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紀伊半島一周(1)---松阪牛を食す [紀伊半島]

2月18日から4泊で紀伊半島一周の旅をしてきた。少し旅をして見たかった理由は、ハイブリッドの車で遠出をして見たかったし、知らない土地でGPSナビゲータを使って見たかったことが大きい。確かにGPSの威力は大きかったし、インサイトは5日間平均で22.5km/Lの燃費を記録してくれた。

一月以来インフルエンザに罹ったり、転倒して膝をいためたりして、それが回復した今が、旅行のチャンスだとも思った。僕は海辺の育ちで基本的に海の景色が好きだ。波が寄せたり引いたりするのを見ていると、いつまでも飽きないと言う人だから当然紀伊半島には興味がある。漠然と考えたのは、紀伊半島は温暖な場所だから、2月の寒い時期に行ったほうがありがたみがあるのではないかということだ。どうせ、海に入って泳ぐなどと言う事は出来ないから夏の混雑期に行く必要はさらさらない。

結果的には、2月の後半はベストシーズンだった。的矢湾の牡蠣に遅くなく、南部の梅に早過ぎないのは、実はこの時期だけであった。土曜日の午前は病院に行き、午後からの出発である。初日は、半日で常磐道、首都高、東名を乗り継いで紀伊半島まで行こうとするのだから強行軍ではある。ま、ミエさんと交代で運転するから大丈夫だろう。何の予約もなしに、車に酸素機械を積み込んでの出発だ。いきあたりばったりが、旅の醍醐味なのだ。

土曜日の午後は首都高も混まない。全く渋滞知らずで通り抜け、久しぶりに東名を走った。これまで、少しでも景色の良い中央道ばかりを使っていたのだが、笹子トンネルの事故で今回は東海道に変更した。どちらも名古屋までの距離は変らないのだが、伊勢に行くとなると、名古屋を避けて湾岸を通る道があるから東海道の方が少し近い。

最初の目的地は松阪である。どうせ着くのは夜だから寝るだけの宿でよい。「東横イン松阪」にする。この手のビジネスホテルは、部屋あたりの料金になっており、二人で使うと非常にコストパーフォマンスが良い。一応の快適性は確保されているから安心でもある。

e-mobileのポケットwifiを持っていったので、走りながらネットで検索し、松阪牛を食べさせてくれる焼肉店「一升びん」で夕食にする。ネットで調べた電話番号をナビに入力すると、知らない町の夜でも、間違いなく案内してくれる。これは便利だ。地図とにらめっこでは、後ろから警笛を鳴らされて大変になるところだ。

「一升びん」は飲み屋とも見まがう名前だしホルモンなども食べさせるような庶民的な雰囲気の店だが、注文に肉のグレードが入る。A-5とA-4で値段が違う。知らなかったのだが牛肉には三等級5段階のグレードがあり、ちなみに焼肉チェーン店の肉はC-2だと言う。

A-5のコースを注文した。古びたテーブルの上に、炭火を入れた七輪がドンと置いてあり、金網がかかっている。これに肉を載せて焼く仕掛けだ。肉を置くと油がたれて火が燃え上がるし、煙も出る。天井にはもちろん換気扇が付いている。A-5の肉がどんなものなのか口にして見たら、------うまい。 柔らかくて、口の中で溶けてなくなってしまう感じだ。

コースなので、カルビやホルモンも出てくる。これがまたうまい。僕はどっちかと言うとホルモンなどゲテモノは遠慮するほうなのだが、ここのホルモンで見直した。普通の肉より味がある。

腹いっぱいになり、ホテルで寝る。初日はまずまずの成功だった。明日からの日程はどうなるだろう。
牛肉のグレードで注文取っている、松阪の町焼肉の店
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紀伊半島一周(2) 伊勢神宮 [紀伊半島]

松阪を起点に紀伊半島を一周するのだが、近くにある観光スポットとなれば、それは伊勢神宮になる。無神論者だから、お参りというわけでもないが、およそ神社としてこれほど有名なものも無いのだから、見ておく必要はあるだろうと思った。シーズンオフの閑散を期待して行ったのだが伊勢神宮の駐車場に向かう道は、朝10時であるにもかかわらず、すでに長い行列が出来ている。これはダメかと思って帰りかけたが、運良く少し手前の会館駐車場に空きが出来て、うまく止められた。

これなら入り口にもたいした距離ではない。寒い中をコートを着て歩き出した。境内は玉砂利が敷いてあり、ざくざくと言う参詣客の足音が響く。この寒い時期だというのにこの人出はなんだろう。伊勢神宮とはこんなにもポピュラーな存在なのだろうか。あとでわかったのは、この日はなんでも一年の無事を祈願する、特別な日であったらしい。黒田なんちゃらと言う元皇妃がお参りに来ていた。

