪急交通「西地中海クルーズ11日間」 ¥379,800+諸税~40万円

目の玉が飛び出る。他も似たようなものだ。40万円が地中海クルーズの相場らしい。これは窓なし部屋の値段で、バルコニー付きの部屋なら、70万円もする。豪華客船などと言われるはずだ。全ての人が40万円をポンと出すはずがない。安いのを捜すとこんなのがあった。これは、超お買い得に類する。

●クルーズプラネット「ノーウェジアンエピック」 ¥226,000+諸税~25万円

これも窓なし部屋だが、実際窓から見える景色は海ばかりだ。見たいときにはデッキに出るほうが良い。 しかし、まだ高い。何しろ僕の収入は年金だけしかない。年金1ヶ月分を超えるものは不可だ。まあ、退職金が残っていないわけではないのだが、若いときからの習性で、旅行とは安上がりでするものだと言う事が染み付いている。大金を注ぐことには屈辱感すら感じる。これは僕だけに限らない。旅好きのブログなどを見てみると、同じ旅をするのに「お金を余分に払う=アホ」という観念が強いことがわかる。

大きな船を運航する会社は空室を嫌う。売れ行きが良くないとなれば、とことん安売りする。cruise.comとかvacationsTOGOと言ったサイトは、こういった安売りを掲載している。5月の連休明けの地中海クルーズで、一番安いのはPullmanturというスペインの会社だった。7日間で$364だから驚異的に安い。これで3食、飲み放題がついている。7日間というのは、日本からのツアーの11日間である。もちろん、入港税とかが付くから、結局2人で保険も入れて$1352になった。保険というのは、旅行中の急病だけでなく、こちらの体調が悪くなって出発できなかった場合のキャンセル料も含んでいる。

あとは飛行機だが、これは中々難しい、酸素ボンベを持って乗るのは、安全上許されない。航空会社の手配するボンベを使うと、一回1万円くらいかかる。バルセロナへの直行便はないから、これだけで4万円以上になる。いろいろ調べていたら、エミレーツ航空は、酸素が無料だとわかった。5,6年前に、「実費を請求する」として50万円を請求したことが新聞沙汰となり、「今後は無料にする」と言うことになったらしい。これで航空会社は決定。運賃も安く、燃油など込みで2人197,080円となった。エミレーツはドバイでの待ち時間が長く、疲れるというのだが、羽田から出て成田に帰ると接続が良くなる。

●僕のクルーズは総額が356,618円 1人当たり178,309円(飛行機、諸税、保険込み)である。

普通のクルーズの1/2 、格安クルーズよりかなり安い。もちろん部屋は「inside=窓なし」なのだが、guaranteedつまり、「部屋指定おまかせ」で申し込んでおいたら、どういうわけか「ocean view=海側窓付き」の部屋が指定されて、アップグレードされてしまった。guaranteedの場合、時々こういうことが起こるらしい。

パッケージ旅行を回避した理由は、値段のこともあるが、船旅のついでにスペインを旅行したいという思惑があったからだ。個人で計画すればこれは簡単で、船が帰り着いてから4日後にバルセロナを飛び立つというチケットを買った。7日間のクルーズの後だから、あまり日数を取ることもない。4日もあれば、スペインを見られるだろうという思惑だ。

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スペインと地中海(2) ドライブ計画編 [スペインと地中海]

バルセロナからの帰りに4日間の余裕を取って、スペイン旅行をすることにした。なぜ4日間かというと、ツアーの宣伝に、よく6日間というのがあるからだ。現地4日がスペイン旅行の標準にちがいない。

トレド、コルドバ、グラナダ、バルセロナに、それぞれ1日を配分するという目算だった。クルーズと医療機器の大荷物があるから、宿はバルセロナに取ったままで、毎日、日帰り旅行を楽しむ。ユーレイルパスを買っておけば、列車も乗り放題だから楽だろう。

ところがこれが大きな誤算であることがわかった。実はスペインは大きな国なのだ。バルセロナはスペインの東の端にあり、多くの名所旧跡は西の方にある。どれも遠い。横浜に上陸して、姫路城、清水寺、大仏と渋谷を日帰り4日で見ようとしていたことになる。

ほとんどの時間を列車で過ごせば、行って行けないことはない。しかし、それでは何も見ることが出来ない。バルセロナに宿をとることを止めて、毎日点々と移動すればどうだろう。これは、大荷物ということを考えると気が進まない。大きなトランクを押して石畳の道を歩くのは大変だ。

もう一つの誤算はユーレイルパスだ。AVEと呼ばれる新幹線は、マドリッドまで3時間で早いのだが、ユーレイルパスは通用しない。日本の新幹線と同じ位高いから、毎日新幹線で移動していたら大変だ。ネットで調べると、国内線の飛行機の方がむしろ安くて早い。しかし、僕の場合、酸素手配が難しいから、だめだ。酸素を使えるのは多くの場合、国際線を運行する大きな航空会社に限られている。

そもそも、第一日は予約というのが難しい。船は9時に港に着くことになっているのだが、あくまで予定だ。船の場合、遅れることもよくあるし、着いてもすぐに下船できるわけではない。多分、ハイクラス船室の上客から順に降りて行き、僕らは最後になるだろう。飛行機にしろ、列車にしろ、午前中の予約では乗り遅れる可能性がある。午後の予約だと、その日は移動だけで終わり、夜中の到着になってしまう。

僕のPOC(Portable oxygen concentrator)は、バッテリーで4時間動く、バッテリーを4つ用意しているから、16時間使えるから、一応、夜になっても大丈夫なのだが、充電しなければならない。1個につき4時間くらいかかるのだが、これを取り替えていると寝ることができない。毎日充電できるのは2個が限度だから、連日の長時間活動は難しい。

どうも、バルセロナでレンタカーして、荷物を積み込んで移動するしかなさそうだ。車の中には12Vの電源があるから電池の消耗はない。レンタカーは、予約時間にそう厳格ではない。これなら4日間走りまわれる。しかし、これも実は問題がある。バルセロナからアンダルシアは700kmもある。ひたすら走って向うに着き、また、ひたすら走って帰ってこなくてはならない。車は、いくら頑張っても新幹線や飛行機のような高速では走れない。

4日という設定が間違っていた。もう、飛行機を予約してしまったから、仕方がない。4日では、短かすぎてどうにもならない。かといって、ずっとバルセロナ観光で過ごすには長すぎる。しばらく、この4日間問題で、頭を悩ませることになった。

結論は、船から降りた日は、バルセロナ観光に当てて、夕方の列車に乗ることだ。これなら乗り遅れる心配はない。夜遅く、トレドに着いて、駅前のホテルに泊まる。翌朝、レンタカーして、3日かけてバルセロナ空港に戻る。充電問題は解決するが、これでも、「走るだけ」を避けるためには、タラゴナやアルハンブラ宮殿はあきらめるしかない。

中世の街トレド、アランフェス宮殿、ドンキホーテの風車があるラ・マンチャ、バレンシア、タラゴナのローマ遺跡等を主な見所とする。かったるいスペイン語のネットを通しての列車の予約、田舎町でのレンタカー調達、さらには日本支店があてにならないemirates航空での酸素交渉、いろいろと問題は多い。

さて、どうなることやら。
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スペインと地中海(3) 予約の問題 [スペインと地中海]

旅の醍醐味はいきあたりばったりにある。自由を求めて旅に出るのに、予約した予定に縛られるのは間が抜けている。予定をこなすのは仕事でしかない。

そう考えて来たのだが、実際には現地で、時刻表を調べたり、地図とにらめっこをしたりで、時間が経ってしまうことが多い。現地効率は悪くなる。最近は、事前に調べて、予約したほうがいいものは予約するというスタイルになって来ている。事前リサーチですでに旅が始まっていると考えることにしている。

今回は、vacationsToGoと言うサイトでクルーズチケットを買った。web siteからボタンを押すとクルーズの申し込みができる。申し込むとすぐにメールが来る。ところが、どうも、これは自動発信のメールだったらしい。返事をしてもメールがはねられてしまう。そして、同じメールが何回も来るのだ。結局、電話するhしかなかった。スパムを避けるため、フィルターをかけているらしい。どうも「xxx.ne.jp」とか「xxxx.co.jp」とかは、怪しいメールと分類されてしまうらしい。時差もあるし、電話での話は通じにくいこともあって、気後れしてしまう。まあ、なんとかメールでのやり取りに持ち込むことが出来た。

次は航空券だ。昔は、航空会社の正規料金は、極端に高く、航空券は格安旅行社で買うものだったが、最近は航空会社から直接ネットで買うのが、むしろ安い。特に、酸素の問題で、航空会社と交渉がいる場合は、直接買ったほうが、話がしやすい。とは言うものの、航空会社との話は、実はなかなか難しいのだ。日本支社の電話番号が乗っているが、電話をすると、大抵自動応答で、番号をプッシュさせられる。その分類に面倒な話はない。航空券の購入にはオペレータが出てくるが、買う以外の話は取り合わないことが多い。本社担当者のメールアドレスを聞き出すのに苦労する。emirates航空は、酸素が無料だとわかってよかったが、その手続きについては、航空券を買ってからでないととりあってくれない。出発の2週間前にMEDIFと言われる書類を出して、向うが適否を審査するというのだから不当に弱い立場におかれるような気がする。

