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危うく-------てるみくらぶ [日常生活]

旅行社てるみくらぶの倒産で、旅行者の被害が話題になっている。僕らも全くの他人事というわけではなく、危うく被害者になろところだった。そのいきさつを書いておこう。ことの起こりは年金である。

少しではあるがアメリカの年金をもらえることになった。その事情は前にも書いたとおりだ。国民年金(social security benefit )ではなく厚生年金みたいなものだが、その手続きで公証人のサインがいる。太平洋横断の船旅はこのサインをもらう目的もあってのことだった。ところが、書類の書き込みでミスをしてしまい、却下ということになってしまった。出し直しなのだが公証人のサインが困りものだ。

アメリカには実印といったものがなく、すべてサインだから、少し重要なサインには公証人の認証がよく使われる。公証人の目の前でサインして、確かに本人のサインですよと、証明をつけてもらうのだ。日本で言う印鑑証明のようなものだ。お店が副業で公証人をやっていることが多く、どこにでもあるし、費用も印鑑証明の手数料程度だ。日本にも公証人制度はあるのだが、遺言とかの公正証書を作る時に使われるとか、あまり馴染みがなく、費用も弁護士並みでえらく高い。

こんな費用を払うくらいなら、もう一度アメリカまで行くかということになるのだが、航空券もそう安くはない。そこで思いついたのが日本に近いグアム島だ。アメリカの信託統治領だから、アメリカのように宅急便の営業所で公証人のサインがもらえる。海で泳げるわけでもないのだが、避寒を兼ねて明るい海の景色を見るのも悪くはないだろう。

ネットを検索して、一番安く行く方法を探した。二泊三日1グアムツアー1万5千円、ホテルまで付いて航空券より安いのだから驚く。もちろん、公証人費用よりはるかに安い。「てるみくらぶ」という旅行会社だが、最近ネットで急伸長しているらしい。これはいい考えだ、このところ連れ合いは腰痛を訴えて機嫌が悪いが、年明けには収まるだろうし、暖かいところで過ごせば養生にもなる。さっそく申し込もう。

ところが、ここで連れ合いの腰椎圧迫骨折が判明してしまった。申し込みには待ったがかかった。さらに、検査結果から多発性骨髄腫の抗がん剤治療も始まってしまい、グアム行は無理と言うことになったのである。二泊三日グアムツアー1万5千円はどう考えても赤字だ。赤字を増やしても、とりあえず明日払う現金が欲しいという状態だったようだ。もう少しで我が家も被害者になるところだった。

改めて考えて見る。すんでのところで、てるみくらぶの被害者にはならなかったのだが、本当のところ僕は被害者になりたかった。連れ合いが元気になって、グアム行を申し込んでおれば、悔しい思いはしただろうが、その方が、副作用や痛みよりも、よっぽど良い。このところ、少し副作用に体が慣れてきたようで、少し動けるようになったのが救いだ。

公証人のサインの方は、結局アメリカ大使館でサインをもらえることがわかった。3通で45ドルだから普通よりかなり高いのだが、もちろん日本の公証人とは桁が違う。わずかだが、年金が追加されるのは大いに助かる。

間質性肺炎で亡くなった旧友を悼む [若かった頃]

僕と同病の友人が亡くなったことを知った。フェースブックに自作の戒名がアップされて、エイプリルフールのいたずらかと思ったら、前日になくなっていた。死期を知り、あらかじめ公開日を指定しておいたらしい。

彼との30年来の付き合いは僕がアメリカにいた時に始まる。シカゴにも日本人は多く住んでいたが、大部分は北西の高級住宅街に住んでいて、そこには日本語学校もあった。僕は勤務の関係でかなり遠い西の郊外に住まざるを得なかったのだが、この地域には日本人があまりいない。子供たちの教育が問題で、日本語をあきらめてしまう人も多かった。そんな中でもシカゴまで通学バスを走らせることを組織した人たちがいた。

