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高熱発生 [療養]

夕べは38.9度の高熱が出てしまった。ファロムに切り替えて3日目だから、この選択が間違いだったと言うことだ。メロペンに戻せばすぐ直るのになあ。いらん事ばかりやってくれて困るよ。経口薬でグラム陰性桿菌と緑膿菌に抗菌作用があるものを探せばいいだけのことなんだけど、多分、月曜までほったらかしだろうな。

転院 [療養]

なんとか元の病院に転院しできた。これで医者とのケンカはしなくてすむ。けど、転院するとやっぱり検査からやり直しになる。休みの残りが少なくなってきてあせるよ。

半日出勤 [療養]

酸素ボンベを持って半日出勤を試みている。休暇の残りも少ないからね。今のところ体調は良い。少なくとも今週一杯は半日出勤を続けてみたい。

いよいよ退院 [療養]

2週間病院からの半日出勤を続けても体調は良い。検査結果も良好で、いよいよ今日は退院となる。去年の7月からだから7ヶ月になる。長かった入院生活がやっと終るのはやはり嬉しい。増長せず、慎重にやって行かねば。

青山亭に戻って [療養]

退院しても、全快と言うわけではない。今日も一日家にいた。しかし、気分がちがう。僕は自由の身なのだ。体調に気を付けなければいけないし、酸素ボンベが必要ではあるから慎重にしているが、行こうと思えば何処へでも行ける。食べ物も自由だ。普通の生活の有難さは病気をしてみて初めてわかるものらしい。

一週間経って [療養]

退院して一週間が経った。毎日出勤して、一応仕事をしている。特に体調は悪くならないし、感覚的にはむしろ良くなって来ている。それでも、病院で検査してみると、やはりKL-6とRAが高いままだ。歩いたりしたときの息切れもどうにもならない。酸素ボンベとは長い付き合いになりそうだ。

退院一ヶ月 [療養]

退院して一ヶ月が過ぎた。病院に逆戻りせずに済んだことは喜びだと思う。しかし、退院してすぐに元気になると思ったのは早計だった。入院治療が通院治療になっただけで、まだ療養中には変わりが無い。すぐに息切れするし、感染症を用心すると人の集まる所には行けない。まあ、気長にやるしかない。
それでも今日は筑波山中腹まで車で行き、お茶を沸かして afternoon tea を楽しんだ。まだ少し寒いが、裏筑波もなかなかいいものだ。

ススキの穂、冬越えてなお立ちてあり、3月の陽の光照る中
山裾の景色かすみて定まらず、春の訪れ今少し待つ

S先生のお見舞い [療養]

センターのS先生がALSの進行で入院となった。お見舞いに行ったが、呼吸困難でSPO2が83位になっていた。話はできない。ついこの間まで立場は逆で、僕が入院中でS先生がお見舞いに来てくれたものだ。病棟の外は窓から眺める世界だったのに、今は外から訪問している。なんとも言えぬ違和感を感じた。

手を握り、握り返して来るだけで、病臥の朋と、心通じて(ま)
病棟の窓から眺めていた自分、外から出入りをする自分(ま)

S先生逝く [療養]

結局S先生は亡くなった。子どもたちの可能性を信じ、全てを教育にささげた一生に黙祷。僕を見舞ってくれた先生が亡くなり僕は発病一周年を過ぎて無事にいる。幸運というべきなのだろうか。

去年は、ずっと病院の空調の中だったから夏を知らなかったが今年は夏を感じることが出来ている。きらきらと太陽が照りつける夏がいとおしい。不思議なものだ。

この夏の光の強さよ我が身にも、生きているとの実感があり(ま)
今思う、繰り返したくない時のこと、病に伏せる日々の連なり(ま)

退院一周年 [療養]

無事に一年が過ぎた。ヘルペスが出たり、膝のリウマチが出たり、ひやひやしながらもなんとか切り抜けた悪運の強さを実感している。ここまでくればもう何もおそれない。急降下し始めた世の中の成り行きを見極めよう。

両側の木は細枝で空を突き、道の向こうに男体山が立つ(ま)

慢性骨髄性白血病(CML)の発症経過 [療養]

wbc.jpg間質性肺炎を経験して以来、定期的に血液検査をしてもらうことにしている。炎症反応や血糖値、γーGTPなど注意すべき項目が沢山ある。大体において白血球は多めで8000から9000なのだが、2009年の初めから、一万を越えることが多くなった。CRPが高いときには1万を越えることは前にもよくあったので、あまり気にはしなかったのだが、徐々に上がって行くのが明らかで気持ちは良くなかった。

3月になると恒常的に1万を越えるようになった。そして4月始め、コメント欄に「immatured gran」という言葉を見出した。異型の血球が含まれているということで、まあ、ステロイドの影響でしょうということだった。このコメントは一時消えたりもしたが、5月になると恒常的についてくるようになった。呼吸器の先生にはよくわからないようだったが、精密な観察を外注で依頼してもらった。結果は2%の骨髄球(myelocyte)が含まれていると言うことだった。

芽球は見られないから、急性白血病ではないように思えたし、ステロイドの副作用かもしれない。しかし、ステロイドの副作用なら今頃になって出てくるのもおかしい。先生は気が進まないようだったが、お願いして血液内科への紹介状を書いてもらった。6月のことである。予約が取れて血液内科に行ったのは7月始めだったがここでもステロイドの副作用といわれた。過去の検査結果を調べてみると1年以上前にもmyelocyteが出ている結果もあり、其のときは一過性でその後消えている。白血球はじわじわと増え、13000になっていた。myelocyteも3.5%に増えた。