次が列車だ。これがなかなかの曲者だ。スペインの鉄道はRENFEが仕切っている。RENFEのweb siteで見ると、同じ路線のチケットが列車ごとにえらく違う値段になっている。バルセロナからマドリッドまでの新幹線が55Euroから、300Euroまでいろいろあるのだ。どうも、売れ筋の時間帯は高くなるらしい。しかも、RENFEには日本支社というのがあって、これをさらに手数料を加算した高値で売っている。本社で買うのがいいのだが、インターネットの回線が細いようで、繋がったり切れたりする。日本のクレジットカードが使えないといったこともネットには流れているから心配だが、そもそも2ヶ月以上先の切符は占いらしい。3月になってから試みることにする。

どのような予約をするかで、また問題が起こった。時刻表を見るとバルセロナからの列車は、マドリードでトレド行きに5分で接続する。ところが、旅行記を見るとAVEの乗客は、降車ゲートを通って外に出されてしまう。乗車ゲートには、X線スキャンなどのセキュリティーチェックがあるというのだ。これではとても5分で乗り換え出来ない。駅の構造図を見てみると、前のほうでは各トラックは繋がっており、ゲートを通らず乗り換えできるような気がするのだが、確認できない。一時間に1本しか便がないから、乗り換えに余裕を見るとスケジュールがさらに厳しくなる。

一般論として、予約をきっちり入れた旅程は、予約に遅れると困るので、余裕が多く必要になる。 そのため、きつい旅程がますます厳しくなる。 ここまで考えて、最初のところで書いた旅の醍醐味にもどることになった。欲張った旅程を計画すること自体が矛盾だ。予約で縛られるのはごめんだといった考えが頭をもたげてしまった。名所は全部諦めて、4日間をバルセロナで過ごすという案に切り換えることにした。街中を散策するこよし、Monserratなどに出かけるもよし、予約なんかしないのが一番だ。

飛行機と船だけは予約して、あとは行き当たりばったりでいこう。

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スペインと地中海(4) アパートを借りる [スペインと地中海]

スペインでの4日間は、何も予約せずにのんびり過ごそうと思ったたのだが、よく考えてみると、予約しなければのんびり過ごせるわけではない。むしろ、毎日の宿探しが大変だ。レンタカーを借りてしまうわけだはないから、結局はバルセロナ市内にいることになる。どっちみちバルセロナに4泊することになるのなら、同じ宿にいて荷物を置きっぱなしにするのが楽で良い。大荷物を持って移動するのは馬鹿馬鹿しい。

と、いうことで宿探しをしてみた。まあ、計画は二転三転するものだ。

スペインの宿でhotelと言うと意外と高い。とりわけ、バルセロナのような大都会だと汚らしいものでも一泊1万円はする。食事は含まれない。これが田舎の方になるとかなり安くなってhostelと言われるものになる。日本で言う民宿のようなものだ。ユースホステルのようなものは、さらに安くて、albergeと言われている。日本では、1.5万円も出せば、一泊二食付の温泉とかがあり、都会ならビジネスホテルがそこそこ快適なのだが、スペインではそういったものは無いらしい。

宿選びというのはそこでのアクティビティーにもよる。バルセロナで何を見るか?サグラダファミリアのような建造物が人気なのはわかる。これは必見だろう。アラブとヨーロッパの混交による文化遺跡などは、グラナダやトレドにあって遠いので今回は諦めている。その他に興味深いのはやはり現地の人たちの生活だろう。バルセロナには市場があって、これが面白そうだ。そうなると、市場で買ってきた新鮮な魚などを食べてみたくなる。ホテルでは、これが難しい。

バルセロナでそういう思いをする人は多いようで、短期のアパートレンタルというのがある。短期といっても週単位が標準だが4日間でも借りられるものがある。これに決めた。居間とキッチンがあって家具もついているから十分料理もできる。値段は、だいたいホテルと変わらないくらいだ。広さから言えば、かなり安いと言える。ホテルでこれ位の部屋といえばスイートルームであるから、とても高い。バルセロナは地下鉄が発達しているから、地下鉄駅に遠くなければ、移動はたやすい。

さっそく、ネットで捜して、申し込んでみた。メイルで返事があり、クレジットカードで内金を払い、契約成立。しかし、料金と敷金を現地で現金払いしなくてはならない。ホテルと違ってフロントデスクといったものは無いから、大家さんと会ってカギを受け取る必要がある。大家さんから、携帯の番号を知らせてきたのだが、困った。スペインでも公衆電話は少なくなっており、しかも、その多くは壊れていると言う。

出発までに、連絡の方法を考えなくてはならない。

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スペインと地中海(5) スペインの予習 [スペインと地中海]

チュニスでテロ事件があり、どうなるか危ぶまれているのだが、クルーズ会社からは何の連絡もない。このままチュニスに行くことになるおだろうか。ともかくも、スペインに行くのだから、スペインについての予習をしておかなければならない。ところが、これがなかなか複雑だ。

スペインはとても古い歴史を持っている。紀元前15000年に溯るアルタミラの洞窟壁画は、クロマニヨン人の遺跡だ。北部には、ヨーロッパ中部からやってきたケルト人が住み着いたが、南部にはイベリア人と呼ばれる土着の民がいた。北東のフランスとの国境にまたがってバスク人が住み、独特の文化を今に伝えている。

ギリシア時代には、フェニキア人やギリシア人が海からやってきて南部を支配した。ポエニ戦争でローマが勝つと、このあたりもローマの植民地になった。イベリア半島を3州に分けて統治し、法と言語とローマ街道によって結びつけられ、その支配はその後500年以上続くことになる。

400年代、民族大移動の時代には、ゲルマン系の諸族がローマに侵入し、帝国を破壊した。この流れで、西ゴート族がイベリア半島を占拠することになった。428年西ゴート王国が建設された。宗教的にはカトリックとなる。中心地はトレドだった。

718年、アフリカから進入したウマイヤ朝勢力が西ゴート王国を滅ぼして、今度はイスラム文化のもとに置かれた。ギリシア、ローマ、カトリック、イスラムと、様々な文化が入り乱れ、うまく調和したりしている不思議な領域がスペインである。

カトリック勢力は北西部に残り、アストゥリアス王国を建てた。ウマイヤ朝はその本拠のダマスカスでアッバース朝にとって替わられたのだが、残党がスペインに後ウマイヤ朝を建てた。756年だから日本で言えば飛鳥時代の末期である。

北部のキリスト教国と南部のイスラム教国との戦争は、この頃から1300年代に至るまで、500年にも及ぶものだった。イスラムはピレネー山脈を越えてヨーロッパ中央に進出したが、フランク王国に負けて撤退した。

追撃したフランク王国軍が、ピレネー山脈を越えて侵入し、バルセロナを中心とするスペイン南東部はアラゴン王国になった。イベリア半島北部に残ったアストゥリアス王国は、支配を拡大し、中部に起こったカステリア王国に引き継いだ。

後ウマイヤ朝は内部分裂で1031年に滅びた。日本で言う鎌倉時代、1236年にコルドバが、1248年にセビリアが陥落しスペインはほぼキリスト教国の支配になった。ポルトガルは1385年にカステリアから分離独立したものだ。キリスト教国どうしも争っている。

1469年、イサベル女王とフェルナンド国王の結婚により、カスティーリャ王国とアラゴン王国が統合され、イスパーニャ王国となって現在のスペインが成立することになった。日本では室町時代だ。最終的にイスラムが掃討されたのは、1492年にグラナダが陥落した時である。この年、大西洋に派遣したコロンブスがアメリカ大陸を発見した。

1500年代には、スペインは海洋国家として世界に進出して大植民地を擁する帝国となった。先祖を辿ればドイツ系になるのだが、スペイン・ハプスブルグ家が婚姻関係でヨーロッパの王国を受け継ぐケースが増えた。ポルトガルの王を兼任し、ヨーロッパへも支配の手を延ばした。その結果、フランスやオスマントルコさらにイギリスとも戦うことになり、国力を衰退させてしまった。オランダやポルトガルがスペインを離れ、ヨーロッパでの覇権を失った。この頃、日本は江戸時代にはいっている。

1701年にハプスブルグ家の血統が絶えると、スペイン継承戦争が起こった。結果的にはフランス系のブルボン家が王を継承することになった。ナポレオン戦争後はフランス系の支配が強まり、フランスから派遣された人物が王位についた。これに反発するスペイン独立戦争が起こり、1814年にフランス勢力はスペインから駆逐され、フェルナンド7世が復位した。

フランス革命の影響はスペインにも現われ、1820年にラファエル・デル・リエゴ将軍が率いるスペイン立憲革命が達成されたが、ウィーン体制の崩壊を恐れる神聖同盟の干渉によって1823年にリエゴ将軍は処刑され、王統の正統性を巡って三次に亘るカルリスタ戦争が勃発するなどの政治的不安定が続いた。日本が開国した頃も、スペインではゴタゴタが続いていた。