伊勢神宮の境内は広い。入り口から正宮までかなり歩かなければならない。その上、途中で衛視にストップをかけられてしまった。神官の行列が通る時には一般人は横によけるようになっているのだ。しかし、神主を先頭に数十人の神官行列を見られたのは興味深かった。白装束なのだが、ただ一人赤いはかまを履いている女性がいてこれが元皇妃だということであった。

かなり急な階段を上がって正宮に着いた。どんな立派な神殿かと思ったら、白木の茅葺の小さな祠だ。平安神宮のような派手さは全く無い。しかし、木の材料は一級品のようでなかなか凝ったものではある。普通の神社ではないということで、例えば賽銭箱もない。一般人からは賽銭を集めないらしい。確かに、日本古来の神道を残した神社ではある。木々はうっそうとしているが、掃除は行き届いておりすがすがしい。ジングウスギや暖地性シダ群落などの貴重な自然が残る場所でもある。

正宮の垣根から中には、入れてくれないのだが、中庭は見える。先に行った神官たちがそこでなにやらお祈りをしているらしい。件の元皇妃、黒田さんも中庭で神殿に向かって土下座している。写真を撮ろうとしたら衛視が飛んできて撮影を止められた。どうも、元皇族の土下座姿は写真に撮らせない方針のようだ。皇族もこの寒空の下で地べたにひれ伏したりするのは結構大変だからご苦労なことだ。やはり、自分の先祖の霊がここにあると信じているのだろうか。

これでも閑散期だろうから、行楽シーズンに伊勢神宮参りはかなりハードだし、車椅子の人も玉砂利には閉口するだろう。江戸時代からお伊勢参りが盛んな理由は当然周囲のアトラクションのせいだろう。境内に続いて「おかげ横丁」というおみやげ物ゾーンがある。浅草の仲見世みたいなものだが、少し品が良いし、規模も大きい。昔からお伊勢参りの人々が楽しみにした「てこね寿司」、「伊勢うどん」などの店も並んでいるし芝居小屋もある。餅屋としては赤福餅が有名だ。今や赤福餅は全国チェーンだが本拠はもちろんここにある。この寒さの中でも、露天に床机を出して火鉢が置いてある。昔からの伝統なのだろう、火鉢に当たりながら餅を食べている。

玉砂利を踏みしめ歩く音ひびき、二月の寒さに身をちぢめつつ
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紀伊半島一周(3)----的矢の牡蠣 [紀伊半島]

伊勢・志摩は国立公園であるが、私有地が90%であり公園といってもはっきり境界があって国が全て整備しているわけでもない。アメリカのイエローストンなどとは取り扱いが異なる。しかし、入り組んだ湾の織り成す海の景観が優れており、このあたり一帯がすべて美しさの中に取り込まれているのが魅力だ。

最近はアトラクションも増えて、パルケエスパーニャ(スペイン村)などと言う遊園地もある。近鉄資本がディズニーランドに対抗すべく力を注いでいるので、人出が少ない割りに充実した内容があるというから覗いてみたかったのだが、さすがにこの時期は休園中だった。

海岸伝いに車を走らせて見た。二見浦(ふたみのうら)は、昔から名高い朝日の名所であるが、注連縄(しめなわ)を張り巡らしたただの岩でしかない。海なのになぜかガマが祭ってある。神官に尋ねて見たら、出雲から大国主命が伊勢に来るときにガマが出てきて案内した故事に拠るというのだが、海に詳しいガマなんておかしいという疑問は払拭されない。

もっと海らしい雄大な景色は大王崎にある。多くの画家がここの景色を題材にして絵を描いたようで、岬には写生をしている画家の像がある。この像をスケッチしている人を描けば3重スケッチになって面白そうだなどと馬鹿なことを考えて見た。断崖絶壁に灯台があるが、暗礁・岩礁が多く、昔はこの岬を回る所は一つの難所だったらしい。

こういったところを回りながら、海の景色を楽しみ、今夜の宿「民宿丸定旅館」にチェックインした。インターネットで調べると、牡蠣を食べさすところは的矢湾に3箇所くらいあるが、9000円で泊まれるのはここだけだ。湾にかかる橋の袂から急な坂道を曲がりくねって降りていく。道を間違ったかとも思えても細くて引き返しもできない。しかたなく降りきって見るとそこに丸定の看板があった。昔は対岸から船で来るしかなかっただろう。