彼は熱心にバス運行を支えている父母の一人だった。毎週土曜日にバス停に集まり、子供たちを送り出したあとで、いろんなことを話し合って仲良くなった。「Get Nips out. Keep Ameria clean」などと落書きされたり、人種差別事件もあった。当時の在米日本人には面白い人物が多かったのだが、中でも彼の強烈な個性は光っていた。僕はいつも彼の話に引き込まれた。

1970年当時、外国に行くというのは勇気のいることだった。僕のようにいずれ日本に帰るあてがあれば気楽なのだが、職も決まっていない場合、相当な決心がいったと思う。それでも、アメリカに渡る人はいた。しかし、大抵は挫折して語学研修に終わる。彼のように大学院で化学を専攻して、博士の学位まで取るような人は少なく、並大抵の努力ではなかったはずだ。何事にも熱中するのが彼の性格であり、情熱を持って初志を貫徹する人だったのだ。

彼がイリノイ州に来たのは大手食品会社クラフトの研究員になったからだ。そこで彼はマイコンに出会った。70年代の末、ワンチップCPUが現れ、新しいコンピュータの時代が始まったころだ。化学とは全く分野違いなのだが、小さなチップに埋め込まれたコンピュータの魅力に取りつかれ、安定した研究生活と高給を放り投げて独学でコンピュータの世界に飛び込んだのだ。零細企業に転職して、「マッドプラネット」とかのアーケードゲームの開発に没頭した。なんという思い切りの良さだろう。

やがて彼は独立して、ソフトウエア会社を立ち上げた。マイクロソフトなどの下請けでいくつものソフトウエアの分担をこなしたりしていたが、もちろんそんな生業を続けるつもりはなかった。彼の会社の主力製品として映像用のDATテープを使った記憶装置を開発した。テープなのにまるでディスクのように働く。ディスク容量がMBの時代に、GBの容量をもった記憶装置の普及に意気込んでいた。

彼の家の地下室には世界本社(world headquarter)の看板を掲げていたが、従業員は彼一人だ。ベンチャービジネスが皆アップルのような成功を収めるわけではない。いや、むしろほとんどの会社が数年で消えていく。生き残ることさえ稀な世界だ。半導体メモリーの発展は目覚ましく、今では100ギガバイトのメモリーも普通になっているくらいだから、彼の大容量記憶装置は残念ながら普及する前に時代遅れになってしまった。

しかし、その付属として作ったファイルコピーのソフトが生き残った。いろんなソフトをインストールする時に、多くのファイルをコピーしなくてはならないのだが、これを効率よく行うために彼のソフトが今も各社で使われている。彼の会社は、今に至るまで20年以上も続いた。自分一人でプログラムを作り、それで家族を養っていけた人が何人いるだろうか。

僕は数年で日本に帰ったのだが、その後もイリノイを訪れるたびに、彼にあったりしていた。大変なお世話になったこともある。僕がパスポートを紛失してしまい、途方に暮れたことがある。領事館で帰国のための認証をしてもらおうと思ったら、保証人が要ると言う。あの時は彼に保証人になってもらってやっと帰国することができた。僕が酸素を抱えるようになってからも、POCを使ってアメリカには行った。その時、間質性肺炎については、いろいろと彼に説明をした。

3年前、彼から「俺も間質性肺炎になったらしい」と連絡があった。skypeで話をしたのだが、どうも十分な検査ができていないように思えた。自営業みたいなものだから、保険が十分カバーしていない。治療しても無駄だなどと言われていた。それで、彼は日本に帰国して治療を受ける気になったらしい。彼は東京の名門高校の出身で、同級生には著名な医者も多い。

帰国しての治療で彼は見違えるように元気を取り戻した。我が家にも来てくれて久しぶりの再会を楽しんだ。いつもながらの彼の元気のいい話ぶりにこちらが励まされた。何事にも熱中するという彼の性格は素晴らしい。子供たちがバイオリンを習い始めた時には、彼自身も練習を始め、家族でカルテットを組むと言うことまでやった。帰国してからは碁を始め、これも一年で初段を取った。