共和制になったり、王政が復活したりを繰り返したが、スペイン1931年憲法が制定され、スペイン第二共和政が成立した。しかし、フランコ将軍が率いる反乱軍が内戦を起こし、50万人が死亡する惨事となった。スペイン内戦の終結からフランシスコ・フランコの死去までの36年間は、フランコ独裁下に置かれた。

1975年11月22日にフランコ将軍が死ぬと、その遺言により フアン・カルロス王子(アルフォンソ13世の孫)が王座に就き、王政復古がなされた。フアン・カルロス国王は専制支配を継続せず、スペイン1978年憲法の制定により民主化が達成され、スペイン王国は制限君主制国家となった。しかし、北東端にあるバスク州では、根深いバスク人の反発があり、テロなどの内紛が続いている。

複雑で、長い長い紆余曲折の歴史を持っているのがスペインである。

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スペインと地中海(6) 飛行機での酸素 [スペインと地中海]

酸素を抱えて飛行機に乗る方法は3つある。①酸素ボンベを持ち込む②POCを持ち込む③航空会社に酸素を頼む、である。日本国内のときは①が手軽だが。そうはいっても、診断書の提出を含む手続きがいる。海外の時は大量のボンベというわけには行かないので、②か③になる。

UAなんかだと②が簡便で、一度「使用証明書」を発行してもらえば、48時間前にPOCの持込を伝えるだけでよい。問題は電池で、長時間のフライトでは大量の電池が必要で重い。使えるPOCの型式は決まっており、おかしな事に日本の航空会社でも日本製のPOCは許可対象外だ。③が妥当な選択ではあるが、外国航空会社ではPOCが普及してきたので、このサービスを止めた所が多い。日本の航空会社は③で対応してくれるが、ボンベ1本100ドルくらいの有料サービスになってしまう。

今回、エミレーツで行くことにしたのは、酸素がタダという事が大きいのだが、実はそれ以上のことがある。JALやANAでバルセロナに行くのは不可能なのだ。日本の航空会社は、フランクフルトまで飛んで、そこから先の乗り継ぎはコードシェアになっていて、実際は他社の飛行機を使う。酸素については、各社ポリシーが違うからコードシェア便については関知できませんと言って逃げてしまう。それでは、ということでコードシェア先の航空会社に話を持って行くと、うちで買った切符ではないので、対応はしませんという返答が返ってくる。

エミレーツはバルセロナまで直接乗り入れしていて、しかも酸素はタダ。アラブの王様は太っ腹だ。実はこれも「タダらしい」と言うことしかわからなかった。航空会社は、まず、航空券を予約してからでないと、一切の話を受け付けない。このガードは固くて、何を聞いても具体的な答えは、ます返ってこない。「酸素を供給する場合もあります」では困るのだが、それしか答えない。あらかじめ下調べをして、あたりをつけて予約するしかない。これは一種の賭けである。

今回も、ネットで予約を入れて、次に酸素を申し込む窓口を捜すことから始めなければならなかった。電話をかけても、番号を押してくださいばかりで、なかなか担当者と話が出来ない。やっと「航空券を購入する」のボタンで会話できるようになった。もう予約は入れてあるのだが、と言うと電話を切られそうになったが、なんとか話をつないで、酸素の手配をお願いした。答えは、「わからないから本社に問い合わせてくれ」だった。しかし、なんとか本社窓口のメールアドレスを聞き出すことは出来た。webに載っているメールアドレスは自動応答で、役に立たない。

連絡を取ると、3ページにわたる英文の書式を送ってくる。これは、webからもダウンロードできるMEDIFと呼ばれる書類だ。これを出発の2週間前から、2日前までの間にお医者さんに書いてもらわねばならない。サインと日付がいるのだ。お医者さんは必ずしも英文を書くのが得意でないので、こちらであらかじめタイプしておいて、サインだけしてもらう準備が必要だ。ANAとかJALの場合、日本語でいいから、この点は楽だが、先に述べたように今回は使えない。

スキャナーでサインをもらった書類をファイルにして送る。MEDIFの現物は当日航空カウンターに持参することになっている。出発の2週間前に送ったのだが、「審査する」という返事が来たまま時が経ってしまった。酸素がないと飛行機に乗れないのだから、こちらは、やきもきすることしきりだ。出発の3日前になってやっと確認のEmailが来た。やれやれこれで出発できる。この確認が出来るまで、なかなか準備が進まない。あわてて出発の準備だ。

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スペインと地中海(7) 羽田からバルセロナ [スペインと地中海]

羽田発の国際線は、国内線が途切れる夜中の出発になる。夕方には閑散としていたフロアーに続々と人が来て、真夜中に活況を帯びる。真夜中の出発かあ。そう思ったのだが、実は、これも悪くはない。呼吸器とか加湿器とか、睡眠時に使うものがあるから、朝になるまでパッキングが出来ないのだから、遅い出発は助かる。

POCの充電があるから、かなり早く空港に行って、壁のコンセントを捜す必要がある。嬉しかったのは、クレジットカードのラウンジが出発ゲートの傍にあるとわかったことだ。コーヒーを飲みながらゆっくりと充電できる。成田では、チェックインの外で、しかも遠いからこうは行かない。障害のある人は、優先的に搭乗させてくれるのだが、それを断って最後に乗る。少しでも電池の消耗を減らすためだ。酸素の旅で充電は最優先事項だ。

初めて乗るエミレーツ航空は素晴らしかった。機材は新しいし、食事もUAなんかより、はるかに良い。座席には110V電源がついているからPCの使用には問題がない。しかし、POCには使ってはいけないと言われた。電源の安定性が保障できないから、医療責任を問われると困るからだろう。電力的には110Wまで使えると書いてあるから、問題はないはずだ。映画も豊富で、日本語版だけでも数十ありそうだ。酸素ボンベは、500L位の少し大きめのものが2本用意してあった。同調器はない連続フローだ。座席の下に置いて自前のカニュラーをつなぐ。真夜中だから、ともかく眠ることにする。

ドバイに着いて、ここでバルセロナ行きに乗り換える。ドバイ空港はかなり大きい。リビングルームのような大型のエレベータがある。長いコンコースを10分も歩くのだが、この両側に免税店がずらりと並んでおり、ブランドものの販売が盛んだ。安いのだろうか。ドバイの待合室には、どう捜してもコンセントが見つからない。尋ねて見たが「ない」という返事だ。大概の空港では、どこかに電源コンセントがあるものだが、こういうこともあるから油断できない。結局、この乗り継ぎで電池一個が空になってしまった。今回、4個の電池を用意している。

ドバイからのフライトも短くはない。羽田からバルセロナは合計21時間かかる。吉永小百合の「不思議な岬の物語」を見た。バルセロナに着く所までは順調だったのだが、ここで第一の異変が起こった。今回の旅は異変の連続だったのである。トランクが壊れ、キャスターが本体にめり込んでいる。引きずるのも大変だし、立たすこともできない。荷物カウンターで話をすると、航空会社の責任で修理するからと、バルセロナ市内のかばん屋さんを紹介してくれた。しかし、これから港へ直行しなければならない身としては、修理などしている暇はない。帰国後なんとかすることにして、証明だけもらうことにした。これに続いて通関、入国手続きなどしている内に二個目の電池が空になってしまった。カードで現金を手に入れるコツは190€とかの端数を引き出すことだ。これで細かいお金が手に入る。現金として必要なのは実は細かいお金なのだ。

空港から港までは、タクシーで39€と言われているが、土曜日なので、昼間でも深夜料金になってしまう。僕は旅行では極力タクシーを避ける。登山にヘリコプターを使うようなもので、旅行の意味を半減してしまうと思うからだ。

空港から市内まで46番の市バスで行けることを調べてある。こちらは、1.25€だ。他に5.9€の空港バスもあるのだが、市バスのほうが港に近いところまで行く。どうやって市バスの切符を買うのかがネットで調べてもわからなかったのだが、何のことはないバスの運転手に払えば良い事だった。結果的に市バスを使って良かった。大きなバスターミナルではなく、路上のバス停に降りられるから、その場でタクシーを拾える。壊れたトランク、POC、バックパックその他の大荷物を持ってタクシー乗り場まで歩くのは大変だ。

ここで、3個目の電池が切れた。しかし、あとわずかだから問題はない。タクシーで港に乗り付けて行列に並んで乗船手続きをした。周りはスペイン語一色だが、さすがに船のスタッフは英語が通じる。乗船してキャビンに着いてホットした。もちろん、キャビンには電源もある。ヨーロッパ規格の丸ピンコンセントへの変換が必須アイテムなのだが、これも100円ショップで手に入れてある。テーブルタップを用意しておくと変換は1個で済むし、POCや加湿器の置き場に自由度ができる。

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スペインと地中海(8) プルマントゥールのクルーズ船ソブリン [スペインと地中海]