牡蠣の養殖が出きる海は、全くと言って良いほど波がない静かな海だ。入り組んだ湾が外海の波を防いで、湾内では牡蠣筏や青さの柵があちこちにある。伊勢でも的矢湾は大粒のおいしい牡蠣ができることで有名な場所だ。しかし、昔は江戸回船の避難港としての役割の方が大きかった。回船はここで何日も日和を見て、順風を待って一気に遠州灘を越えるのだった。だから、的矢には多くの船宿があった。今や、港としては完全に寂れてしまっている。

実はこの丸定旅館は、壺井栄の紀行文「伊勢の的矢の日和山」に出てくる。祖父の墓を探しに行ったが結局見つからなかったと言うだけの話なのだが、その昔、小豆島から江戸へと向かう回船があったこと、航路途中で死んだ船乗りの妻が、貧しい暮らしの中で墓参りも出来ず年をとり、繰り返し孫に夫の墓の話をして聞かせることなど、郷愁を誘う文面とリズムの良いタイトルが印象的な作品だ。

壷井栄が、そのとき泊まったのは「定吉旅館」だが、定吉の次男が後を引き継いでいるのがこの「民宿丸定旅館」なのだ。てきぱきとした感じの女将が迎えてくれ、部屋に案内してくれた。8畳の和室で古いが清潔に保たれている。ところどころに花が飾ってあり、手作りのお雛様もある。大女将の作品らしい。この大女将が「伊勢の的矢の日和山」に出てくる「赤ん坊をだいて出てきた若い女」だろうか。女将もなかなかしっかりしている。牡蠣のことや壺井栄のことなど話してくれた。客に「お客さん」などと言わず、必ず名前で声を掛けるあたり、なかなかのものだ。

的矢の牡蠣は真珠貝の養殖中に付着した牡蠣から始まった。牡蠣筏から垂直に吊り下げる方式はここで開発された。昔、牡蠣は海水中の雑菌を吸収して、食中りの原因になることが多かったのだが、紫外線を照射した海水で浄化する方法を考え出したのも的矢だ。そのため的矢の牡蠣は高級品としてブランド化されている。

夕食は牡蠣づくしだった。2月は牡蠣の一番おいしい季節だし、地元的矢の牡蠣はうまい。牡蠣の煮物、牡蠣フライ、牡蠣の吸い物、牡蠣飯、牡蠣のグラタン、牡蠣の茶碗蒸し、牡蠣の苞葉焼きなど、あらゆる牡蠣料理が出てきた。牡蠣の料理はこんなにも色々あるのか。食べきれないくらいだった。

波は無く静かな海に筏浮き、向かいの岸辺薄き夕暮れ
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紀伊半島一周(4)----熊野古道とマグロの町 [紀伊半島]

的矢湾を後にして南へ行く。あいにく朝から小雨が降っている。紀伊半島を回る幹線は国道42号熊野街道だが、しばらくは海沿いの290号を通ることにした。海辺の集落を結ぶ道だ。

集落は入り江の奥にあり、次の入り江までは山道になる。トンネルになっていることも多い。○○遂道などと名前のついた古いトンネルがある。下ればまた湾の奥に集落がある、そしてまた山道を登る。湾の出入りと共にこれを繰り返す。昔は道も無く船で行きかいしていたのだろう。

海の景色を観ながら尾鷲に着いた。この地方の道の歴史は古く、本宮・速玉・那智の大社を結ぶ参詣道は熊野古道と言われ、世界遺産に登録されており、尾鷲に熊野古道センターがある。なぜ尾鷲なのかと言うと熊野と伊勢を結ぶ伊勢道の基点が尾鷲だからだ。

伊勢道は国道42号線と重なる。道と言うのは生活手段だからどんどん変わって行き、昔の面影は残りにくいものだが、山岳地帯であるため、トンネルが掘られた結果、峠道は古いままで使わず残されてしまった。今でも古来の石畳が峠道には残っている。それが世界遺産というわけだ。

同じ古道でも紀伊路は全て改修されており世界遺産からは、はずれてしまった。熊野古道センターは豪華に檜を使った立派な建物だが展示してあるものは、単なる解説資料に過ぎない。面白かったのは修験道に関することで、地獄極楽といった仏教本来の考え方からは外れた日本の宗教常識が山伏たちによって普及されたということだ。祭礼などで曼荼羅を掲げて解説して歩いた。

