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(1) 震災後の東北 [東北へ旅行]

震災から5ヶ月、我が家も一応被災者ということになっている。何のことは無い壁紙が破れた位で、あとは停電、断水だけなのだが、被災証明がでたので、高速道路料金がタダになる。これは東北へ旅行しろとの神の思し召しに違いない。これが物事の始まりだった。

津波で被害を蒙ったところに物見遊山に出かけるのは不謹慎なのではないかと思う気持ちもあり、実のところ迷った。結果的には、観光客が来てくれるのが一番ありがたいと言われたから、この判断は正しかったのだろうと思う。今年の夏休みは東北に旅することにした。東北は復興がはじまっているはずだ。

決めて見はしたものの、何の準備もない。大体からしていままできっちり夏休みをとったことがない。だが、今年は残り少ない人生をアクティヴに生きる試練として夏には旅行すると決めたのだ。日程的には八月後半は忙しいので早めに夏休みを取ったほうがよい。となると、、、、、明日だ。明日は午前中病院の予約がある。なら、明日の午後出発しよう。北のほうに走れば東北旅行になるはずだ。

とりあえず、明日の宿だけ確保しておこう、そうでないと走りだしてからでも、引き返してしまいそうだからだ。半日でいける範囲となれば東北の入り口である福島だ。猪苗代湖畔のペンションをネットで探して、電話して見た。お盆前の土曜日だ。しかも、前日になっての宿探しだから無理かも知れないと思ったが、意外にも空いていた。

予約だけ入れておいて、翌日病院から帰ると荷物をバラバラと車に運んで出発した。もう、しっかり午後になってしまっていた。


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(2)野口英世記念館 [東北へ旅行]

常磐道を北に向かい、磐越道に入る。時折激しい雨が降った。猪苗代で高速を降りたが、被災証明を見せたら本当に通行料はタダになった。大きな虹が出て磐梯山が美しく見える。インターを出てすぐの国道にわらぶきの家が鉄骨屋根で覆われている異様な建物があった。野口英世記念館とある。

野口英世の生家を保存したものらしい。閉館は5時だからあと一時間足らずだ。となると逆に見て行こうという気になる。中の展示は大偉人野口英世を強調した典型的なもので、家が貧しく、「てんぼう」と手の火傷を揶揄され、作文に感動した人たちのカンパで手術を受ける。医学のありがたさに目覚め自分も医学を志し、世界的な医学者になったというストーリーに親孝行などの徳目が付加されている。

このストーリーは教科書でも読んだことがあるが、近年の野口英世像はもっと人間臭い、別の意味で魅力的なものだ。渡辺惇一の「遠き落日」を読めば、大酒のみで、虚栄心が強く、必死で立身出世に励む野口英世のことが記述されている。生家はなかなか立派なつくりで、貧乏とは見えないし、第一野口英世は研究者であり医者として世につくしてはいない。

日本などという小さな国からやってきて、身長153cmで、とんでもなく小さい。それが、夜も日もなく顕微鏡をのぞき、次々に細菌を発見して行く。その姿は感動的でもあり鬼気迫るものがあっただろう。野口は語学の才能に恵まれていて仕事をアピールするのもうまかった。酒を飲めば、留まる所を知らず英語、スペイン語、日本語でまくし立てるのだからすごい気迫だ。

あらゆる病気には病原体があるはずだとの信念で追及する時代でもあった。常人には見えない細菌も野口には見える。こうして数々の野口神話が生まれた。梅毒スピロヘータの発見も、狂犬病細菌の発見も、黄熱病細菌の発見も、現在では功績が否定されている。真理とは厳格なものである。自ら自信を持って開発した黄熱病ワクチンが効かない。そんなはずはない。「私にはわからない」これが黄熱病に罹った彼の最後の言葉だった。

破滅的に人生を駆け抜け、精一杯に魅力的な人生を生きたと言える。一つの日本人像の典型だと思う。この記念館にはそういった真にせまる展示は全くない。

栄達のかすかな道にすがりつき、執念の人細菌を追う
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(3)ペンション・カプリース [東北へ旅行]