かなり混んではいたが、無事にチェックインを済ませてソブリンに乗船。8階の一番前方のほうに僕らのキャビンがあり、一番安い料金で申し込んだのだが、窓付の部屋になっていた。といっても、大部分がテンダーボートに隠され、外の景色は少ししか見えない。部屋はビジネスホテル程度の広さで、シャワーとトイレ、壁際にテーブルがある。広くはないが、清潔に整えられているし、まあ差し支えはない。電源コンセントは230Vのヨーロッパ規格だ。

ソブリンは、1987年当時、世界最大の船であったSovreign of the Seas を改装して、2008年からプルマントゥールが運行している客船だ。全長268.3 m、73,192トンの大きな船で、2276人の乗客を乗せる。アメリカやイタリアの船が多く地中海クルーズに就航しているが、これはスペインを基点とした運行だ。

当然のことながら乗客はほとんどがスペイン人である。正確に言うと、スペイン人というわけでもない。乗客は国際的なのだが、スペイン語圏の人たちだった。世界は英語が一応の共通語になっていると思っていたが、スペイン語世界というものがあると初めて知った。スペイン語を公用語とする国は21カ国もあるのだ。

他と一線を画したスペイン人というのは、ヨーロッパで評判が悪い。お行儀が良くないとされている。実際、大声でしゃべりまくり、船の中は騒がしかった。逆に言えば、気さくで陽気な人たちの集まりなのである。プールサイドでのズンバの盛り上がりはすごかった。老いも若きも踊ろうと言われれば必ず踊りだす。明るい太陽の下、ラテンのリズムに乗って踊りまくるのである。コーラーのスペイン語の掛け声が実によく合っていた。

船内で聞こえるのはスペイン語ばかりだが、船のスタッフは英語も通じるから問題はない。多少困ったのは船内放送だ。最後のバルセロナ入港が遅れて、いろいろと船内放送があった。それまで騒がしかったロビーが、船内放送が始まると急に静まる。みんなが聞き耳を立てるからだ。ところが、スペイン語の放送が終わると、また一段と騒がしくなる。おかげでこちらは英語の放送が聞き取れない。

船のディナーと言えば、正装して、おつにすました雰囲気のものであるのだが、この船は違っていた。スプーンを持って立ち歩く人もいるし、大声でしゃべっているから、もちろん静かな雰囲気はない。ディナーというより宴会といったほうがいい。ドレスコードは品格を保つためのものではなく、服装を楽しむための物らしいから厳格ではない。White Nightといえば白い服を着る。Tropical Nightと言うのもあって、インディアンの格好や、ベトナムの傘を冠った人が現れる。Gara Nightと言うのがいわゆる正装日なのだが、もちろんタキシードなどは見なかった。

プルマントゥールの特徴の一つは、All inclusiveつまり全部込み料金ということだ。ビールもワインも全部料金に含まれた食べ放題飲み放題である。ところが、乗船券を受け取ってみると、実は全員がそうなのではなく、早期予約をした人だけで、我々のような、last minutes discountで乗船した人はこれに含まれないことがわかった。まあ、30ユーロ位で飲み放題にできるのだが、僕らはアルコールを飲まないので、あえて申し込まなかった。飲み放題の人は目印に青い腕輪をしてくれる。グリルでコーラを飲もうとしたら、腕輪がないからと断られた。しかし、カフェに行って支払うつもりでエスプレッソを頼んだりしたのだが、これはチャージされなかった。料金体系がどうもよくわからない。

騒がしいし、スペイン語主体で、シアターでのショウもよくわからないのだが、お料理は美味しい。スペイン料理だけでなくいろいろ出てくる。ニュージーランドで食べ損ねたパブロバがデザートに出てきたのには驚いた。日本で、どこかにないものかと探したのだが見つからなかったものだ。日本とスペインでは、食習慣が違う。食事時間は、早いのが7時半、遅いほうは9時半の予約になる。ショウも夜中の12時に始まったりする。その代わり、朝は遅い。とまどったのはディナーの時にコーヒーが出ないことだ。欲しいというと、カフェに行って飲めといわれた。確かにだれも飲んでいる人はいない。しかし、朝食の時にはコーヒーが出てくる。これもよくわからないところだ。

日本発のクルーズのように熟年層主体などということはない。高校生のグループや、ベビーカーを持った若いカップルもいて、年齢層は幅広かった。しかし、日本人は我々2人だけだったと思う。他に、物静かなアジア系のカップルが2組あったが、これは香港から来た中国人だった。地中海は海の色が美しい。海から陸地に近づいて行くときの光景が素晴らしい。一味ちがうクルーズを楽しむことができたと思う。

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スペインと地中海(9) サルジニア島オルビアとナポリ [スペインと地中海]

6時頃、ゆっくりと埠頭を離れ、いよいよ出航である。夕暮れの港の景色はいつも叙情的である。しかし、隣には、超豪華船「The World」が見えたのでこちらの方に目を奪われてしまった。全室がスイートで買取りになっている、動くマンションなのだが、管理費が年2000万円だというから、ちょっとやそっとの金持ちでは買えない。

さて、こちらは対極にある格安クルーズだ。キャビンは船底であってもかまわない。展望室に行くのが一番景色を楽しめる。ソブリンの14階には360度ラウンジというのがあって、円形で360度見回せるから、なかなか眺めがよい。どういうわけか、人々はプールサイドやディスコに集まっていて、ここは空いているからゆっくりとくつろげるのだ。

1日目は終日航海で、2日目にサルジニア島のオルビアに接岸した。本当はチュニスに行く予定だったのだが、テロ事件の影響で、急遽航路変更となった。チュニスにはモザイク壁画という目玉があるのだが、オリビアには何もない。美しい海が最大の売りなのだが、こちらは船で海は堪能している。それでも街歩きは楽しい、歩き回るには丁度よい大きさの町だ。ローマ時代の石造りの教会や、美しいモザイクの丸屋根を持った教会があった。ここだけではないのだが、最近、日本人観光客はかなり減っているようだ。ついぞ出会わなかったし、観光案内所では、日本語の出来る人がいて、久々に日本語が使えたと喜んでいる様子だった。それはそうだろう、僕らもチュニスで事件が起こらなければこんなところに来るはずもなかった。ローマの植民地だったり、スペイン領であったり、歴史の中でいつも脇役だった島である。

3日目はナポリだ。海から近づくと、ベスビオ火山が目立つ。この麓に、ポンペイの町が埋まっていたのだ。ポンペイには20年前に行ったことがあるし、重要な発掘物は全部博物館に移されているから、今回は行かないことにした。港からは交通も大変不便だ。カプリ島もいいのだが、10時下船で5時出港ではスケジュールが出来ない。カプリ島は早朝に行くところだ。ナポリの町もなかなか良い。難点は神戸のように山にへばりついた坂道の町だということだ。酸素吸入が必要な体に坂道は禁物である。しかし、海辺にも見所はたくさんある。港に面してヌオボ城がある。まさに中世のお城という感じで、白雪姫が住んでいたり、ビロード地の衣服を着たトランプの王様がいたりしてもおかしくない。歌劇場・王宮に続くプレシヒート広場では何かイベントをやっていたし、デモもあって、警察が出ていた。海岸線を南に下れば、卵城(Castel dell'Ovo)がある。基礎に卵を埋め、この卵が壊れるときがナポリと世界の終わりであると呪文をかけられた城だ。海に突き出た見晴らしが良いお城だが、どう考えても登り道がつらい。エレベータを使わせてくれることになり、地下道のような奥まったところに行くと屋上広場までのエレベータが仕込まれていた。古い大砲が並べられた要塞である。海に向かっても陸に向かっても睨みを利かせていたのだろう。

僕は、12時間ごとに薬を飲まなくてはならず、空腹時という条件があるから、その前後2時間は食事が出来ない。ディナーが7時半からだから、11時服薬になる。街歩きも午前中は、ちょっとケーキとお茶で休憩というわけには行かない。この日も、結局、2時頃船に帰って昼食にした。カフェテリアは空いていたのだが、驚いたことに、だんだんと混みだした。どうも。スペインの人が食事をするのは3時頃がピークらしい。だから、ディナーが9時半というようなことになるのだとわかった。船に帰れば食事があるのだから、特に美味しそうなものが見つかれば別だが、早い目に船に帰ってゆっくりするほうが体も楽だ。


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スペインと地中海(10) チビタベッキアからバチカンへ [スペインと地中海]

4日目、船はチビタベッキアの港に入港した。ローマは内陸にあり、海への窓口として古くからあるのがチビタベッキアである。ローマの外港であると言っても、すぐ近くというわけではなく距離にして60kmある。1613年に石巻を出た支倉常長が2年がかりでローマにたどり着いたのもこの港だった。ウィキペディアにはマドリッドから陸路でローマに行ったと書いてあるが、サントロペにも記録があり、バルセロナから海路であったことは間違いがない。慶長使節よろしく、チビタベッキアに上陸してバチカン詣をしてみることにする。