私が納得しないので、念のためにということで、フィッシュ検査をやってくれることになった。ゆっくりした変化からも急性でないことは確かだ。結果は3週間後ということで7月末になった。見事にフィラデルフィア遺伝子が検出された。治療開始前にマルクをやりたいといわれ、結局治療が始まったのは8月の始めになった。イマチニブ治療はグリペック4錠となった。白血球は14000にまで上がっていた。幸いに、少し吐き気がするだけで大きな副作用は現われなかった。

一週間後、wbc=13100、二週間目wbc=12600三週間後wbc=8000、四週間後wbc=8000 とたちまち変化が見え出した。イマチニブで逆に白血球数が落ち込むことが多いそうだが、私の場合は落ち込みは大きくはない。36%を占めていた抹消血のmylocyteは三週間後には消えた。さて今後どのようになるだろうか。

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ループス腎炎 [療養]

間質性肺炎の急性増悪で半年入院生活をしたが、退院後3年になる。ステロイド投与量は5mgまで減って、副作用も少なくなっていた。時折、リウマチが暴れることがあり、そんなときはステロイドをしばらく10mgに増やしてやると収まった。しかし、今年は一月から何回も風邪をひき、38度の熱がでることがしばしばあった。レントゲンにもCTにも異常がない。直ったと思えばまたすぐに熱がでる。そんなことを繰りかえして、先生も僕も首をかしげた。

そのうち先生が、もう一度レントゲンを取ろうといい出した。今度は新たな影が現われて、間質性肺炎の再発と言われた。対処は同じでステロイドを10mgまで増やすと収まった。それでもやっぱり7.5mgでも熱が出る。手首が痛くなるのはリウマチが出ていると思えるが今回は腰が痛い。レントゲンに影は出ているがたいした事はない。

いろいろな病気を抱えてはいるが、熱が出てCRPが高い以外には特に変化がなくγGTPも低い。ステロイドで免疫力が低下しているので細菌性の感染症には弱く、尿の出も悪いので尿路感染も疑って抗生剤を飲んだが効き目がない。ふと気が付くと尿の検査に「細尿管上皮細胞」と言うコメントが付いている。

これから、いろいろ探ってみてループス腎炎に行き着いた。ループス腎炎はいわば間質性肺炎の腎臓版であり、尿細管上皮細胞が尿に流出するし、間接の痛みも伴う。腎臓だから当然発熱する。リウマチ、間質性肺炎、ループス腎炎は結局根は一つ、免疫系の異常だ。

 本当はこれらを総合してみてもらえる先生がいるといいのだが、現在の所、呼吸器、リウマチ、泌尿器は別の診療科になってしまっており、なかなか総合的に見てもらえない。全身性エイトマトーデスはすべてを含むように見えるがレイノー現象のような特異な症状がないと当てはまらない。

どっちみち治療としてはステロイドの投与、場合によってはネオーラルのような免疫抑制剤を使うといったものしかないのだから、総合的に見ても特に何か新たな展開はないだろうから、結局は同じかもしれない。話のしやすい呼吸器の先生のお世話になっておくのが無難だということになる。

僕たちは明るく元気なガン夫婦 [療養]

2014年時点で、僕は間質性肺炎を患って7年白血病(CML)を患って4年になる。かなり珍しい病気で、宝くじに当たったようなものだ。間質性肺炎に治療法はないのだが、僕は幸いにしてステロイドによる抑制が効いている。白血病というのも昔から有名な絶望的な病気の代表なのだが、今ではかなり医学が進歩した。白血病の中でもCMLの場合、薬でかなり確実に進行を止められる。しかし、不治の病ではあるから長生きは期待できない。

まだ現役だったから、入院中はもとより、いろいろと連れ合いの負担が増えた。酸素ボンベを持ち歩く、夫の介護を妻が引き受けるというパターンになったわけだ。仕事の手伝いをしてもらうことにもなった。老い先長くないのだからと協力依頼を持ちかけたら、「とことん付き合ってあげるよ」ということだった。以来、こちらも甘えて、なんでも付き合ってもらっていた。定年退職するまで仕事を続けられたのも彼女に助けられてのことだ。

付き合ってくれというのは、別にあんたも病気になってくれという意味ではない。ところが、それが本当になり、先日、今度は連れ合いが多発性骨髄腫(MM)と診断されてしまった。そこまで付き合うこともないのに、僕たちは夫婦で血液内科にお世話になるという世にも珍しいカップルとなってしまったのだ。どこまで仲良しなんだと笑われている。

多発性骨髄腫の方は、いまだに治療薬がなく、新薬もせいぜい延命効果がある程度だから厳しい。良い薬が出来たとしても、骨髄の中だから、簡単には届かないという問題もある。幸いなことは、まだ初期段階なので自覚症状が出ていないということだが、やはり長生きは期待できない。これでどちらが長生きできるかは、いい勝負になってきた。

二人共、血液ガンだから、いわば最初から全身に転移している重篤なガンだ。絶望的な病気ではあるが、家の中が暗くなってしまっているかと言えばそうでもない。不治の病にかかることは実はたいしたことではないのだ。どっちみち人間には寿命がある。全ての人間に余命100年以下は最初から宣告されている。それが70年になったところで、単に数字が変わっただけのことだ。僕らはすでに60年生きているから余命5年といってさえトータルでは結構長い。

病気にならなくても、年をとれば活動力は相当弱まる。頭だってぼけてくる。ただ生きておればよいものではない。よしそれなら、これから5年で、自覚症状が出て、寝込んでしまうと考え、早めに動こう。そう考える事にした。言えることは、早い目に楽しいことはやっておこうよ、と言うことだ。 だから僕らは「明るく元気なガン夫婦」だと宣言しておこう。酸素ボンベを抱えて、大量の薬を持っても、あちこち出かけよう。死ぬまでに、やりたいだけの事をしておこう。体調不良は気力で吹き飛ばすのだ。

