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(1)なぜ沖縄なのか [沖縄旅行]

沖縄は日本で最も外国的な所だ。正式に日本国の領土となったのは高々40年前のことでしかない。違う角度から日本を見るためには沖縄に行く必要がある。冬も近づき寒くなった今、のんびりと楽しめるところはやはり沖縄だろう。11月にもなるとシーズンオフで切符も安くなっている。一泊(弁当、朝食つき)4日で31,800円、残りの2泊はポイントを貯めたタダ泊になる。どっちみち、海で泳いだりは出来ない年寄り障害者だから真夏に行く必要はさらさらない。

沖縄と言う島には大きな特徴がある。それは小さいながらも平野を持っていると言うことだ。大抵の島は火山島であり急峻な地形で覆われている。ところが沖縄、特に南部は、農耕ができる平地が多い。だから古くから文化が開け、琉球王国という独立国を形成したのだ。中国と日本の中間にある地理的な位置も文化の形成には役立っただろう。
このあたりは他の島と大分事情が異なる。台湾には沖縄ほどの文化発展はない。火山性の島だったからだ。佐渡島にも独自の文化は沖縄ほどではない。本土に近すぎるし、平地も少ないからだ。

政治的にはやはり小国は弱い。中国にも朝貢したし、江戸時代には薩摩藩に屈服した。しかし、一応は独立国として外交権も確保していた。琉球国が滅びたのは明治になってからである。新政府は琉球国の尚泰王を捕獲して東京に移し琉球王国は滅びた。尚泰王とその子孫は大日本帝国の華族の待遇を受けて王国を放棄した。歴史的にみれば、大日本帝国が軍事力で制圧した植民地であるが、確かに日本の一部として民生は発展・安定した。日本国沖縄県という選択は今もほとんどの人に是認されている。

DNA解析からは沖縄の人々は本土と全く同じ系列に属し、本土から渡ってきた人たちが沖縄人の源流を作っている。しかし、話し言葉が違うことから戦前の日本では差別を受けヤマトンチューとの共生は容易ではなかった。それでも明治以降の100年で日本人としての意識が行き渡り、戦後アメリカ軍の支配下で祖国復帰運動が盛り上がった。

沖縄は上陸した米軍がそのまま平坦な内陸部の農地を取り上げ、基地として居座ったのだから「祖国復帰」とは「農地を返せ」の意味だったのだが基地はそのままでの「返還」となってしまった。沖縄全体に占める基地の面積は相当に広い。当然、基地問題はくすぶる。しかし、基地公害に悩まされる一方で、内地政府や軍の補助金頼みの地方行政があって、経済的に基地に依存した人も多く、沖縄は常に苦悩で揺れ動いている。

それでも、必ず言うべきときには言い。なんでも金次第で日本政府のいいなりになることは決してない。その根幹にあるのが沖縄の独自の文化・伝統に裏付けられた県民の自信だろう。沖縄旅行の最大の眼目はこうした民衆の息遣いを感じることにある。もちろん、あの南国の壮大な自然は見逃す手はない。配偶者は40年前に復帰前の沖縄に行ったことがあり、沖縄の変化も見たいと言っている。



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(2)沖縄に出発 [沖縄旅行]

インターネットを最安で検索してJALパック一泊付31800円というのを見つけた。大阪までの新幹線料金だってこれくらいはする。パッケージというのはなんでこんなに安いのだろう。去年出張が多かったのでマリオットのポイントがたまり、2泊はポイントを使って泊まれるので三泊四日の旅行になる。呼吸障害があるので普通はこういったパッケージの団体行動は苦手なのだが特に観光プランが付いているわけではないのでパッケージでも大丈夫だ。

ところが、いざJALに連絡して酸素発生器の持込を伝えたところ、断られてしまった。機種がJALの認定リストにないというのだ。この機種はダメだとHPにでも書いておいてくれよ。パッケージは払い戻しが効かないのが普通だ。なんとかねばって旅行社の交渉を受け付けるという返事をもらって、調べたところANAでは持込可だとわかった。旅行社にANAに変えてくれるように頼んだが渋い返事。JALにある程度話はつけてあるからと言って交渉を頼んだ。