古くからの港だから、埠頭がせまい。だから船着場に多くのバスやタクシーが待ち受けるといった光景はここでは見られない。ただ一つのシャトルバスが市内のバスセンターまで全員を運ぶ。2000人からの乗客を乗せたクルーズ船が何隻も入るのだから大変だ。下船した所には長い行列ができていた。この行列にツアー客が優先的に割り込むのだからたまらない。あちこちからブーイングの声が上がる。バスセンターまで行くのに1時間以上もかかった。

バスセンターから市バスに乗って駅まで行かねばならない。これも行列になる。駅からローマへは鉄道が通じているのだが、これが1時間に1本しかない。切符を買い、ホームを探してもたもたしているうちに列車は出てしまった。駅で1時間待つことになる。慶長使節ほどではないが、バチカンへの道は楽ではない。12.5ユーロの1日券というのがあって、これだとローマまでの往復とローマ市内でのメトロ・バスが乗り放題だからかなりお得だ。

さて、どうやってバチカンに行くか。バチカンはローマの西端にあって、ローマ中心部から地下鉄で行くように案内書に書いてある。地下鉄はバチカンの北に駅があり、入り口まで南へ15分歩く。結構距離がある。鉄道で行った場合、ローマに入る前にサン・ピエトロ駅があり、ここがバチカンの南端から15分くらいの距離だ。もし、南に入り口があれば、地下鉄に乗り換えて大回りするよりずっと早い。バチカンは城壁に囲まれているから、入り口が無ければ入りようが無い。どのガイドブックにも鉄道で行くルートは書いてないから気にははなったが、サン・ピエトロ駅で降りてみた。小さな駅で、駅前にバス停があり、ローマ市内行きのバスが出ているようだ。64番のバスルートが掲示されていて、サン・ピエトロ広場に行きそうだ。ワンストップだったが、地図で見ても、古い町の曲がりくねった迷路のような道で、とても、まともに行けそうになかったから助かった。すぐにサンピエトロ広場に降り立つことができた。

ここは、一般的な観光客の入り口ではない。しかし、時間を区切って開放することになっているらしい。数十人の人が待機していた。15分ほど待って入場が許された。入ってみて驚いた。広場の反対側には、北の入り口から延々と数百メートルの行列が見えた。サン・ピエトロ寺院に入ろうとしているのだ。人数制限をしているようだ。こちら側は出口になっているようだが、見ていると時々入って行く人もいる。試みに入れてくれと頼んでみたら、相談しているようだったが入れてもらえた。酸素吸入をしていることでOKが出たのかも知れない。

サン・ピエトロ寺院。さすが大本山。とてつもなく大きい。荘厳な壁画とレリーフの数々。圧倒されて見て回った。観光客ばかりで、お祈りしている人がほとんどいないのはどういうことだろう。あちこちで盛んに写真を撮ったり、タブレットを掲げたりしている。多分、ミサとかがある特別な時間帯が信者向けで、今は観光客タイムなのだろう。

バチカンには博物館などもあるのだが、この人出のなかで並ぶ元気はなく、城外にでて、適当なレストランでピッツァを食べて引き上げることにした。カトリックの大本山がどのようなものであるかを見ることが出来てよかった。帰りは、バスと鉄道を乗り継いでなんなく帰ることができた。クルーズの場合、帰りが遅れると大変なことになるのだ。
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スペインと地中海(11) リボルノからピサへ [スペインと地中海]

5日目。チビタベッキアがローマの外港であれば、リボルノはピサとフィレンツェの外港になる。ピサまでは25km、フィレンツェまでは90kmあるから、ここも海からのアクセスはあまり良くない。市の中心部へ有料のシャトルバスで行き、市バスで駅に行き、さらに鉄道に乗らなければならず、その間、待ち時間が多い。手っ取り早いのは、船のツアーに参加して、バスでフィレンツェの寺院・美術館めぐりをして、ピサの斜塔を見て帰るということになるが、出航までに戻るとなるとかなりの弾丸ツアーになる。個人で行くと、遅刻の危険が避けられない。

近場のピサだけにしても、乗り継ぎの不便は変わらない。ピサには、結局「斜塔」だけしかないから欲張りたくなるのだが、今回は自重することにした。調べて見ると最近ピサ行きのバスというのが出来たらしい。市の第3セクターが運営していて往復15ユーロだからそう高くもない。これで行こうと決めたのだが、シャトルで失敗した。シャトルには2つあったのだが、スペイン語の案内がわからず、間違ったほうに乗ってしまい、一度引き返した。シティーセンターに着いたのが11時頃。観光案内所でバスの切符を買ったら、満席で1時発まで待つことになった。バス停の様子などをあらかじめグーグルのストリートビューで調べておいたのだが、全く違う景色になっていた。再開発で状況が変わったらしい。グーグルマップの利用も注意が必要だ。

ピサには40年前に行ったことがある。そのときは鉄道で駅から歩いたと思うのだが、地図で見るとかなりある。若いから平気だったのだろう。長距離バスはバスセンターまでで、斜塔のある区域までは15分位歩く。聞くと1ユーロで斜塔までのシャトルがあると言うからこれに乗ることにしたら、15分以上待たされてしまった。街中の入り組んだ道だから、迷子にならずにすむからこれでも有難い。さすがにピサの斜塔は観光の目玉で、あちこちから観光客があつまる。バスターミナルには、ツアーの集団がひしめいている。ドイツ、イギリス、中国、韓国など様々なのだが、日本のツアーは見かけなかった。消費税の増税などが響いて、外国旅行の意欲が減退しているのではないだろうか。

城壁の入り口付近では、露店がずらりと並んでいるのに驚かされた。40年前にはなかったことだ。斜塔の形をした置物とか安物の土産品が並んでいる。プラダのバッグ売りというのもいた。もちろん本物のはずがない。ピサの斜塔、大聖堂、洗礼堂はPiazza dei Miracoliに集まっていて、合わせて一つの景観を作っている。傾いているだけでなく、その白を基調とした姿の美しさが、緑の芝生に映える。観光客は、倒れかけた塔を支えるポーズで記念写真を撮るのが定番である。

僕らは、景観を楽しんだあと、昼食を取って引き揚げることにした。イタリアでは、ピッツァとパスタで失敗することはない。ピサのピザなどと日本人にしかわからないシャレを言いながら美味しく食べた。欲張らずにのんびりと過ごそうというのが今回の旅のやり方だ。

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スペインと地中海(12) カンヌ映画祭に行き当たる [スペインと地中海]

6日目。地中海クルーズも最後の寄港地カンヌを残すまでとなった。カンヌはコートダジュールと言われる南フランスの紺碧海岸にある高級リゾートであり、毎年行われる国際映画祭でその名を知られている。丁度、僕らはそのカンヌ映画祭が始まったばかりのところに乗り込むことになった。世界中から映画俳優やマスコミがやってくるから、一般人には映画祭の期間、ホテルの部屋を取ることさえ困難になるらしい。

カンヌに大きな埠頭はない。沖合いに停泊して、ボートで上陸する。お金持ちが自家用のクルーザーなどで乗りつけるのと同じ港だ。海岸の通りには、高級なブティックが並び、ホテルなども、いかにも高そうな構えを見せている。かなりの人出があり、みなそれぞれに名札のようなものをぶら下げている。実は、カンヌ映画祭に参加するには招待状が必要で、映画・マスコミ関係者以外の一般人は、中に入れない。会場の入り口付近には、行列が出来ていたが、これも招待状をもった人だけだ。しかし、ダフ屋的な切符の手に入れ方もあるようで、当日上映の映画「irrational man」と書いたカードをかざしている人もかなりあった。

メイン会場の入り口の階段広場には、赤い絨毯が敷き詰められ、入選した監督や女優が表彰されるための花道になっている。これがレッドカーペットであり、報道陣がカメラを向けて待機している。僕らが行ったのはまだ午前中だから次々に有名俳優が現れるという状況ではなかったが、女の人が一人入っていった。誰だったのか僕の知識にはない。夜になってレストランで食事をしていると、こういった有名映画人が隣のテーブルに来たりするそうだが、午後1時半には船着場に戻れとのお達しだ。

それよりも、僕らはカンヌでやっておかなければならないことがあった。例の壊れたスーツケースのことだ。このままでは、明日バルセロナに着いても動きが取れない。石畳の道を壊れたキャスターを無理に押して歩くのは、あまりにも大変だ。他にも大荷物があるのだから、不可能に近い。カンヌで新しい旅行カバンを手に入れることにした。海岸通りは高級店ばかりなのだが、聞くところによると駅周辺が庶民的な町だそうだ。カンヌに来るのは金持ちばかりだが、その金持ちに奉仕する人たちも当然町に住んでいるわけだ。行って見るとアメ横みたいな、小さな安売り店が並んでいるところがあって、スーツケースを安く買うことが出来た。「カンヌで買ったカバン」は良い記念になるだろう。