しかし、「死ぬまでに何をやりたいか?」というのはなかなか難しい問題だ。 僕の場合、あちこち旅行して世界を知りたい。 考えたことをまとめて本にしておきたい。 なんてことだろうか? 配偶者に聞いてみたら「生涯を主婦と言う名のボランティア」などと嘯いていた。「死ぬまでに」などと言うと話が大きくなって考え込んでしまう。「今月何をやりたいか」「今年は何をしたいのか」ということを積み重ねればいいのだと思う。

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白内障の手術をした [療養]

白内障の手術なんていかにも年寄りくさい。まさか自分がやるとは思わなかった。特に視野が暗いとは思わなかったし、白くカスミがかかったように見えることもない。ただ近視が進んで視力が低下しただけだ。見え方がおかしく、信号の赤ランプが4つに見えたりする。近所の眼科では、少し白内障がありますが、まだ手術するほどではないかもしれませんと言われていた。メガネを変えても良く見えるようにならないのは、何か他の病気かもしれないと大学病院の眼科にいった。運転免許の更新が危ぶまれたからだ。先生の話では、他に悪いところは見られないから白内障の手術をしたほうがいいとの事だった。

しかたがない。白内障の手術をして、原因が白内障でないことを確認しないとこの先に進めない。そう思って手術をすることにしたのだ。実際、あまり年を取ってからより、早い目にやっておいたほうが、手術はやりやすいらしい。僕より年の若い友人が手術をしたと聞いて、自分がまだボケ老人でないというツッパリを和らげたこともある。

しかし、手術なんて嫌なものではある。手術着に着替えさせられて、車椅子に乗る。なんで、歩けるのに車椅子に乗るのだとは思ったが、手術後片目で歩いて遠近感がわからずにひっくり返っても仕方がない。「点滴やります」と言われて驚いた。目の手術に点滴はいらないだろう。何の薬かと聞いたら、ただの生理的食塩水だという。手術中、何か異常が起こって注射が必要になったときに、すぐ注入出来るように、あらかじめ針をさしておくのだということだった。

手術室の入り口はなかなか厳重で、帽子をかぶせられ、職員は消毒液で手を洗ってはいる。手術台に移るのだが、これは椅子型のものだった。リクライニングで身体を倒し、何か大きな顕微鏡のようなものが近くにある。これが、多分手術用の顕微鏡マニピュレータだ。なにしろ、小さな部分の手術だ。手でやれるわけがない。

目の周りに何度も消毒液を塗られる。顔に片目だけ穴の開いた覆いをかぶせられ、麻酔が始まる。麻酔も目薬であり注射ではなかった。、目を開いたままにするように、テープを貼られたようだが、麻酔が効いているので痛くはない。リラックスしようと思うのだけどつい力が入る。知らず知らずに手を握り締めていた。機械が近づいたかなと思ったらとてもまぶしくなった。どうやら、マニピュレータの中の光らしい。光源らしい3つの明かりが見えた。

目がぐっと押される感じで、光が横にずれる。まぶしい。やがて、光源がぼやけて、なにやら明るさだけがわかる状態になる。目がぐっと押される感じは、何度も繰り返される。目をつむりたくなるのだが、つむっては手術ができないだろうから、目を閉じないように頑張る。たぶん、閉じようとしても閉じられないのだろう。

手順では、まず小さな穴をあけて、中の水晶体を取り出すはずだ。少し硬いので超音波で砕いて吸い出すらしい。これに時間がかかる。15分くらいなのだが、非常に長く感じる。あい変らず、ボーとした光がユラつき、目が押される。こちらも疲れてきて。もう、どうにでもしてくれといった気分だ。

次の工程は穴から折りたたんでレンズを入れて中で広げるらしい。しかし、どこでこの工程になったのかはよくわからない。ボーっとした光が、一瞬また3つの光源に見えたりする。「はい、最後に注射をします」といわれて、なにか目がちくりとするが、やっと終わったのかという意識のほうが強い。目にガーゼを貼り付けてしまう。

血圧が高い。心臓もどきどきしている。疲れたなあと言う感じで、看護師さんに車椅子を押してもらって外来病棟に帰った。車椅子なんかいらないと思ったのは明らかな間違いだった。30分安静にしてくださいといわれたが、30分はすぐにたった。血圧が180まで上がっていたそうだ。僕の普段の血圧は120くらいだ。

帰宅して、翌朝また病院に行く。目のガーゼをはずしてもらうと明るい。自分の手のひらを眺めてみると良く見える。30cmくらいでしわなどがくっきりと見える。メガネが合っていないから、遠くはよくわからないが、明らかに前よりよく見える。視力検査で、レンズを変えてはかると1.2まで見えた。すばらしい。

これで、片目が終わり、次の週にもう一方の目を手術した。こちらの目は良く見えるほうで、手術の必要を感じなかったのだが、両方一度にやったほうが、メガネの作り直しが簡単だし、どうせやるなら早く済ましてしまおうということでやることにした。 結果的にはこちらも、近視の度を下げられた。一ヶ月ほどしないと視力は安定しないそうだが、臨時のメガネを作ることにして眼鏡屋さんに行ったら、この程度の度の軽いメガネなら、即日作れますということで、術後の不便もほとんど無しですんだ。

いやはや、躊躇した僕が怖がりすぎていたに過ぎない。目がよく見えるのはなんとすばらしいことか。様々な目の症状はすべて解決した。レンズは固定焦点だから、近くか遠くかどちらかしか見えないことを恐れたが、人間の目は口径が小さいから、十分焦点深度は浅い。固定焦点でもかなり広い範囲でよく見える。2重焦点のメガネをかければ、ほぼ完全だ。白内障の手術は、さっさとやってしまうべきだというのが僕の結論である。