しばらくして旅行社から連絡があり、JALが解約を了解してくれて、探したところANAにも同じようなパッケージがあったので変更するということだった。おなじ値段で、実はANAの方が特典が多いということで、担当者も嬉しそうに話してくれた。朝食またはお土産に使えるクーポンが2枚付いている。それだけではない。実は僕はUAの会員だからANAもマイレージの加算になる。禍転じて福となる。今回の旅行はついているかもしれない。

天気予報は残念ながら曇りないし雨。空港での酸素発生器の充電を考慮して少し早い目に羽田に行った。さすが日本の航空会社は障害者のチェックインにやさしい。待合室で充電しようと思ったのだが、ラウンジが使えることを教えてくれた。僕はUAのゴールドメンバーなのだが、UAでは国際線に乗るときしかラウンジは使えない。ANAでは国内線でも使えるのだそうだ。おかげでゆったりとコーヒーを飲みながら出発までの時間を過ごすことができた。

どんよりと曇った空を突き抜けて、青空の下南へと飛ぶ
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(3)公設市場と沖縄音楽 [沖縄旅行]

沖縄はあったかい。家を出るとき着ていたジャケットは脱いだし、チョッキも荷物にしまった。現地の人はみな半そでだ。アロハシャツの人が多い。鉄道がないためかレンタカーが盛んだ。空港周辺には色んなレンタカー会社が軒を並べている。予約したマツダレンタカーも普通車3日間で12000円で半額セールになっていた。

最初に目指したのは公設市場だ。戦後の闇市から始まる市場で、那覇の真中にあり、沖縄の空気が味わえる。入口あたりはお土産店ばかりだったが、奥に進むと魚屋、果物や、三線屋など色々ある。魚屋は固まって何軒もあり、熱帯魚のようなきれいな魚や貝がならんでいる。果物屋でマンゴーの切り身を買って食べたが、よく熟れていてとてもおいしかった。ふと気が付くとあちこちから三線の音が聞こえる。店番の人が弾いていたり、二階から聞こえてきたり、三味線を弾く文化が浸透していることがわかる。

次の目標は首里城なのだが、那覇の街中は渋滞が激しい。車にはナビゲータが付いているのだが、こちらはそんなものになれていないので操作がどうもうまく行かない。同じ所をグルグル回ってしまったように思う。首里についても一方通行があったり、通行止めだったりで日が暮れて結局、守礼門をちらりと見ただけで退散することになった。

今日の予定は北谷町に寄って、沖縄市で泊まるのだが、那覇の渋滞を抜けるのがなかなか大変だった。北谷町についたのは日もとっぷり暮れた7時半。北谷町に何があるかというと「カラハーイ」というライブハウスだ。沖縄文化で楽しめるものの一つが音楽なのは言うまでもないが、確かにあちこちで音楽が聴ける。こんな田舎町でライブハウスが成り立っていること自体が驚異だろう。

上原知子とりんけんバンドがここの主役なのだが平日なので真打は出てこない。「ティンクティンク」という女性デュオが今日の出演だからカバーチャージも2000円と割引になっている。入ってみると木造で小さいながらも二階席も作ってある舞台だから80人くらいは入れそうな所だ。それでお客は我々をいれて10人に満たない。

ここで演奏するのは純粋な沖縄民謡ではなく沖縄ポップスといったようなものだが、沖縄衣装を着て、ウチナンチュウの歌詞で歌うから、リズムがはっきりしている分だけ素人には楽しみやすい。「里や糸ぬ上」「乾杯さびら~ありがとう」などりんけんバンドのカバー曲が多かった。若いだけ、透き通った澄んだ声でなかなか良かった。

演奏が終わったあと、一緒に写真を撮りませんかといわれて、記念撮影をしてしまった。二番手の「カラハーイユニット」も聞いて、歌を聴きながら食事をして今夜は沖縄市の第一ホテルに泊まる。ツアーについている一泊だが僕らとしては相当高級な宿だ。「カラハーイユニット」はもっと沖縄民謡的な曲が多かった。カチャーシの踊り方指導までしてくれて楽しく過ごした。夜遅くにチェックイン。
二階から三線漏れ聞く商店街、ここはやっぱり沖縄の町
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(4)辺野古テント村 [沖縄旅行]