空のスーツケースをゴロゴロ押して船着場にもどった。行くときも上陸艇はかなり揺れたのだが、帰りはさらに揺れて、波しぶきが飛び散っていた。この一週間、一度も雨が降らなかったのだが、地中海といえども穏やかな日ばかりではない。海はそろそろ荒れ模様になっていたのだ。カンヌを出航後、バルセロナに向かう夜は、9万トンの船もかなり揺れた。夜中にトイレに行ったら、立って小用をするのがなかなか難しかった。海が荒れたために船は速度を落としたので、バルセロナの入港が2時間も遅れてしまった。実はこの遅れが、バルセロナでの大厄災の始まりだったのである。

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スペインと地中海(13) バルセロナ上陸、バッグを泥棒に [スペインと地中海]

航海最終日。荒波になったため速度を落としたので、バルセロナ入港は11時から1時に変更になった。しかし、船室のチェックアウトは10時と変わらない。次の航海の準備があるからだ。バルセロナで借りたアパートメントの大家さんとの約束では12時半に現地で会うことになっている。「なんかあったら携帯に電話して」と言われても簡単ではない。船にも、衛星通信を介してインターネットの接続がある。えらく高いのだが、とりあえず、メールを出そうかと思ったのだが、チェックアウトすると、もうインターネット接続の申し込みはできない。遅れたのは船の責任なのだからなんとかしてくれよと交渉して2時半に時刻を変更してもらうメールだけはなんとか打てた。届いたかどうかはわからない。

1時に着岸はしたのだが、なかなか下船は始まらない。船には下船開始までにいろいろと手続きがあるらしい。ロビーで10時からすでに3時間も待機している。いいかげん疲れてきたし、酸素の電池も消耗して来ている。いらついているのは他の乗客も同じで、あちこちで不満の声や、時には、シュプレヒコールをやったりするのが聞こえる。状況説明が、船内放送で始まると、水を打ったように静かになる。みんな聞き耳を立てるのだが、こちらはスペイン語がわからない。放送が終わるとそれに対するリアクションで、ひときわ騒がしさが増す。続いて行われる英語の放送は聞こえなくなってしまうから困った。

やはり、上等室優先で、さらにバルセロナでのツアー客が先に下りるので、結局下船は2時半になってしまった。公衆電話を見つけて大家さんに連絡しようとするのだが、使い方が良くわからない。ダイヤルがなく、どうも港の電話はオペレータを介しての国際電話専用のようだ。あとから受付が別にあるのに気がついたが、セキューリティーを通って引き返すのも難しそうで、ともかく現地に行くことにした。外に出ると、タクシー乗り場には長い行列ができていいて警官が交通整理をしている。空港行きタクシーと書いてあるが、乗り込んで、アパートの地図を示した。運転手は不満そうだが乗車拒否はできないようだ。

すぐ近くのはずなのだが、かなり時間をかけている。さらに、車を止めて、工事で仮設の市場が道路をふさいでいるから、大回りをするがいいかと聞いてきた。ここで降りて歩くと言って降りてしまった。大荷物ではあったが、地図をプリントしてあり、5分もかからないはずだと踏んだ。今朝からのごたごたで疲れているので、歩くのがつらかったが、地図と磁石を頼りに歩く。立ち止まって地図を見ていると、声をかけてくれて、道を教えてくれる。みんな親切だ 。途中ATMがあったので、ここで現金を手に入れた。大家さんは、現金での支払いを求めているのだ。

アパートに到着したのは3時を少し過ぎていた。当然、大家さんは現場に見えない。隣にちょっとした軽食店バルがあったので、ここで何とか連絡がつかないものかと試してみた。英語はあまり通じず、身振りとか、「旅のスペイン語」なんかのフレーズを使ってみたが、うまくいかない。数字とか挨拶のスペイン語なんて実は要らない。必要なのはちょっと込み入った会話なのだ。「この電話番号にあんたの携帯で電話してくれないか」と言いたいのだが、返ってくるのは、「我々も携帯はよく使う」とか、「携帯の番号で住所はわからない」といった答えばっかりだ。

腹も減ってきたし疲れも溜まっていた。どうしたものかと思案に暮れていたところに、若い男が近づいてきた。教えてやるから地図を見せろというのだが、そんなことはいらない、地図を見せて、ここにいることはわかっていると説明した。そこに、第二の男が現れイタリア人かなどと言い出した。何を馬鹿なことを言ってるんだと思ったが、あとはスペイン語でよくわからない。挙句に「I don't know」と言って立ち去った。手ぶらではあった。第一の男はすでに角を曲がって行ってしまっていた。見送った後、ふと見ると僕のバッグが無くなっている。あわてて追いかけたがすでに彼らの姿は見え無くなっていた。10秒くらいの出来事である。多分第一の男が注意を引いている間に第二の男がバッグを取り、すばやく第一の男にパスして、今度は第二の男が話しかけたのだ。ATMの所から目をつけて、尾行して来たのだろう。

カバンの中に入っていたのは、現金とクレジットカードが入った財布、全ての情報を入れたコンピュータ、免許証、毎日の薬、酸素濃縮機の予備電池、ヨーロッパ丸ピンから日本平型への変換コンセント、飛行機での酸素診断書など。パスポートは胸のポケットに入れていて助かったが、いずれも大切なものばかりだ。茫然自失、大変な事になってしまった。

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スペインと地中海(14) 泥棒にあってどうしたか [スペインと地中海]

泥棒にバッグを盗られて騒いでいると、隣の店から出てきた人が、アパートメント入り口のインターフォンのボタンを押してくれた。返事があり、大家さんは部屋の中で待ってくれていたことがわかった。いくつもボタンがあり、どの部屋かわからないので自分では押しようもなかったのだ。家の前で泥棒にあったことを話し、携帯を使わせてもらうことになった。まずはクレジットカードを止めなくてはならない。

ところが、連絡先その他の情報は全部、盗られたPCの中にある。スマートフォンだったので検索してなんとか連絡がつき止める事ができたから、大きな被害は食い止められる。いったい何が無くなったかというと財布だから、クレジットカードと現金100ドルくらい、それに免許証。更新して30年保持してきたアメリカの免許証だが、紛失すると更新は難しい。酸素濃縮機の電池は4個持ってきたのだが2個を盗られてしまったから、外出時間の制限を受ける。泥棒には何の価値もないはずなのにこんな重いものを盗んでどうするのだ。

もっと重要なのは電源の変換プラグで、これがないと電源が使えない。一個は別に持っていたので酸素濃縮機だけは使えるから、なんとか生き延びることは出来るが、呼吸器と加湿器が使えないのは苦しい。ここで、もっと緊急なものを思い出した。薬だ。1日10mgのステロイド薬は必須で、これを飲み忘れるとたちまちダウンする。ユリーフも必須で、飲まないと小用が出なくなってしまう。他にも10種類の日常薬を飲んでいるが、この2つだけは1日も欠かせない。

土曜日の午後4時。日本では真夜中で明日は日曜日だ。緊急連絡をしたいが難しそうだ。困っていると大家さんがスペインでは処方箋無しでも薬剤が買えると言ってくれた。すぐ近くに薬局があるから急いだほうがいい。スペインでは土曜日は早仕舞いで、日曜日は薬局も休みだ。POCの電池が切れかけていたので気になったのだが、取り替えている暇はない。早速、大家さんの案内で薬局に出かけた。行って見ると、すでにシャッターが閉まっていた。やばい。別の薬局があるからと、そちらに向かった。彼は、背が高く大股なのだが僕は早く歩けない。必死の思いでついて歩いく。おおー、開いていた。日本とスペインでは薬剤の名称が違うのだが、英語がわかる薬剤師さんで、説明してなんとか手に入れることが出来た。

やれやれ、と思ったのだが、ここでアラームが鳴り、酸素濃縮機の電池が切れてしまった。これもやばい。薬局を探して大回りしたが、アパートメントは5分くらいのところだ。大家さんに近道を教わり、連れ合いが電池を取りに行くから、僕は、隣のカフェで、じっとして待つことにした。ところがである。彼女がなかなか帰ってこないのだ。アパートの連絡はすべて僕がしていたから彼女は住所も知らない。パッと飛びこんだから、このカフェの名前も実は僕も見ていない。心配しながら待つこと1時間以上になった。もはや迷子になってしまったことは間違いない。5叉路とか三叉路の迷路のような道だ。おまけに彼女の場合、道の尋ねようもないのだ。

あたりは、薄暗くなってきた。これ以上ここで待っていても仕方がない。ともかく、アパートメントの周辺に戻ろう。酸素無しで、そろそろ歩き始めた。目印として大きな市場があり、その南西の方角になるはずだ。地図はないが僕は磁石を持っている。その方向の道はないので適当に迂回して小道に入ったら道が長い、さらに角を曲がってみたが近づいたように思えない。そこへ、その先の角からひょっこり彼女が出てきた。お互い、道を間違えて偶然に出会ったのである。彼女は迷いながらもアパートにたどり着くことが出来て、電池を持ち出したのだが、帰りにまた迷子になったそうだ。