リウマチ性多発筋痛症 [療養]

20年以上も前から、もともとリウマチの傾向があった。左右対称ではないし、リウマチ因子も高くなかったから、典型的なリウマチではない。リウマチ性の間質性肺炎にもなったし、ループス腎炎も経験している。一種の膠原病で、免疫系異常が起こる体質らしい。

最近起こったことは、筋肉痛である。何かの拍子に突然太ももの反対側がギクッと痛む。歩いているときはあまり痛まないのだが、椅子に座るときにギクっと痛んで思わず唸ることになる。腰の関節かとも思うのだが、どうも骨ではなく筋肉らしい。立っていても、体重を移動すると時々、ギクッとなる。これが頻繁に起こるとなると、動きは用心深くならざるを得ない。何をするにもおそるおそるになる。

筋肉痛というのは、こむら返りのようなものと、走りすぎて乳酸が溜まったりしての痛みがあるのだが、どちらかというと後者だ。リウマチなら関節だから筋肉と関係があるとは思われなかった。色々とネットを検索していたら「リウマチ性多発筋痛症」というのがあることがわかった。丁度、読んでいる新聞の記事にもこれが取り上げられていた。60代以上の高齢者に多く、リウマチを持っている人にはさらに多いとある。

処方はステロイドだ。もともと、リウマチと間質性肺炎があるので、ステロイドは処方されている。量はだんだんと減らして行って10mmになっていたのだが、これを20mmまで戻してみることにした。結果は歴然としていた。ステロイドというのは魔法の薬だ。使い方も難しいところがあるが、効き目も大きい。2日目にもう、痛みが少なくなった。3日目にはウソのように痛みがなくなった。

友人に聞いてみると、にたような症状の人が、意外と多い。整体に通ったり、針灸に凝ったりしているのだが、一進一退を繰り返している人が多い。i痛みが肩であったりすることが多いらしい。痛みが一時的に取れると少し直ったように思うが、また痛むということを良く聞く。治療をすれば、おそらく一週間とかからずに結果が出るにちがいない。

こういう人には、整形外科ではなく、リウマチ内科に行って、リウマチ性多発筋痛症ではないかと診断してもらうことを薦める。注意しなければならないのは、リウマチ因子は検出されずとも、リウマチであることがかなりあるということだ。関節リウマチの場合、それでも関節の軟骨が消耗しておればリウマチと診断される。リウマチ性多発筋痛症なら多分、ステロイドが効くかどうかを試してみるのが一番なのだと思う。反応が早いからすぐにわかるはずだ。

このあたりは、担当のお医者さんの考え方にもよる。若いお医者さんは、検査ではっきりと診断がつくまでは処方しない傾向がある。ベテランのお医者さんは、検査が万能でなかった時代に育っているので、こういったプラクティカルな対応をしてくれる。ステロイドは直ったからといってすぐに止めるわけにはいかない。徐々に減らして行くプロセスが必要だからだ。こういう意味でも、かかりつけ医として、自分に合ったお医者さんと常々接触しておくことは、大切だと思う。






僕の間質性肺炎 [療養]

間質性肺炎の経過

僕は、30代のころからリウマチがあったと思う。時々、右手首が痛んだが、キーボードの使いすぎで、腱鞘炎になっているのだと思っていた。40代になって、その痛みが強くなり、我慢できず整形外科に行った。

リウマチ反応はなく、指のこわばりとか、左右対称の痛みとかはないので、リウマチとは診断されず、痛み止めとシップ薬を処方された。そのうち痛みはなくなり、一過性のものだと言われた。しかし、手首の痛みは、前からあったのだから、一過性などというものではないのは確かだった。

案の定、また半年後には痛みが出てきた。今度は、レントゲンで手首の関節に異常のあることがハッキリしたので、大学病院のリウマチ科に紹介状を書いてもらうことになった。大学病院では、リウマチ反応はなくても、リウマチに間違いないと診断された。

まだ初期の段階だということで、アザルフィジンを処方され、関連病院に通院することを勧められた。こちらの病院は土曜日にも診察が受けられるので、仕事への影響は少なく、都合が良いものではあった。治療といっても、雑談をして、同じ処方箋をもらって帰るだけの通院だ。この病院に、5、6 年くらいも通っただろうか。

僕は医者にあまり好かれない。生意気だと思われるのだろうか。この病院での担当医は、実は大学の教授のかけもちだった。リウマチ診断をした教授とは別の人で、どうやら主流からはずれた窓際にいるようだった。僕を、生物学の研究者だと勘違いして、医者の学問水準を見下していると、敵愾心を持たれてしまったようだ。自分の病気について調べ、最近の論文についての議論をを度々したのが、まずかったようだ。

この頃から僕は、咳が出るようになった。特にひどく咳き込むというわけではないが、カラ咳が出て、セミナーなどの席上では、邪魔になる。しばらくすればおさまると言われたのだが、半年たっても直らない。何か原因があるだろうから調べてくれと言っても、たいした事ではないと、取り合ってくれない。

何度も咳の話をしていると、「そんなに私が信用できないなら、呼吸器の専門家に紹介するから見てもらえ」と言い出した。大学病院に行くと、レントゲンを取られ、呼吸器内科の診察を受けることになったのだが、そこに、かの教授先生が現われたのには驚いた。担当医が、特に異常は見られませんと言うと、横からそらみろと口を出す。これ以上は、肺生検でもやらないとわかりませんがやりますか?と言われて引き下がることになった。