第一ホテルも「リゾート」と名乗っているのでプールやアスレチックの施設は整っていそうだったが夜のチェックインだったのでパス。高台にあるのでベランダからコザの町が見渡せ、その向こうに海が見える。クーポンで朝食を食べたが、バイキングで一応何でもあり悪くは無かった。

今日はまず沖縄の海を見ようと伊計島に向かった。平安座島、宮城島、伊計島はコザの半島から海中道路でつながっている。海中道路というのは橋ではなく海を埋め立てて道路にしたものだ。つまりこの辺りの海は浅瀬が遠くまで広がっているということだ。島の中も平坦でサトウキビ畑を多く見た。島の先端に灯台があるのだが道が泥濘になっていたので灯台までは行かなかった。ほんとうに「ザワワ、ザワワ」と揺れている広いサトウキビを海をバックに見て満足した。

次の目的地は今問題になっている辺野古だ。伊計島から辺野古までは一時間くらいだ。辺野古自体は特に変わったことの無い町だが、そこに行くまでは米軍演習地が続き、実質上内陸部はほとんど基地で、沖縄の人たちは海岸から2kmの帯状の場所に押し込められていることになる。

辺野古から先はキャンプシュワブの基地でここは海岸も全部米軍基地になっている。キャンプシュワブの沖合いを埋め立てて飛行場にしてしまえば海陸空が統合できた格好の軍事基地になる。人口密集地帯にある普天間基地を移転するのに米軍は全く異存ないのも当然だ。

辺野古の集落は川沿いの少し海から引っ込んだところにあり、この集落を通り抜けて海岸にある漁港の端に「テント村」がある。「村」と言うが実体は一つに連結した大きなテントで、ここに基地反対運動の人たちが拠点を作っている。毎日朝から夕方まで誰かがここに座り込んで「座り込み」を何年も続けているのだ。テントの前は干潟が広がり沖のさんご礁リーフにつながっている。

反対運動は軍事基地に反対するだけでなく、この辺りに残された美しい自然を守る自然保護運動とも結びついて行われている。たとえ基地建設であろうとも、環境保護の法律を犯してはならないわけで、当然「環境影響評価法(環境アセスメント法)」「沖縄県環境影響評価条例」に従った環境影響調査を行なわなければならない。ジュゴンなどの絶滅を危惧されている生物が居れば国際条約にも違反することになる。

ジュゴンは大きな図体のユーモラスな動物だが、草食でしかもアマモしか食べないという極端な偏食家だ。だからアマモの茂る浅い海がなければ絶滅する。それが丁度辺野古の海に当たり、埋め立てで失われようとしているのだ。

ジュゴンを保護する訴訟が起こり、米軍・防衛庁は環境アセスメントを行わねばならなくなった。その結論を今年(2011年)年末までに行うとしている。アセスに先立って防衛庁が取った汚い手口が明らかになっている。予備調査と称して護衛艦を動員してこの当たりの海を荒らしまわったのだ。臆病なジュゴンはエンジン音で逃げてしまう。逃げていなくなればジュゴンはいないと言うことになる。実際は「食み後」と呼ばれるアマモを食べた後が確認されており辺野古にジュゴンおそらく3頭がいることは間違いない。

反対派の人たちは多くのカヌーを出して護衛艦に対抗した。これがテント村の人たちであった。なんの予約もなくふらいと訪れたのだが、歓迎してくれて色んな話を聞かせてもらった。平均して毎日30人くらいの人が来るらしい。「沖縄観光にきたら辺野古に行かなくてはと思って」と話したら、そういう風にふらっと来てもらえるのが励みになるということだった。

ここでも原発と同じで、基地で食っている人たちがおり、決して地元が一丸となって反対できているわけではない。そういえば辺野古の集落にも「代替施設安全協議会」などという賛成派らしき看板が見受けられた。