彼のフェースブックに、酸素量が増えたことが書いてあったのはつい一か月前のことだ、肺高血圧症が出て入院したのだが、2週間前に退院して、一段落したと思っていた。まさかと疑ったが、奥さんから電話があって確定した。元気であっても、間質性肺炎の最後は急接近してくるものらしい。

精一杯生きた一人の人間として彼の生きざまには学ぶところが多い。実に立派だと思う。冥福を祈るばかりだ。

痛みはあっても、お花見にはでかける [日常日記]

水曜日が化学療法の日だから、副作用が減る週明けに連れ合いは一番元気になる。筍ご飯のおにぎりを作ってお花見に行こうと言いだした。ここしばらく、出かけるというようなことはなかった。圧迫骨折した背中の痛みも今日は少ないらしい。

空は晴れている。出かける先は家からほど遠からぬ記念公園だ。大きな広場は一面の芝生なのだが、その周囲を桜の木が取り囲んでいる。明るい陽ざしをうけて、「あでやか」と言う表現がぴったりな桜の美しさだ。花を満載した枝の下に立って見上げると、花の世界に引きずりこまれるようだ。

願わくば花の元にて春死なむその如月の望月の頃

良く知られた西行法師の歌だが、旧暦だから丁度今の季節だ。しかし、この歌の「死なむ」には納得できない。ここはどうしても「生きむ」だろう。この花は生きる喜びを与えてくれるものだ。彼女が骨折の痛みを我慢しておにぎりを作ったのも、この花に元気を貰いたかったからに違いない。

桜の花の寿命は短い。週末はお天気が悪かったから見逃した人も多いことだろう。今週の週末にはもう散っているはずだ。短い命を惜しまれるからこそ美しいのかもしれない。人間の寿命も長いようで短い。花のように美しく散るということは出来ないが、精一杯生きれば、自分の心の中では満足の行く一種の美しさが得られるのではないだろうか。

桜を楽しんだのも束の間、帰ってきたら、また痛みが出てきたようだ。ちょっと顔をしかめたリして座り込んでいる。しかし、しばらくぶりで出かけられたことは良かった。

僕も、得意の携帯用アルコールランプを持ち出して、あたたかい陽ざしの中で、お茶を沸かすことができた。本当はコーヒー党なのだが、コーヒーはちょっときついという連れ合いに付き合って今日は紅茶だった。旅先で息をのむような景色を眺めながらコーヒーを淹れるというのが僕の定番の楽しみなのだが、彼女がが元気になって、また二人で旅に出られるのはいつだろうか。

まだまだ検査数値は高いが、薬は少しづつ効いてきている。もう少し頑張って見よう。連れ合いを励ましながらのお花見が、今日一日のたわいもなく大きな出来事だった。

土鍋で炊飯に挑む [定年後の苦難]

連れ合いが寝込むという事態になって、はからずも彼女の聖域であったお料理に足を踏み入れることになった。やって見れば簡単で、おかずは何でも出来合いを買ってこられる。やるにしても、「の素」を買ってきてインストラクション通りに材料を入れればよい。連れ合いに言わせればそんなものは料理ではないと言うことだが、一応の味はするし出来立てのおいしさもある。要するに材料と味付けがあればいいのだ。

ところが、これで解決しない問題が一つある。それはご飯だ。スーパーで買ってきたご飯を電子レンジで温めたものはうまくない。いつも連れ合いが炊いてくれていたご飯が、やはりおいしい。これには「の素」もないし、味付けのインストラクションもない。炊き方だけの勝負なのである。

アメリカにいた時、ボスの家に招待されて、「日本人は米が好きだというからボイルしておいたよ。どうだ、うまいか?」などと言われて往生したことがある。ご飯はいくらでも下手に炊けるものなのだ。