カラ咳の他にも。ちょっと走っただけでも、えらく息切れするといった症状もあったのだが、僕自身もあまり気にしていなかった。異変が起こったのは、60才で夏風邪をひいた時からだ。熱が何日も下がらず、近くの医院で、抗生物質を処方してもらったのだが効かない。肺炎の恐れがあるということで、これまた近くの病院に行くことになった。この病院は老人病院であり、あまり評判は良くない。しかし、院長は呼吸器の専門家ではある。

病院では、おそらく肺炎でしょうということになって入院治療を指示された。治療に、いろいろと抗生物質を試したのだが、熱は下がらず、呼吸も困難になってきて、酸素吸入をすることになった。KL-6の値も低かったのだが、ものはためしということで、ステロイドを投与すると反応があった。これで間質性肺炎の診断になった。

高分解能のCTでも受けておれば、もっと早い段階で、診断がついたかも知れない。念入りに聴診してもらえば、バリバリという独特の呼吸音が聞こえたかもしれない。間質性肺炎の診断がついたのは、急性増悪の状態が、3週間も続いてからであった。しかし、この病院では、他の入院患者は、口も聞けない老人ばかりだったので、よく院長と話すことができ、治療は、こちらの意見も聞いてもらって進めることができた。

ステロイドパルスが効いて、肺のレントゲンも見事に回復した。2ヶ月の入院で、無事退院と思えた。ところがその後、急性増悪が復活してしまった。今度は、ステロイドパルスも効かない。crpが高値を示した他、血糖値が増加し、γGTPも跳ね上がり、尿路の感染も現われた。もちろん高熱も出た。検査値にも、KL-6が700、RAHAが80などという値が出るようになった。

手の打ちようがないと思われたので、大学病院への移送になった。ところが、病床の空きがないということで、これはペンディングになった。院長の判断で、ともかく過剰ステロイドによる症状を下げることで、免疫抑制剤の投与と、ステロイドの減薬を進めることになった。ステロイド投与の影響でアスペルギルスのような細菌の増殖が、間質性肺炎に重なったとの判断だ。症状は結構重篤で一時は意識不明になったりした。

院長は、検査数値ではなく、レントゲンの所見を重視して、悪くなっていないと判断した。このあたりは経験を積んだ臨床医の技だ。ステロイドを徐々に減らして行くと、重篤と思われた症状が緩和されていった。一方で、様々な抗生剤を投与して反応を見る。アスペルギルスは、こうした反応からの推定だ。ところが、ここで大学病院から受け入れの通知が来てしまった。

大学に移送されて、様々な検査が始まった。せっかく進んでいたステロイドの減薬も停止され、検査が続いた。一ヶ月ほども検査ばかりで治療は進まない。肺生検をやったりしても、結果は出ない。なぜなら、すでに抗生剤を投与しているからだ。γシンチとか、様々な最新の検査をするが、この場合、無駄としか言いようがない。

いいから早くステロイドの減薬を進めてくれと言う僕と、検査結果を待っての判断にこだわり、素人が口出しするなと言い張る担当医との喧嘩になってしまった。指示通りに薬は飲まないと言うと、責任を持てない患者を置いておくわけには行かないと言い出した。望むところだと、大学病院を追い出されることになった。

元の病院に戻って、ステロイドの減薬を進めると、どんどん状況は良くなっていった。一ヶ月で、ステロイド量30mgとなり、ほとんどの症状がなくなって行った。副作用を抑えるだけでなく抗生剤の効きもよくなるのだ。病気休暇も、有給休暇も使い果たし、停職ぎりぎりに追い込まれていたのだが、病院から外出許可を取って、半日出勤をした。2週間、半日出勤を続けて、大丈夫だと自信をつけ、退院した。

寝てばかりだったので、すっかり筋力がなくなって往生したが、ともかくも社会復帰には成功した。幸いなことに僕の仕事は、上司に管理されるようなものではなく、自分で仕事の内容を決めることが出来たから、体力がいらないような方向転換をした。その後、64才で定年になるまで、4年間働き続けることができた。しかし、在宅酸素は必要で、酸素ボンベを持ち歩くことになってしまってはいる。

症状は安定しており、10mgのステロイドで、ほぼ症状を抑えきれている。ステロイドを減らして行きたいのだが、減らすと症状が現われてしまう。減らさなくとも、時々、リウマチが暴れだし、関節に現われたり、腎臓に現われたり、肺に現われたりする。リウマチないしは膠原病とは、これからもうまく付き合っていかねばならない。酸素ボンベを担いで、どれだけのアクティビティーを出せるかが僕の課題だ。

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酸素ボンベと同調器 [療養]

間質性肺炎になって以来、「在宅酸素療法」を続けている。「療法」と言っても、これで直るわけではない。肺胞が損傷を受けた結果、肺活量が小さくなってしまい、外部から酸素の補給が必要なのである。

僕の場合、運動すると苦しいが、安静にしておれば特に息苦しいというわけではない。それでも、脈拍は高い。つまり、血液を高速で回すことによって、体内に供給する肺からの酸素を増やそうとするのだ。結果的に心臓への負担が大きい。だから、酸素を吸って、心臓の負担を減らしてやろうということだ。酸素吸入量は今のところ1L/minでしかない。これが今から増えて行く可能性は十分ある。

家には酸素濃縮機が設置してあり、空気中の酸素を濃縮する。出来た酸素をチューブで鼻に持って行く。鼻の穴とのインターフェイスになる部分をカニューラという。僕の場合10mのシリコンチューブの先にカニューラをつけているから、家の中はどこにでも行ける。ただし、チューブを引きずるから、時々引っかかることがある。まあ、これは仕方ないが、鎖に繋がれた犬になった気分だ。