テント村の人達を激励して、少し早いけど恩納村の沖縄マリオットリゾートに向かった。今日から2日間の宿だ。
埋め立てを知らずか辺野古のザリガニは砂の中から這い出しており
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(5)マリオットリゾート [沖縄旅行]

ホテルに向かう前に国道沿いの食堂「オレンジ」で遅い昼食を取った。僕は「豆腐チャンプルー定食」、連れ合いは「沖縄そば」をたのんだ。チャンプルーというのは豚肉の入った野菜炒めで、それに豆腐が入ったものだ。沖縄の豆腐は硬いので崩れないから炒め物にできる。

沖縄そばというのは材料的にはうどんで、中国の麺あるいは稲庭うどんのように細めに出来ている。豚の三枚肉の切り身が乗っかっている。どちらもなかなか美味しかった。

沖縄の物価は安い。沖縄そばはなんと350円。ガイドブックのクーポンを見せたら、シークァーサのジュースをサービスしてくれた。本当にこんな値段でいいのかいと言いたくなる。

沖縄マリオットリゾートに少し早い目にチェックインする気になったのは一つ楽しみがあったからだ。実は去年は出張が多く、仕事でマリオット系列のビジネスホテルにたくさん泊まってしまった。その結果ポイントがたまり、それだけではなく会員のグレードが上がって「プラチナメンバー」ということになった。今回はポイントで泊まる最低ランクの予約だが、プラチナメンバーは、「部屋があいておれば無償でアップグレードする」と書いてあるのだ。11月だから閑散期でよい部屋が空いている可能性がある。
ホテルは高台にあって、海から緑に囲まれた広い専用の道で入っていくところがリゾートらしい。ホテルに入ってみると、なかなか豪華だ。広いホールは天井が吹き抜けて宮殿のようだ。

入り口で名前を聞かれたので答えると「お待ちしておりました。エグゼクティブフロアのお部屋をご用意していますのでこちらへどうぞ」といきなりエレベータに連れて行かれた。最上階の部屋は他と区切られていてチェックインも別扱いらしい。

ソファーに座って、飲み物が出てきてそれでチェックインをする。ラウンジがあって飲み物やデザート、フルーツがいつでも用意されていて自由にどうぞということだ。朝食もできる。エレベータもこのフロアにはカードキーがないと行かない仕掛けになっている。

部屋にはいる。さすがに広いしベッドも大きい。奥にテーブルとソファーがしつらえてある。バスルームが総大理石の感じでシャワーと湯船は別になっているのも良い。ベランダは海に面して非常に眺めが良い。プールやゴルフ場サッカーコート、テニスコートも付いているようだ。ベランダの半分は全面ガラスの出部屋になっていて、ここに座って下界を眺めるのは非常に気持ちが良い。これが贅沢というものだろうか。

普通にお金を出せば相当高いだろうに、いったい誰がこんな所に泊まるのだろうか?あとでラウンジで出会った人たちはやはり金持ちのように見えた。本当に金持ちであるかどうかに関わらす、ホテルは客を金持ちとして扱う。金持ち扱いに戸惑いながらも、平静を装って、いつものことのように対応してしまう。ここは一種の「金持ちごっこ」の場ではないだろうか。

夕食にはホテルの焼肉レストランを予約してしまった。今帰仁(なきじん)アグーと普通のアグーを食べ比べると言うメニューだ。アグーというのは沖縄産の豚肉で中でも今帰仁のものは最上級で年に30頭しか出荷されない。ホテルのレストランは4つあるが何処にも4千円以下のメニューはない。

夕食時に早くもぼくらの「金持ちごっこ」は破綻してしまった。もちろん不味くはないのだが、今帰仁アグーも特に違った味ではない。焼肉としては安楽亭のほうが旨いかもしれない。シークァーサジュースだけで600円とはどういうことだ。といった具合に不満が溜まり、豪華な食事を楽しめなかったのだ。

やれやれ、貧乏根性がどこまで染みとおっているものなのだろうか。


この海の広がりを見てわが心、大きくなれと深呼吸する
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(6)美ら海と琉球村 [沖縄旅行]