尾鷲からは熊野街道を通るつもりだったが、海岸沿いの311号に入ってしまった。海辺の細い道をトロトロ走ることになったのだが、どうせ急ぐ旅ではない。松阪牛に続いて牡蠣と食べすぎ気味であったので、昼は手持ちのクッキーとコーヒーで済ますことにした。

賀田湾の所で寂れた港があったので入り込んで魚市場跡の屋根を借りてコーヒーを沸かした。車にはカセットコンロが積み込んである。数隻の漁船が停泊していた。船の様子を見に来た老人が声を掛けてきた。やはり、昔は魚市場のあった所らしい。今では過疎で漁師がいなくなり、漁船は楽しみで使っているだけだそうだ。漁業も費用ばかりかかり魚の値段と引き合わない。話を聞いてくれるのが嬉しいのか次から次へとなかなか終わらない。

なんとか切り上げて今日の宿泊地、勝浦に向かう。ネットで調べて「勝浦観光ホテル」を急遽予約した。「わけあり3999円」と言うことであった。聞いてみたら、わけありと言うのはアメニティー無しということで、部屋自体は眺めも良い立派なものだった。タオルや寝巻・歯ブラシ、そんなものは持参しているから、どうせいらない。

勝浦はマグロの町。築地という地区が港にあってマグロを食べさせてくれる店がたくさんある。観光シーズンではないから閉まっている店も多かった。「お食事処 おがわ」と言うのが営業していたのでここで夕食をとった。分厚い刺身の切り身がどさどさと並んで出てきて、さすがに新鮮でおいしかった。結局本日も食べ過ぎ状態は解消されずに終わった。

小雨降る港に船の姿見え、コーヒーの香りやすらいでおり
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紀伊半島一周(5)---鯨と古道 [紀伊半島]

朝から小雨が降っていた。こんな天気では水平線も美しくはない。かといって、室内で過ごすわけにはいかないから、博物館の類がいいだろうということになった。太地浦に向かう。

この辺りは熊野水軍の根拠地で、源平時代に活躍する海賊組織が発達し、それが鯨組という捕鯨組織に転じた。江戸時代には何十艘もの鯨舟を繰り出し、網で捕獲して銛で突く古式捕鯨が盛んに行われた。太地町は捕鯨の町なのだ。「くじら博物館」がある。

「くじら博物館」には鯨の標本など多くの実物と、歴史資料もあり興味深かった。それによると太地の捕鯨は明治11年に一度壊滅している。

くじら漁は、捕獲すれば利益も大きいのだが、鯨が見つからなければ、多くの人が無収入になる浮き沈みの大きな漁業だ。不漁が続いたあとは無理をせざるを得ない。明治11年の「大背美流れ(おおせみながれ)」は無理から起こった惨事だった。

巨大なセミクジラを発見し、これに立ち向かうかどうかで意見が分かれた。子連れで気が荒くなっている巨大な鯨は、当時の古式捕鯨では危険この上ないものだった。しかし、生活に追い詰められていた漁師たちは、意を決して捕獲に向かった。早朝から鯨を追って20kmの沖合いに出て、苦闘の末、鯨を仕留めた時には日が暮れていた。

12月で波も荒くなっており、重い鯨を曳航しての帰路は困難を極めた。海流に流されいくら漕いでも陸地は遠ざかるばかりだった。危険を感じて涙ながらに仕留めた鯨を捨てたが、時既に遅く、小船は海流にますます流されていく。漕ぎ戻るにも、蓄積疲労は極限に達してしまっている。

鯨舟は次々と荒波にのまれ、帰還できたのは一艘だけである。伊豆に流れ着いた者も含めて13名が生き残っただけで、他の101名が命を落とした。太地の鯨組はこれで壊滅した。一気にほとんどの働き手が無くなった太地村は涙に暮れる女たちだけの村になってしまった。大背美流れの話は今も太地に語り伝えられているという。

一度滅びた捕鯨が復活したのは明治32年になってからで、山口で始まった会社組織によるものだった。鋼鉄機動船を用い、ノルウエー人の砲手を雇った商業捕鯨であったが、鯨組の漁師たちもこれに雇われて行き、次第に近代鯨漁を身につけていった。太地にも東洋水産が進出してきた。戦後の捕鯨オリンピックの時代にも太地からは多く出漁し、今も小規模なイルカ漁が続けられている。

くじら博物館を見終わって、さらに南に向かったのだが、潮岬には行かず山道に入ることにした。司馬遼太郎が「街道を行く」で古座街道について書いていたのが気になったので、古座川を溯る道に入った。かなりの水流がある緩やかな流れだが、緑がかった水の色が美しい。