外に出かける時は、酸素ボンベのお世話になる。POCも使うが、これについては後日書くことにする。常に、5,6本持っていて、なくなれば酸素会社に連絡して持って来てもらう。持ち歩きには、少し重いので、多くの人はカートに積んで、転がしてているのだが、僕はあえてカートを使わず、担いで歩くようにしている。重さ4kgくらいだから、軽くはない。しかし、カートよりずっと機動性がある。

ボンベには圧縮した酸素がつめてある。150気圧だから見た目の150倍の酸素があるわけだ。しかし、ボンベの厚みもかなりになるので、1本の酸素ボンベに入っている酸素は大体360~400Lくらいで、もし1L/minで使えば360分つまり、3時間でなくなる。予備のボンベを持って歩くとなれば大変だ。うまく考えたもので、同調器というのがついている。酸素がいるのは、息を吸うときだけだ。しかも、吸う時の前半だけが有効で、後半は肺の奥までたどり着かずに吐き出されるから意味がない。だから、息を吸い始めるタイミングを捉えて、パッと酸素を送れば、1/4の量で効果を保てる。そうすると、ざっと4倍、12時間は持つことになるのだ。これだけあれば、出歩くといった分には問題がない。僕は、毎日ボンベを持って出勤して帰ってこられた。

ありがたい同調器ではあるが、これが使えないという話をよく耳にする。「私は同調器が合わないから」と言う人は多い。実は誰もが「同調器が合わない」と思うように出来ている。呼吸による微妙な圧力の変化を検知するのだが、遅れを防ぐために、吸うタイミングではなく、吐き終わったタイミングを捉えるものが多いからだ。使う側から見ると、何か外れたタイミングでバルブが開いているように感じられるが、機能的にはこれでいいのだ。使わないために外出を制限されている人はもったいないことをしていると思う。

実は同調器には問題が多い。医療機器だからということで、やたらと厳しく作られている。ユーザーから不満が伝えられても、命に関わるというわけで、なかなか改良が進まないらしい。同調器は電子機器だから電池がいる。バルブを動かすのだから結構この消耗が激しい。3日ごとに電池を入れるのは出費も大きい。ニッカド電池で充電して使いたくなるのだが、これがうまく行かない。ニッカド電池は普通のアルカリ電池よりも少し電圧が低い。すぐに、電池がなくなったという警告が出る。警告というのが用心深く、まだ数時間分も残っているのに、うるさく出てくるのだ。

これに対しては、サンヨー、パナソニックから出ている新しいタイプのニッケル水素電池を使うと良いことが分かった。普通の充電式電池より少し電圧が高いのだ。もちろん、酸素会社の人は、アルカリ電池以外は使わないでくださいと言う。電池代は随分助かるが、変則使用はあくまでも自己責任である。実際、ニッケル水素電池の場合、警告が出てから動かなくなるまでの時間が短い。酸素が無くなればたちまち苦しくなる人は止めておいたほうが良い。必ず予備電池を持って出かけなければならない。

同調器の警報音は、他にも問題を引き起こす。カニューラを使うと、どうしても鼻を刺激してしまい。鼻水が出る。鼻づまりになると、呼吸がうまく検出されなくなり、警報を発する。呼吸が止まったかも知れないので、医療機器としては当然の仕様ではあるが、このけたたましい警報が問題になることが多々ある。映画とかお芝居を観ていて、感動的なシーンになると、鼻がつまって警報が出るのだ。周りの人にとって、これほど迷惑なことはない。

警報を止めることは技術的には簡単なことだ。しかし、もし警報が鳴らなくて誰か死にでもしたら責任問題が生じる。だから、いつまで経っても警報停止スイッチはつかない。

ところが最近、画期的なものを発見した、小池メディカルが作っている「酸歩フリー」という同調器だ。完全機械式で電池を使わない。だから、警報の出ようがない。これで事は済むのだ。出るようにできるが、出さないのではないから、責任問題は発生しないというわけだ。さっそく、これに取り替えてもらった。電池の消耗はないし、トリガーのタイミングも、吸気にあわせて働くから自然に感じる。

機械は、いろいろと工夫されるものなのだ。 最近衰退が目立っているが、日本の製品技術も、まだまだ捨てたものではない。

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携帯用酸素濃縮機(POC)を使う [療養]

在宅酸素を使っている人の多くは、家に酸素濃縮機を設置して、出かけるときは酸素ボンベを使う。液体酸素というのもあって、こちらはボンベよりも軽いという利点がある。どちらにしても、出かけるときは、酸素の残量を気にしなければならない。長期に出かけるには、何本も酸素ボンベを用意したり、持ち運びも大変だ。僕は、ボンベを8本持って自動車旅行をやってみたが、3日が限度だとわかった。就寝時には同調器が使えず連続になるから消耗が激しいからだ。それに、ボンベの取替えで夜中に何度も目を覚まさなければならない。

間質性肺炎になるまで、よく外国に出かけていた僕にとって、在宅酸素生活は、なかなか辛かった。航空会社は、機内で使う酸素ボンベを供給してくれることがわかったのだが、向こうについてからどうするのかの見通しがつかない。向こうの友人に頼んで酸素ボンベを持って迎えに来てもらう手もあるが、飛行機を降りてから、入国審査、通関、荷物の受け取りといった長い道のりがある。その間の酸素は手の打ちようがない。

携帯用の酸素濃縮器があれば良いのにと思っていたら、海外ではPOC (Portable Oxygen Concntrator)が、かなり出回っていることがわかった。 2008年当時の話だが、POCは、日本では全く使われていなかった。おそらくPOCを使ったのは、僕が最初だろう。日本には、発達した保険制度があり、それにPOCが入ってなかったからだ。厳密には、日本でPOCを販売することは薬事法違反の犯罪になるのだった。