ゆっくり寝て朝食はエクゼクティヴラウンジで取った。フランスパン、チーズ、コーヒー、フルーツのコンチネンタルだったが質は悪くなく、朝から変なバイキングを食べるより良い。今日は欲張って少しあちこち行ってみることにした。

まず、美ら海水族館に行く。海洋博で作った施設で、周辺の道路などと一緒で、沖縄振興の補助金行政の遺産だ。特に大きな水族館ではないが公園施設と一体になっており、楽しめる。綺麗な色をした熱帯魚と大きなサメが人気のようだ。沖縄旅行の定番らしく、観光バスがたくさん乗り付けてきたから早々と退散。

太平洋側の浅い海は昨日見たので、東シナ海側の岸壁海岸を見に「万座毛」に行った。平坦な野原から急に断崖絶壁になっており海に面している。なかなかの景勝で万座毛とは万人を座らせる広場という意味らしい。水から突き出た岩はみな水面近くがくびれている。あるとき急に隆起して今の位置に来たのだろうか。連れ合いが40年前に来たときは只の野原だったところに遊歩道が出来ていた。

さらに南下して「琉球村」だ。これは琉球の古民家を移築展示したものだが、芸能文化の実演をセットにしてある。三線の体験教室に参加して、阿里屋ユンタを弾いたりして楽しかった。連れ合いはビンガタでシーサー模様を作っていた。

沖縄空手や棒術の実演あり、琉舞あり、エイサーあり、最後は観客も一緒にカチャーシーを踊る。一升瓶を頭に乗せてカチャーシーを踊るおばあさんや、バカ殿の扮装で三線を引く人とかの独自タレントも面白い。

夕方になって、今度はコザに行く。コザの「ミュージックタウン」という所で地元の青年会がエイサーをやるという情報があったからだ。「ミュージックタウン」というのは音楽関係の店、ヤマハとか沖縄ラジオなどを集めた小さなショッピングモールのようだ。沖縄市の街中にある。

コザを音楽の町にしようとする意気込みだったようだが、そうはうまく行かなかったようで、ゲームセンターとか飲み屋にかなり占領されている。ここで「タコライス」というのも食べて見たた。沖縄独特のB級グルメで、要するにタコスの中身をご飯にかけてあるものだ。奇妙な組み合わせだが不思議に合う。

青年会のエイサーは楽しかった。元気のいい若者が太鼓を持って叩きまわるし、三線を弾きこなした語りもよい。沖縄に根付いた文化を味あうことができた。本土で、若者のエネルギーの受け皿をしっかり持った町がどれだけあるだろうか。

エイサーの掛け声あげて青年会、ミュージックタウンはコザの街中
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(7)沖縄をあとに [沖縄旅行]

最終日は昼の便だから朝ゆっくり寝れば、とくに何もない。空港までの道は高速道路でこれは空いていた。沖縄のような小さな島の中に高速道路を作る必要があるのかとも思う。
しかし、本土で考える以上に沖縄は広い。那覇の町は県庁所在地でそれなりに都会であり、混んでいる。独立国として成り立っていたほどの土地柄なのだ。

さて、この旅行は僕にとっていったい何だったのだろう。沖縄の軍事基地の問題を肌で感じられたことは大きい。もう一つはやはり、土地に結びついた文化ということだろう。

人間は土地に住み付き、漁撈、農耕で生活した。その生活様式が文化なのだ。生活と共に歌があり、舞踊があり、宗教があった。長い間に人々はこれをはぐくんできた。商業も工業も第一次産業の基盤の上に成り立っていたがゆえに堅個なものであった。

今の日本は工業、商業があるがその基盤を持たない。貿易立国と称して、輸入・輸出の自転車操業を行っているから砂上の楼閣だ。一度、災害や変事でループが途切れればたちまちのうちに行き詰まる。

このような所に文化は育たない。沖縄は僕らの生き方を問い直してくれる。そんなことを考えながら僕は沖縄の旅を終えた。沖縄は近くもある。レンタカーを返して、定刻どおりの出発で帰路につき、夕方までには帰宅することができた。

ーー沖縄旅行完ーー


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