日暮れが近づき、今日の宿であるペンション・カプリースを探した。GoogleMapなんて便利なものがあるから手間はかからない。白いアーリーアメリカンのような建物でオーナーの楽しみで作ったことがわかる。窓にはレースのカーテンをかけ、手作りのオーナメントがあしらってある。迎えてくれたのは初老の夫婦で、このペンションを始めて20年になるという。

のどかな場所だ。このあたりは地震も津波も関係かない。原発は山向こうだから放射線レベルだって東京並だ。しかし8月の土曜日だというのに宿泊客は我々だけ。例年満室になるこの時期だから風評被害以外の何物でもない。部屋が埋まっているところもあるが、それは被災者を長期で受け入れたり、工事関係者が泊まっている所だそうだ。

まあ、今年はしかたがないでしょう。と達観した様子だ。緑に囲まれて良い景色を眺めながら暮らせるのだから、齷齪することはない。20年やって、ローンもないのだったら二人が暮らすにはたまに訪れるお客だけでもなんとかなるだろう。やっぱり、思い切ってこの地でペンションをやって良かったと思いますとおっしゃっていた。それはそうだろうと同感する。

食事は南瓜のスープ、サラダ、魚、肉と続くフルコースで堪能した。旅館の食事と言えばどこも画一的なのにたいしてペンションにはそれぞれの工夫があって楽しい。

それにしても、このお客の少なさは何だ。震災もあるが、根底には経済がある。旅をする若者が少ない。犯人は非正規雇用と携帯電話だ。若者の収入は以前にも増して不安定で少ない。さらに彼らは一様に携帯電話に毎月1万円かた支払わされている。旅行に出かける余裕もなくなるというものだ。


老夫婦ペンション構え余裕有り 磐梯山の麓広がり
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(4)見祢の大石・五色沼 [東北へ旅行]

雨も上がって気持ちよく朝が明けた。フルブレックファストの朝食もしっかりとってペンションを出発した。地図を見て気になった「見祢の大石」というのがこの近くにある。明治21年に磐梯山が大噴火して何百人かがなくなっているが、このとき吹き飛ばされた大きな石があるということだ。

大きな石を吹き飛ばすにはとてつもない力が要る。砲身があるわけではないから短時間のインパクトで運動量を与えなければならない。飛ぶ前に石が割れるのではないかと思われるから不思議だ。探し当ててみると民家のある道路際にある幅6m高さ2mくらいの黒い火山岩だった。説明看板によると吹き飛ばされたのではなくて土石流とともに火口近くから5kmを転げ落ちてきたものだった。自重でだんだん沈んでおり、見えているのは上半分くらいらしい。こんな重いものが流されることも珍しいので天然記念物になっている。

ここから山道を登り、裏磐梯に回ると五色沼がある。やはり磐梯山の噴火で土石流がせき止めてあちこちに湖沼を作った。毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼などと名前を付けられ違った色合いの沼になっているので総称して五色沼と言うらしい。潅木に覆われ近くに行っても水面がなかなか見えない沼もある。沼をたどるハイキングコースが楽しそうだったが、暑さもあり、今回はあきらめた。

静かな緑の中にあり、時々カッコウが鳴いている。日の中をトンボが小枝に止まって揺れている。こういうところを散歩するのは実に気持ちが良い。

五色沼木立の奥に佇みて、訪る人を待っているかに
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(5)喜多方ラーメン [東北へ旅行]

裏磐梯から峠を下れば喜多方の町にでる。喜多方は蔵の町であり、土蔵が立ち並んだ町並みに情緒がある。しかし、近年はラーメンの町としての方がよく知られている。国道を南下して町に入るとあちこちに喜多方ラーメンの看板が見える。人口3万余りの町に120軒ものラーメン店がある。ちょうど昼時だったし、昼飯はラーメンにしないわけにはいかない。

どうせなら有名店に行こうということで、もっとも評判の高い「坂内食堂」を目指した。喜多方では老舗のラーメン店は必ず「食堂」を名乗ることになっている。市役所の駐車場に車を止めて、裏口にある坂内食堂に向かったのだが、行く前に長い日傘の行列に行き当たった。何かと思えば、それがずっと「ばんない」の看板のところまで続いている。