なんとか手に入れたいと試みたのだが、購入には医師の診断書が必要で、用紙には医師のstate licence number まで書かないといけない。つまり、アメリカに行って診断を受けなければいけないということだ。しかしPOCを手に入れないことには、アメリカに行けない。鶏と卵のジレンマに陥ってしまった。結局のところ台湾経由で業者に頼むという裏技的な方法で入手することができた。ずいぶん高くついてしまった。

高くはついたが、それだけの値打ちはあったと思っている。POCを持って外国に出かけたのは10数回だろうし、共同研究で3ヶ月のアメリカ滞在も果たせた。予備のもう一台をアメリカで買ったら半額で買えてしまった。電池は同調器を使っても4時間しか持たないのだが、車の12Vからでも、家庭の100Vからでも充電できる。旅行中は、レストランで食事中に充電させてもらう。断られたことは一度もない。

POCは、何社もあって競争しているから、なかなか良くできている。Eclipseは重さ6.8kgで軽くはないから、カートで引っ張るが、大きさは小さな旅行バックくらいだ。同調器を使えば6L/minまで対応するし、就寝中の連続使用は3L/minまでだから、定置式の酸素濃縮機と比べてもひけをとらない。エスカレータで手を滑らせて、下まで転げ落ちたこともあるが、壊れなかった。3ヶ月X24時間の連続使用も平気だった。

セキュリティーチェックの厳しい飛行機にも持ち込める。しかし、電源は使わせてもらえないので、長時間かかる国際線では、多数の電池を用意しなければならないし、事前に診断書を見せて登録もしなければならない。僕は、機内に関しては航空会社にボンベをお願いすることにしている。大体、大きなボンベで一本1万円くらいかかるが、電池の交換に起きないですむ。しかし、すべての航空会社がPOCに対応してくれるわけではなく、国内ならANAとJALに限られ、LCC(格安航空会社)は受け付けてくれない。

さて、このPOCがいよいよ国内でも公式に使えることになった。しかも、おそらくタダである。アメリカでは、POCが普及したので航空機へのボンベの持込を禁止した。考えてみればボンベは高圧ガスで危険この上ないしろものだ。POCは空気中の酸素を少しづつ濃縮するだけの機械だからよほど安全だ。そんなことで、厚労省が輸入したPOCの使用をついに承認したのだ。僕が使っているEclipseも今年(2015年)から保険適用になった。

現在、在宅酸素療法の診療報酬点数 は、指導管理料 2,500点/月 、酸素濃縮装置 4,000点/月、酸素ボンベ 880点/月、 同調器 300点/月 で、厚労省は「酸素濃縮装置」としてPOCを認可した。つまり、POCは従来の酸素濃縮機の置き換わるものだということになる。おそらく酸素会社は置き換えをしないだろうが、出かけると言えばその期間POCを使わせてくれるようになるかもしれない。保険点数は上がらないから、患者側からみればタダということになるはずだ。酸素会社としても1台持っていれば、多数の患者に順繰りにつかえるから、他社との競争で、これくらいのサービスをしてもおかしくない。

技術の進歩が、酸素が必要な人の生活を豊かにしてくれれば、すばらしいことだと思う。POCを持って外に出よう!!まずは、酸素会社と病院に「こんなのがあるから使わせてくれ」と言ってみよう!!

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不幸中の幸いばかり---僕の病歴 [療養]

僕は、生まれてすぐに1才でジフテリア禍事件に巻き込まれた。ジフテリアの予防注射に毒素が混じった事件だ。84人が亡くなったのだが、僕は死の淵をさ迷いながら、奇跡的に助かった一人だ。不幸中の幸いの始まりだった。

後遺症かもしれないが、体は丈夫でなかった。中学生の時には腎炎になり、入院でかなり長く入院して、通常ならば高校進学が危ぶまれるところなのだが、当時の京都府は蜷川知事の革新府政で「15の春は泣かせない」という教育政策で、難なく高校に進学できた。これも不幸中の幸いだろう。

高校でも、入院があり、順調ではなかったし、父親の転勤で転校もすることにもなった。しかし、幸いなことに、温かい高知に引っ越したことからか、3年生時分には、すこぶる体調が回復して、受験勉強をすることができた。体調の波が都合よかったのでこれも不幸中の幸いになる。

大学では、おおむね体調よく過ごせたが、睡眠異常に陥った。今思うに自律神経失調症だったのではないかと思う。昼夜逆転で、なかなか授業に出席できないことが続いた。4年生の授業は結局一回しか受けていない。これは不幸なのだが、幸いなことに、出席をとやかく言うような大学ではなかった。自分で勉強して、試験を受けさえすればそれで良かった。そもそも、大学闘争の最中で、授業もまともに行われないことが多かったのだ。卒業し、合格最低点だったと思うが、大学院にも進学できた。

大学院では午後から夜中に実験するのも普通だから、問題は無いのだが、会社に就職するとなれば、朝早く起きなければ生活は成り立たない。これは、かなりピンチではあったが、幸いなことに研究を続ける道に進むことができた。生活時間など、気持ちの問題で、誰だって早起きできるなどと言う人がいるが、それほどたやすいものではない。僕は世の昼夜逆転族に共感する。昼夜逆転から引きこもりとなって、社会から葬られてしまう人も多い。

研究する上では、出勤時間などは問題ではないし、要するに、論文を書いて成果を示せばよいのだ。体調を崩してもそれに合わせた仕事ができる。今でも朝は苦手ではあるが、10年ほどもかかって、一応社会生活ができる範囲にはなった。実際には、体調もよくなり、まるで丈夫な体の持ち主であるかに感じたくらいだから、一応の仕事は出来た。しかし、本来目指すべき画期的な業績には、程遠かったのだから、残念というべきだろう。病気のせいにするのは逃げ口上である。僕の才能の限界と認めざるを得ない。