電池を取り替えて酸素が吸えるようになり、まさしく"一息つけた"。アパートまでの道を覚えているかと聞いたら、覚えていると言うからついていった。ところが、いつまで経っても着かない。今度は二人で迷子になったのだ。彼女は、迷子でウロウロしている内に、いろんな目標物がごっちゃになってしまったらしい。今度は、地図もあるし、磁石もあるから問題はないと思ったのだが、現在地がどこなのかなかなか見出せない。町の人に聞いて見て納得した。僕らは、地図の範囲外にまで迷いだしてしまっていたのだ。

地図をたどりながら帰る途中でわかったことは、市場が4方向に対称に出来ていて、どの方向も同じように見えるし、目標に見ていたレンタル自転車基地は何箇所もあったことだ。これでは迷子になるはずだ。

歩いている途中で、ふと日本語を耳にした。金髪の子が日本語でお母さんに話している。明らかにお母さんは日本人だ。「日本の方ですか?」連れ合いが思わず声をかけた。すかさず僕は、変換プラグがどこかにないだろうかと聞いた。スペイン人には用のないものだが、日本人なら知っているかもしれないと思ったのだ。近くに中国系の雑貨店があり、そこにあるかも知れないということで行ってみると、果たして、あった。良かった。

アパートに着いて、本当に疲れ果てていたので、その夜は夕食もとらずに眠り込んでしまった。偶然に助けられた、またしても「不幸中の幸い」(僕の病歴参照)の一日だった。

翌朝、泥棒にとって役に立つのは現金だけだから、あとの物は返すなどという粋なことをしてくれないものかと、ゴミ箱やあたりの道路際を探して見たがだめだった。パトカーがいたので、泥棒にバッグを盗られたと訴えてみたが、捜査する気はなさそうで、本署に行けと警察署の場所を教えてくれた。警察に行くと、他にも被害者が来ているようだったが、あまり英語を話さず、待合室を指差して待てということのようだった。掲示などを見て、11時になると英語の通訳が来るらしいことがわかった。

かなり待たされたが、呼び出しを受けて聴聞室に通され、通訳が事情を聞いて、スペイン語で被害届けを作成してくれた。犯人の容貌や、手口なども細かく書いた丁寧なものだった。分厚いアルバムを渡され、この中に犯人がいるか見ろといわれたが、凶悪そうな顔が並んでいる中に犯人に似た顔は見つからなかった。結構イケメンの若者だったのだ。

聴聞が終わって待合室に出て見ると、人がいっぱいになっていた。受付の窓口には行列が出来ている。誰かが何人くらい来るのかと聞いていたが、1日300人だそうだ。被害届けを出さない人も多いはずだから、すごい数の泥棒だ。バルセロナは、地元民が5割、観光客が4割で、あとの1割はスリだというジョークは現実のものらしい。

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スペインと地中海(15) 港とラブランス通り [スペインと地中海]

盗難でPCがなくなったのが痛い、いろんな情報はPCの中だったし、wifiを見つけてネットで検索を予定していたから、極端な情報不足になってしまう。不幸中の幸いだったのは大事なものは分散していたことだ。パスポートは胸ポケットだったし、クレジットカードも、一枚はズボンの前ポケットに入れていた。危機に陥りはしたが昨日の対応がうまく行ったので、あまり行動に支障はなさそうだ。電池の数が減ったので外出時間が短くなるが、6時間あればなんとかなる。気持ちの上で落ち込みはしない。むしろ危機を切り抜けた達成感に満たされてしまうという妙な具合になってしまっている。

警察署を出ると、もう昼過ぎになっていたので、目に付いたカフェのような店で食事を取った。小さな店だったが明るく居心地のいいところで、カウンターに小皿が並べてある。美味しそうな皿を選んで食べることができる。いわしの煮物がサービスでついてきた。帰りのため、地下鉄の駅を訪ねたら、港のすぐ近くに来ていたことがわかった。少し歩くとコロンブスの記念碑があり、はるか海の彼方を指差している姿が見えた。昨日は急いで通り過ぎたが、港の情景はなかなか良いものだ。

クリストファー・コロンブスは、ジェノバの人だからイタリア人である。彼の冒険のスポンサーとなったのがスペインのイザベラ女王であり、このバルセロナから出発した。世界を一つにする糸口となった画期的な出航だった。高い塔の上に立ち、海図を片手に、果てしない海を乗り越える強い意志を表現した像は、1888年の万博を記念して建てられたものだそうだが、なかなかの傑作だと思う。しかし、コロンブスに対しては、山師、奴隷商人、殺戮者といったネガティブな評価が多くなっている。

ここから北に続く広い道がラブランス通りである。銀座と浅草を一緒にしたような通りで、歩行者天国になっている。両側には一流のホテルや店が並び、中ほどには屋台や露店が軒を並べる。大道芸人もあちこちにいる。お土産を物色しながらぶらぶら歩いて行った。古い建築のビルも見られ、これも目を引く、ガウディの作ったカサ・バトロに至ったが、内部を見るために長い行列が出来ていたので、外見だけ見て引き返した。建物の表面を、色つきの曲面で覆った芸術作品的な建物だ。

歩きくたびれたし、POCの電池残量も心配だから、一旦アパートに帰って休むことにした。バルセロナは地下鉄がよく発達している。T10チケットを持っておれば、料金とか気にせず気軽にどこへでも行ける。アパートが駅近なのは助かる。夕方食事をしに表にでたが、日曜日は市場も休みらしい。裏通りもなかなかにぎやかで、小さなお店がいっぱいある。八百屋、果物屋、肉屋などがあちこちにあって、スーパーマーケットに負けていない。大きなスーパーはなく、むしろコンビニといったほうがいいような「よろずや」だ。

空いてそうな店に入ってカラマリとイベリコ、サラダを注文した。カラマリはイカの輪切りをフライにしたもの、イベリコはイベリコ豚の生ハムだ。刻み野菜のオイル漬けのようなものがサービスされて、これと生ハムをパンに乗せて食べるのがカタロニア風なのだそうだ。絶品である。イカフライも非常に美味しかった。

アパートは1LDKで、なかなかきれいに出来ていて、思いがけなく、あらゆる設備が整っていた。冷蔵庫、レンジ、コーヒーメーカー、洗濯機、トースター、キッチンにはもちろん鍋や皿などそろっているだけでなく、調味料もずらりと並んでいるし、コーヒー豆も置いてある。wifiも整備されていてなかなか快適だ。しかし、PCが無いからwifiは役に立たない。よっぽどPCを買おうかと思ったが、スペイン語版ではどうにもならない。

ここで、もうひとつ問題が起こった。POCのカートが壊れてしまったのだ。ネジが外れたらしく。取っ手が取れてしまった。POCを引いて歩けなければ、出かけることは難しい。アメリカ製だからインチネジで、ヨーロッパや日本では手に入りにくい。思案に暮れたのだが、修理を思いついた。ネジの変わりになるものを差し込めばいい。ゼムクリップがあったので、これを折り曲げて少し太いピンを作った。万能ナイフを持っていたのでペンチとして使えた。旅先でこんなものが役に立つとは思っても見なかったのだが、持ってきて良かった。

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スペインと地中海(16) サグラダファミリアと市場 [スペインと地中海]

バルセロナに来てサグラダファミリアを見ないわけには行かない。とは言うものの、実は僕は30年前にバルセロナに来て見ずに帰った実績がある。会議で忙しかったからではあるが、当時、それほど有名なものでは無かったかの様にも思う。訪問者が増えて財政が好転したのは90年代になってからであり、2000年代に世界遺産に登録されてからは、スペイン第一の観光地になっている。拝観料で建設を進め、2030年頃には完成の予定だそうだ。

お寺とか大聖堂といえば、昔のものに決まっており、現代建築で作っても有難味がない。もちろん、現代の技術を持ってすれば、法隆寺と同じような建物を建てることはできる。しかし、それはパロディーに過ぎない。ホールとしての大聖堂の機能を満たす建築となればそれは容易いことだが、結局のところそれでは、荘厳さに欠けることになるだろう。ガウディの偉いところは荘厳な現代の大聖堂を設計したところにあると思う。決して古くさくなく、決して薄っぺらにならない、そういった要求を満たす大聖堂を考えたものだ。

サグラダファミリアの地下鉄駅があり、駅を出ると目の前にある。入場の行列が出来ていたので並ぼうとしたら、「切符をもっているか」と聞いてくれた。この行列は切符を持った人の行列で、切符売り場は反対方向にある。そちらは、さらに長い行列で、いつ買えるともつかない。ネットで切符を買うのが賢いとは調べてあったのだが、PCが無くなったのだから仕方が無い。並んでいると整理係りの人がこっちに来いと別の窓口に案内してくれた。障害者用の短縮窓口があるのだ。切符は買えたが、3時間後の入場になっている。入場者の人数制限をしているから、時刻毎に切符の枚数が限られているのだ。