暑いさなかだから、行列する人々に日傘のサービスをするらしい。おのずと覚悟を決めて待つという意気込みが伝わってしまう。聞いてみると一時間位だとの事。待つのもばかばかしい気がしたが、ここまで来たのだから徹底してやれということになった。僕らも日傘を借りてしまった。

我々の隣は福島から来た常連のようで、1時間かけてやってきて、いつも一時間並ぶのだそうだ。行列は少しづつ前に進むのだが、次々と客が並ぶので列はさらに伸びてきた。予想通り約一時間で店内に入れた。きつい目の冷房に救われた思いがした。

メニューは単純で「支邦そば」がラーメンであり、「肉そば」がチャーシュー麺である。大盛もあるが、味にバリエーションは全く無い。薄い色のしょうゆ味を基本としたラーメンらしいラーメンと言える。一口食べた連れ合いが「おいしい!」と言った。確かにうまい。ほどよい硬さの麺がうまくスープに合わさっている。

目には見えないがとんこつも使っているらしく、こってりとした食べ答えがある。普通盛りではあったのだが、夕方までなかなかお腹がすかなかった。食後再び北に進路をとったが、満腹すると必ず寝てしまう僕は連れ合いに運転を替ってもらうのであった。

喜多方のラーメン食うぞと意気込めば、行列の人日傘差しおり
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(6)花笠おどりに行き会った [東北へ旅行]

喜多方から北進すれば山形県に入り、上ノ山温泉に着く。斉藤茂吉の生まれ故郷だ。上山温泉に泊まるのもよかろうと電話してみることにした。実は昨晩のうちに宿を決める予定だったのだが、携帯もPHS端末も「圏外」と表示されてしまった。

昼飯時に喜多方の町でネットにアクセスするつもりも、行列に並んだのでそれどころではなくなってしまった。さすがに、当日の夕方になってからでは宿探しは厳しい。部屋は空いているのだが、お食事は出来ません。やはり、仕入れの都合があるのだろう。どの宿からも食事は断られた。食事なしではくつろげない。おまけに、温泉だから素泊まりでもクソ高い。

それではということで、山形市まで足を伸ばして、今夜はビジネスホテルにしようということになった。大きな町には必ずビジネスホテルがあり、そこそこ快適に眠れる。近年のビジネスホテルはアメリカ並みに一室料金になっていることが多い。2人で泊まれば結構安いことになる。今回の旅では、ペンション、旅館、ビジネスホテル、国民宿舎を渡り歩いてみることにした。

ホテルを電話で予約して、山形に向かう。ここにも高速道路は切れ切れにではあるが作られており、やはり被災証明で只だ。町の中心部に近づくと人の群れが見え驚いた。チェックインして表を見れば、着物姿や、ハッピの人たちが続々と集結している。今日は山形の花笠踊りの最終日なのだ。

ホテルの近くが出発点で、大通りが会場になっており、踊りの行列が続いている。花笠を手に持って、くるりと廻したり、ぱっと被って見せたりの早業が踊りのポイントらしいが、いろんなバリエーションがある。中には花笠を道路わきにおいて、トンボ返りをするといったパフォーマンスのものまである。

踊り子隊には色々あって民謡保存会から小学校、幼稚園のものまであり、町中が踊るのだ。ただ音楽だけは古典的なもので「よっしょーまかしょ」と掛け声が入る。よさこい祭りのようにロックバンドの競演などと言うことは無い。

多くの人が元気に踊り、楽しい催しに行き当たったのではあるが、聞くことにはやはり例年に比べて人出が少ないということだ。そう言えばお祭りを見に来る人の観光バスに行き当たらなかった。ここにも震災の影響が現れている。

花笠で元気に踊る人の群れ、復興ねがう気持ちあふれる
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(7)茂吉と蔵王 [東北へ旅行]