川沿いに上って行く。ここでは大きな一枚岩と言うのが珍しい景観だ。熊野の火山活動でできたマグマが固まり、侵食を受けて地表に出てきたものだが、川の対岸の山一面が一つの岩でできている。古座川の周辺にはこれだけでなく、虫食い岩などさまざまな奇岩がある。

一枚岩の前は道の駅になっており、ここで「うずみ」を食べて昼食にした。シイタケや昆布でだしを取った汁に豆腐などを入れ、ご飯をよそってネギなど4種類の薬味をのせたものだ。ゆずの香りが効いている。汁にご飯を埋めるから「うずみ」だと説明してくれた。この地方のどこにでもあるわけでなく、平井部落だけに伝わる伝統料理と言うことだ。不思議なことには、広島や京都にも「うずみ豆腐」と言うものはある。

岩に降る小雨集まり滝となり、緑の水に流れ込みあり
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紀伊半島一周(6)---白浜温泉と南部梅林 [紀伊半島]

胡座街道から42号線にもどり、最後の宿泊地白浜に向かう、白浜は観光地であり、食事や宿泊に困ることはないだろうと甘く考えたのは失敗だった。旅行というのは、いつでも情報収集に努めなければならない。手抜きすると足元をすくわれる。紀伊半島も南端になるとe-mobileも苦しく、なかなかつながらないのでつい、いい加減になってしまった。

勝浦のホテルは安くて快適だったので、適当に検索して安そうな「ホテルシラハマ」を予約したが、駅前に近い古びた民宿のような所だった。8畳の和室は薄暗く、3階まで階段を登らされる。風呂は地階にあり、これまた上り下りが大変だ。布団は勝手に敷けというが、押入れには煎餅布団が二枚しかなく、これでは寝るにも背中が痛い。3階にしか部屋がないのかと交渉したが「他に空いた部屋はない」との返事だ。しかし、入り口には我々以外の靴は無い。シーズンオフに満室になるはずがないのだ。

どうもここは、老齢の夫婦が手抜き営業しているようだ。一週間に一回、外注で掃除が入り、少ない旅客を順次部屋に入れるだけの営業のようだ。だから空き部屋も掃除されていないから使えないのだろう。廊下も埃がたまっている。もう少し調べれば、簡保の宿とかもあって、安い料金で快適に泊まれたのだ。

観光地とはしたたかな所だ。もう一つ失敗があった。白浜の名所三段壁を見ようとナビを頼りにちかづいたら、大きな看板で「三段壁駐車場」とある。そこに入ったらみやげ物屋で有料だと言う。仕方なく駐車料金を払って見物することにした。ところが、三段壁はそこからまたしばらく歩き、近くには空き地があって車も停められるのであった。

三段壁も千畳敷も美しい絵葉書的な景観で、さすがは観光地の名所だとは思ったが、何しろ海風は寒い。見物もそこそこに引き上げてしまった。三日間ごちそうをたらふく食ったので胃ももたれ気味だったので、夕食も軽くしようと思った。駅前の道を歩いたのだが、どこも休みが多い。結局、ラーメン屋を見つけての夕食となった。和歌山ラーメンは醤油ベースのとんこつ、白浜ラーメンは魚スープの塩味だった。

翌日は、南部に立ち寄り梅林を見てから、帰路につくことにした。南部まで行ったのだが、梅林は山に広がって存在する。なので、ナビは山の真ん中を目指すことになってしまったらしい。細い道に入り込み、行き止まりになってしまう。ナビの画面に道が出ないのだから仕方が無い。ナビは道として登録されている所しか認識しないのだ。

「車で行く梅林コース」と言う看板があった。これこれと思いその方向に行くと、細い道が急斜面を登って行く。看板には「マイクロバスは通れません」と注意書きがあったが、本当に細い。どんどん山を登って行き、登ると共にあたりが梅ノ木だらけになってきた。どうも、梅摘みの軽トラのための作業道らしい。右は崖、左は側溝だから運転するほうは梅の花どころではない。

とうとう山の頂上まで来た。見渡すと周りの山々も全部梅ノ木でできている。水戸の梅林とはまったく規模が違う。梅の香りも良いし運転の事さえなければ楽しめるコースだ。この道は結構長かった。二山くらい越えてやっと普通の道に出た。

これで、観光は終わりだ。4泊5日の楽しい旅だった。今日は夜までかかって、筑波まで走る。阪和道から名阪国道、そして東名、首都高、常磐道だ。こういった旅を楽しめる健康状態を感謝して筆を置く。


旅に出て、楽しむ余裕を感謝して、帰路の夜道のハンドルを執る
紀伊半島一周 終わり
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