しかし、健康というわけではなかった。ずっとリウマチに悩まされたし、心房頻脈で心臓手術も受けた。耳は難聴で、目は硝子体の濁りが取れない。肝機能が良くないので酒類は一切飲めない。およそ悪くない所は無いくらいだ。しかし、こんなものは、不幸の内に入らないと思っている。

不幸と言えば、経歴途中で、間質性肺炎になったことだ。急性増悪で病気休暇も年休も使い果たして、あわや退職というところまで行ったが、ぎりぎりで職場復帰できた。結局、定年まで勤めることができたから、これは、幸いだった。間質性肺炎になったことは不幸だったと思うが、間質性肺炎の中で、リウマチ性というのは、最も軽いものだ。進行の危険はあるのだが、ステロイド治療が有効だ。治療法が見出されない特発性間質性肺炎とは異なる。不幸中の幸いであった。

さらに重なる不幸は、白血病である。間質性肺炎に白血病が重なるというのは、なかなかのものだ。白血病には絶望的なイメージがあるが、同じ症状を示す白血病の中でも、慢性骨髄性白血病というのは、特別なものだ。近年、特効薬が開発され、もはや絶望的な病気ではなくなっている。不治の病であり、抗がん剤を飲み続けなければならないのは不幸だが、薬を飲んでいる限り、悪化することはない。これこそ不幸中の幸いだ。

このように、僕は、何度も不幸に遭遇している。そして、その度に、不幸中の幸いで切り抜けて来た。酸素ボンベを抱えながらも、アクティビティーを保ち、旅行に出かけたりすることは、むしろ健常な人より多いだろう。今からも、数々の不幸に見舞われるだろうが、それで挫けないと言う妙な自信が付いてしまっている。

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<追記>
最近、僕の病歴にまた一つ不幸中の幸いが付け加わった。「肺がん」となり、CTでも腫瘍マーカーでもそれが確認されて余命2年を覚悟したのだが、どうも、活性の低いガンだったらしく、ガンとの共生が可能かもしれないということである。間質性肺炎、白血病、肺がん。これだけの不幸を抱えて、まだ頑張れているのは幸いだというしかない。

パルスオキシメータの発明 [療養]

パルスオキシメータと言うのは、肺の働きをチェックできる小さくて便利な測定器。指先を突っ込むだけでSPO2(酸素飽和度)を測定できてしまう。

肺から取り込まれた酸素は、血液が体中に運搬して廻る。血液が、目いっぱい酸素を運んでいるかどうかの度合いがSPO2なのだ。肺の働きが良ければ、血液は100%酸素を受け取る。しかし、肺の働きが悪ければ血液は十分な酸素を受け取れず%数値は下がってくる。一部の血液は酸素を受け取れずに体を廻ることになる。

血液を取り出して分析すれば、もちろんどれだけ酸素が含まれているかは、わかる。しかし、これを単に指先を突っ込むだけで測れてしまうと言うのは驚異だ。血液を分析するのも簡単ではない。普通の血液検査のように、静脈血ではだめで、皮膚から深いところにある動脈血でなくてはならない。戻りの血液は、もう酸素を手放したあとだからだ。動脈は圧力が高いので、下手に採血すると血が止まらなくなるから、看護師では出来ない。動脈採血は医師がやることになっている。

こんなに大変な酸素飽和度を簡単に計る仕掛けを1974年に発明したのは、日本光電工業という小さな会社の青柳卓雄さんと岸道男だそうだ。製品化した最初はミノルタカメラだ。パルスオキシメータという命名はミノルタのものだ。

赤血球に含まれるヘモクロビンが肺で酸素と結合して、体のあちことで酸素を手放す。酸素と結合した状態のヘモクロビンは赤い色であり、酸素を手放すと黒味を帯びる。だから、手の指に光を通せば、この色の違いがわかるということになる。

とは言うものの、指には肉も皮もあるし、血液だって静脈血と動脈血がある。強い光にすかして見たって、血管すらはっきりと見えない。普通に考えて、指の外から色の違いなんて見えるはずがない。

これを見えるようにしたと言うのがこの発明の素晴らしいところだ。LEDで光を当てて、指の反対側に置いた受光素子で光の強さを電気信号に変える。電気信号は、時間的に変化しない部分を差引いてしまう事が出来る。つまり、心臓のパルスに従って変化する成分だけを取り出して増幅するのだ。周波数範囲を限定すれば、非常に高い増幅度にすることが出来る。目に見えないような色の変化を十分取り出せるのだ。

肉や内皮にも似た様な光はあるし、静脈血にも酸素を持たないヘモクロビンはあるのだが、これはパルス変化しない。酸素を持ったヘモクロビンの波長に対応する光と、酸素を持たないヘモクロビンの波長に対応する光について、心臓の鼓動のようなパルスになる信号で比較すれば、それぞれの比が求まる。これで都合よく、動脈血の酸素飽和度が求まる。

パルスオキシメータでは、脈拍数も同時に計れる。それは、パルスに同期した信号を探すからだ。デジタル表示でしっかりと数値が出て、体調が一目で分かるのは実にありがたい。呼吸障害がある人の必須アイテムになっている。

僕の場合、静止して酸素を吸っておれば、SPO2は96%なのだが、少し動くと、すぐに70%に下がってしまう。動いた後、静止すると却って数値が低くなったりする。酸素運搬量は、脈拍にもよるので動きはなかなか複雑だ。

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