山形からさらに北上のつもりだったが、連れ合いは蔵王に登ると言う。蔵王が良いスキー場だとは知っているが今は夏だ。しかし、「東北旅行では蔵王のお釜を見るものです」ときっぱり言い切る。どこで仕入れた知識か知らないが、逆らわないほうが良さそうだ。茂吉記念館にも寄ることになった。野口英世に行ったくらいなら、斉藤茂吉を素通りするわけには行かないと言う理屈だ。

茂吉記念館は上山温泉のはずれにあり、落ち着いた公園になっている。生い立ちの写真や筆跡が見られる。成績優秀を見込まれ斉藤家の養子となったのだから医学は義務であり、短歌と医学の二束の草鞋は最初から彼に課されていた試練だった。無論心は短歌にある。片時もメモ帳を離さず、歌作に没頭する姿を北杜夫が認めている。茂吉は蔵王をこよなく愛し、実相観入もどこかで蔵王の光景につながるところがある。やはり蔵王には行かねばなるまい。

エコーラインと言うやや古い自動車道を登り、仙台に抜ける道の途中から蔵王山頂に行く道が分かれる。山頂といっても実は蔵王山などという山はない。熊野岳(1,841m)、五色岳(1,672m)、刈田岳(1,758m)、屏風岳(1,825m)などからなる連峰の総称だ。真ん中が火口湖になっていてこの付近が高原地帯になる。お釜というのはこの火口湖一帯の窪んだ地形のことらしい。

車で行けてしまうのだが、2000m級だから高山に登ったと言う気がする。日差しが強く、水も花も色が美しい。空が高く空気がうまい。ここも人出は少ないからレストハウスもすいていて大きな窓のそばの席に座って昼飯を食うことが出来た。気圧が低いせいだろうか、カレーのご飯がいやに硬かった。しばらくへたり込むついでに居眠りもしてリフレッシュ。今夜の宿、松島に向かった。

飯食って、昼寝うとうと、小便す、蔵王の空気心地よきかな
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(8)松島・瑞巌寺 [東北へ旅行]

松島といえば日本三景の一つに数えられ、芭蕉をうならせた景色といわれるが、日本三景は三景ともにたいしたことのない景観だ。多くの島が防波堤となって津波の被害は少なかったらしい。それでも、いくつかの旅館は休業中だった。

盆栽を思わせるような小島が湾に浮かんでおり、まとまった景観であることにはちがいない。「松島や、さて松島や、松島や」は実は狂歌師・田原坊の作で、芭蕉の句は別に「島々や千々に砕きて夏の海」というのがある。この句は奥の細道には掲載されていない。

松島で名高いのが瑞巌寺と言うお寺で、斎太郎節という唯一とも思われるお寺のCMソングが歌われている。この歌は斎太郎という人物とは何の関係もない。サイタラ節といわれていた「エンヤトット」の掛け声を基調とする魯漕ぎ歌に当て字したものだ。岡林信康のようにこれこそ日本の歌であると高く評価する人もいる。

前夜予約した「絶景の館」という大げさな名前の旅館について、宿の人から今晩は瑞巌寺で灯道があると教えられた。参道の両側に灯を燈してあるらしい。震災で亡くなった方への鎮魂の催しだという。法要や仏像の特別公開もあり、夜のそぞろ歩きも悪くないので参拝した。

延命蝋燭というのがあって、燭台が並んでいるが、いかんせん風で立ち消えになるものが多い。これではちっとも延命にならない。おせっかいとは思いつつ、せっせと再点火して回った。しかし、結局は消えてしまう。天寿を延命しようなどとは考えぬほうが良いということだろうか。

瑞巌寺、参道に灯が連なって、津波で逝きし人を弔う
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(9)津波街道 45号線 [東北へ旅行]

松島から海岸線を北に上り、三陸海岸を走る国道45号線はもちろん津波で寸断された。丁度僕らが松島に着いた日にやっと全線通行可能となった。今日の行程はこの45号線を走る今回の旅の山場だ。

三陸自動車道で一旦内陸に入ったが、山道を通って海に近づくとあちこちに瓦礫の山が積み上がっている。そして志津川の平地に着いたがそこには何もなかった。道路は区画されていて四つ角もあるのだが道の両側はすべて空き地だ。病院の建物は廃墟になっている。