この3時間をゴシック地区の散策に当てることにした。バルセロナには中世からの旧市街がある。勝手がわかってきたので、メトロで移動してゴシック地区に行く。インフォメーションで詳しい地図を手に入れたのだが、それでもわかりにくい複雑な道だ。お目当てはカテドラルの見学だ。古びた感じの中庭がなかなか良い。回廊には様々な像や絵画があるが、珍しいのは「黒いマリア像」だ。イエスキリストはパレスチナの生まれだし、その先祖はモーゼに連れられてエジプトからやってきた。だからマリア様の肌の色は黒いのが正しい。黒い聖母は、あちこちにあって、このあたりでもモンセラート修道院のものが有名だが、ここにもあるのだ。手のひらに玉を持ち、その顔立ちは仏像に近い。ゴシック地区というのは、町並み自体が中世であり、建築としてはサンタマリア寺院が美しい。

サグラダファミリアに戻り、入場を果たした。たしかになかなかすごい。ステンドグラスは色のグラデュエーションをあしらい、聖像は現代アートになっている。100年近く前の設計であるはずなのに、芸術として全く古さを感じさせない。それでいて、古い建築にしか見出せない荘厳さを演出している。今も工事が進行中で、クレーンやショベルが動いている。窓の外をセメントを積んだリフトが昇っていく。ショップがあるのだが、しゃれたデザインのアクセサリなどが売ってあってお土産に良い。

アパートに戻り、市場に買出しに行った。新鮮な魚があり、タイを買ってきて塩焼きにした。野菜も豊富で、インゲン、アスパラ、にんじん、たまねぎなどが買えた。ジャガイモが特に美味しく、ソーセージや生ハムはもちろん安くて美味しい。レストランでの食事には飽きてきていたので、家で食べる手料理でとても満足な気分になった。荷物の合間に箸を入れてきたのだが、これは良かった。タイを食べるのにナイフとフォークでは、あまりにも不便だし、味気ない。

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スペインと地中海(17) グエル公園 [スペインと地中海]

ガウディは友人グエル氏と組んで、バルセロナの北部丘陵に高級住宅地を開発しようとした。住宅だけでなく、周りの環境も芸術的センスで整えようとしたのだ。自分の家もここに建てて住むつもりだった。しかし、交通が便利と言えない所だったためか。計画は完成しなかった。その後、市が用地を買い取って、小学校を作り、残された所がグエル公園となった。バルセロナの町を見渡すロケーションにあり、木々に囲まれた公園は、それ自体がガウディの作品である。建物やベンチもカラフルで、趣のある回廊が配置されている、色とりどりのトカゲとか、他では見られない変わった公園が楽しめる。

確かに、いまだに交通は便利ではなく、最寄のメトロ駅からは相当歩かなくてはならない。しかも登り道だ。大家さんの教えてくれる所によれば、近くに24番バスの停留所があり、このバスがグエル公園に行くということだった。インターネットが使えれば詳しく調べることも出来るのだが、PCを盗まれてしまったから仕方が無い。そこに行ってみると24番バスが来た。しかし、どこで降りたらいいものか、地図とにらめっこしながら30分あまりも乗った。運転手は英語をしゃべらないのだが、「Guel Park」だけは通じたようで、座っていろと言う様子だった。何度か降りかけたが制止され、降ろされたたところは公園の入り口だった。バスはもっと遠くまで行く。

ここも、入場制限があるから、あらかじめネットで予約しておくべきだったのだが、PCがない悲しさで、窓口で買った券は2時間後の入場だ。しかし、グエル公園には有料区域だけでなく無料区域もあって、ここも結構楽しめる。道端には、風呂敷を広げて少しばかりのみやげ物を並べる露天商が出ている。値段は2ユーロとか、すごく安い、多分品質は最悪だろう。にわか雨が降ってきたら、この露天商がいっせいに傘売りになったのが面白かった。

昼時になったので、カフェでパニーニのようなものとコーヒーを注文した。雨宿りをかねての食事だったが美味しくはなかった。相席になったカップルはオーストリアから来たという。6週間のドライブ旅行だそうだ。何日の旅行かと聞かれたので12日と答えたら、「え、はるばる日本から来て12日だけで帰るのか」と驚かれた。日本では12日の旅行と言えば長いのだが、どうも日本の常識は根本的に間違っているような気がしてきた。

さて時間が来たので、有料区域に入場だ。要するに変わった公園で面白いと評するばかりだ。色つきのタイルで覆ったトカゲなんて発想がどこから出てくるのだろう。どこもかしこも曲面構成だから、実際に工事をする人たちは大変だっただろう。

スペイン人は陽気だ。広場に「Free Hug」と書いたプラカードを持った女の娘たちが集まっていた。誰でも手を上げれば抱きついてもらえる。知らない人に抱きついては、キャーキャー騒いでいた。やはり、抱きつかれても悪い気はしないだろうと自信を持っている娘達だけに、結構かわいい娘がそろっていた。

またバスに乗って帰り、今日も市場だ。メバルを買ってバター焼きにした。野菜も美味しかったし、パン屋さんでは、美味しいクロワッサンを買うことができた。安い!

明日で旅行も終わりだ。空港まで、メトロと鉄道とシャトルを乗り継いで行くことにした。当初、空港バスに乗るつもりだったのだが、市場で最後の現金を使ってしまい、6.25x2ユーロが払えなくなったからだ。メトロと鉄道なら1.25ユーロで、しかもT10カードの残りがあるから、空港で飲み物を調達するお金が残る。大きな荷物を持って、何度も乗り換えるのは大変だったし、道も良くわからなかったのだが、時間はあったのでなんとかたどり着けた。少し英語をしゃべる人さえ見つければみな親切で楽しい。グループの若者たちがいて荷物を持ってくれたりした。こんないい人たちばかりなのに、何で泥棒がいるのだろうかと思った。

飛行機はスムーズで、ドバイで乗り換え、無事に帰宅することが出来た。ドバイ乗換え便は確かに長いのだが、ここまで長いと寝つきが悪くとも必ず寝られるから、その点では悪くも無い。成田からはバスなのだが、泥棒に障害者手帳も盗まれてしまったから、割引は無しだ。楽しく旅が終えられたのだから、それに不満を言うこともない。

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スペインと地中海(18) 海外旅行での服薬と保険 [スペインと地中海]

最後に服薬と保険のことを書いておこう。

僕が飲んでいる薬は、服薬時間が厳しい。12時間毎に飲むのだから朝晩10時に飲むことに決めている。しかし、海外旅行で時差があるときはどうだろう?まさか、あくまで日本時間に合わせて、真夜中に飲むわけにもいかない。少しずらして調整する必要がある。これをどう考えるかで頭を悩ませてしまった。

朝10時に飲んで出発する。翌日の夜10時は現地時間で飲むとする。この間の時間は、日本におれば36時間だ。ところが時差が7時間あるから、36+7=43時間になる。この間2回飲むとすれば、14時間20分、3回飲むとすれば10時間40分が飲む間隔になる。12時間に近い3回飲みにした。帰りは7時間引いて計算すると。2回で10時間20分、1回で15時間30分だから、2回飲みにした。整理して考えればなんと言うことは無いのだが、時差と両方の時刻それにドバイの時刻を考えているとごっちゃになってくる。機内食の時間などもあわせると、ああでもないこうでもないと、結構時間をとられた。服薬計画は早い目に!

泥棒に荷物を盗られたのだが、保険がどのようになったかも書いておかねばならない。僕は、通常、クレジットカードに付帯する海外旅行保険だけで済ましている。内容が、どうなっているかを詳細に見たことはなかった。今回、連絡を取ってみて全く役に立たないことがわかった。多くは、「死亡」「怪我」「急病」だけのもので、盗難には対応しない。しかも、旅行費用を、全部そのカードで支払った場合だけと書いてある。「全部」をどう確認するか?「旅行社のパッケージツアーに限ることになります」には驚いた。個人の旅行は対象外なのだ。今回はクルーズが含まれていたので、この部分はパッケージだと言って見ようかと思ったのだが、まだ条件があった。買ったときの領収書と持っていたということを証明する写真がいる。そんなものあるわけがない。

実は、今回初めてのことだが、保険に入っていた。クルーズを申し込んだ時に勧められてCSAと言う保険に入ったのだ。申し込みが何ヶ月も前だったので、ガン患者としては、体調が悪くて出発できない可能性が否定できなかった。飛行機が遅れて船に乗れなかった場合をも含めて、この保険に入っておけばキャンセル料が払ってもらえる。ドバイ乗り継ぎだと3時間の遅れとかありそうな話だ。船の中で船医に見てもらったときの費用もカバーする。二人で49ドルだから、まあいいかということになった。

あとで調べて見たら、携行品もカバーしている。クルーズの保険で、泥棒にあったのは下船してからのことではあるが、下船当日なので含まれるらしい。こちらは写真など必要なく、領収書も、無ければ減額にはなるが、支払いはある。電池やバッグはアマゾンで買ったものだったので、買い物履歴から5年前に買った時の価格も出てきた。必要と思われる書類をメールで送ったら、なんと次の週には$660のチェックが届いた。素早い。残念ながらPCや携帯は対象外らしい。古いものだから市場価格はゼロみたいなもんだ。ただ中のデータが惜しいだけだ。

そんなわけで、泥棒の損害も金銭的には、かなり相殺された。またしても「不幸中の幸い」だ。

<スペインと地中海 (完)>



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