45号線は海岸の集落を結び途中は山になる。清水浜、歌津、蔵内と町に出るたびに同じような瓦礫の山と空き地に出くわす。空き地には夏草が茂っており、一見すると草地に見える。しかし、よく見るとコンクリートの土台がある。町の遺跡だ。

工事の車両がまだ瓦礫の片付けをしているが人影は見えない。土ぼこりが舞い上がっている。少し山にはいると、学校の校庭のような所に四角い仮設住宅が並んでいる。

気仙沼は国道がバイパスになっていて少し内陸を通ったから様子はよくわからないが陸前高田は酷かった。かなり大きな町で一面に何もない空き地が広がって、これはもちろん「町の遺跡」だ。高田松原の松が一本だけ生き残って寂しそうに突っ立っていた。

昼時になったが、営業中のレストランなどは無い。この日は僕の誕生日ではあったのだが、コンビニで蕎麦を買って掻き込んだ。誕生日を瓦礫の山の中で過ごすのが今回の旅の主旨でもあるから仕方がない。

45号線と平行して鉄道線路があるが、これはあからさまに寸断されたままで放置されている。崩れ落ちた鉄橋、浮き出て途切れた線路などが痛々しい。大船渡も高田と同じような状態で、瓦礫を片付けただけで、何処にも復興などという情況は見られない。

釜石の町は駅から港に向かって商店街が広がっている。大きくないコンクリートのビルが多いのだが、その窓が全部ぶち抜かれている。一階の店はシャッターなどがなくなり、がらんとした様子だ。町全体が廃墟だ。

商店街があり、人出があってこその商店なのだが、この状態で店を開けられるだろうか?一口に復興などと言うがこれは大変なことだ。まずこのビルを壊すことから始めねばなるまい。

一日かけて津波街道を通り抜け、夕刻黒崎の国民宿舎に着いた。ここの海は静かで津波を起こしたことを全く覚えていないかの様だった。

コンビニの蕎麦を食ってる誕生日、被災地の町瓦礫山なす

町中が廃墟となった釜石の、商店街を抜けて走りぬ

黒崎の展望台から見る海は、津波知らずと和らいでおり

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(10)北緯40度から帰途 [東北へ旅行]

黒崎は北緯40度にあり、今回の旅行の終点になる。霧が多くかすんでしまうが、北山崎と黒崎は岩に打ち寄せる荒波で削られた雄大な景色を楽しめる海岸だ。黒崎荘は古びた国民宿舎で冷房もないしエレベータもない。しかし、食事はなかなかのものだ。夕食には地魚であるソイやあわびの刺身がたっぷり出てくる、煮物も揚げ物も魚づくしで、これがうまい。朝食にまでトビウオの活け造りが出てくる。

ここも通常の宿泊客は極めて少ない。例年の10分の一だと言う。通常でない客は工事関係者で復旧工事の人たちが長期で泊まっている。やはりお客さんが来てくれるのが有難いと、津波の経験談を話してくれた。ここの職員さんの伯母さんが村の保育園の保母さんで80人の子供たちを救った話もその一つだ。

ゼロ歳児からの80人といえば、とてつもなく手のかかる集団だ。まとまって行動することなど出きっこない。地震で昼寝をしていた子供たちを起こし、上着を着せて避難した。普段なら勝手気ままに動く子供たちは、保母の真剣なまなざしに、事態の深刻さを読み取ったのだ。大きい子は小さい子の手を引いて、雪が降りしきる2キロの道を走った。保母も一人をおぶい、一人を抱いて、どこにそんな力があったのかと思うほどだが、6人乗りの手押し車を押して走った。こうして80人の子供たちが一人も欠けずに避難して救われた。

この話はメディアでも取り上げられたと思うが、じかに聞いてまた感動的であった。灯台や40度の碑を後に、また山越えして九戸に出て、そこからは高速道路を一直線に帰路についた。最後の長い道のりもやはり被災証明で無料になった。

2011年の誕生日、ぼくの夏休みは記憶にのこるものとなるだろう。

東北へ旅行(完) 最後まで読んでくださってありがとう
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