ならば、ここはひとつ、僕が上手にご飯を炊いてみようと言うことになった。連れ合いは炊飯器でご飯を炊いている。少量は炊けないらしく、特に最近は連れ合いの食欲がないから、一度炊くと何日も残り、温め直しの味はスーパーのご飯と大差ない。僕の課題は少量のご飯を美味しく炊くことにある。

調べて見ると、少量のご飯を炊く簡便な方法は、それ用の容器に入れて電子レンジを使うやり方らしい。しかし、この方法は評判が良くなく、おいしいという評価は全くない。一人用炊飯器というのもあるが、これも良さそうではない。おいしい炊飯器と言うのは、どれも五合炊きで大きすぎる。中には10万円以上もする高級品があって、それだけ世の中の人はご飯の炊き方にうるさいという事が示されている。

で、この高級炊飯器のどこが違うかというと、①IHによる全面加熱、②温度コントロールと③強い火力なのだが、その謳っていることは、「釜炊きのおいしさ」である。高級炊飯器は釜炊きをシミュレートしてるに過ぎない。ならば釜で炊くのが一番おいしいと言うことになる。

昔、薪を燃やしてご飯を炊いていた頃、羽釜と言われるつばのついた釜に木製の分厚い蓋をしていた。これを「かまど」にはめ込んでつばで支えるしかけだ。炎が釜全体を包み込んで全面加熱になる。「かまど」がないから、これをそのまま使うわけには行かないが、ガスコンロの上に疑似的に「かまど」のような構造を作り、燃焼ガスの通り道を作って、釜の全面加熱ができるようにすれば良いのではないだろうか。

ガスコンロの火力は十分薪に匹敵する強さだ。問題は温度コントロールで、特に少量の場合は変化しやすい。これには容器を陶器にすることで全体の熱容量を上げると言う手がある。数値的には金属のほうが比熱が大きいが、体積当たりに換算するとセラミックスの方がかなり大きい。

探せばあるもので、かまどにあたる「はかま」と釜、蓋がセットになっている「こだわりの羽釜」と言う土鍋を見つけた。吹きこぼれを防ぐために蓋は二重になっていると言う配慮もある。二重蓋は分厚い蓋の役割も果たす。熱容量効果で火力の調整はいらず、吹き止まったら火を消して10分蒸らすだけでよい。二合炊きだから一合も問題ない。加熱は9分だから炊飯器よりもはるかに短時間で炊ける。

値段も安かったからこれを手に入れて、さっそく炊いて見ることにした。しかし、ガスコンロの火が付かない。最近のガスレンジは安全装置が働いて鍋が接触しないと火が付かないのだ。これは、スペーサーを挟んで何とかクリア。当たり前だが、加熱は順調に進んでブクブクと吹いて、火を止めれば蒸らしになる。

初回は、水加減に問題があって、下手くそと言われてしまったが、これは2回目から是正された。僕はなかなか美味しいと思うのだが、連れ合いは「普通」としか評価しない。多分、あんまり僕が上手に炊くものだから悔しいのだろう。

もう少し研究して、連れ合いに美味しいと言わせなければならない。何回か試みれば、きっと美味しいご飯が炊ける。ところがである。まだ何度も使っていないのに、加熱中にピシッという音がして「はかま」が割れてしまった。商品レビューには確かに、耐久性に問題があると書いてはあった。チッ、炊飯研究はしばらく頓挫だ。

定年退職後の苦難の道はまだまだ険しく続くのである。

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ステロイドと感染症 [療養]

僕が間質性肺炎に対して服用している主要な薬剤はステロイドなのだが、効能を見ると、膠原病、ネフローゼ、関節リウマチ、重い喘息、ひどいアレルギー症状、めまい、耳鳴り などが挙げられており、実際には内科、耳鼻科、眼科、皮膚科、精神科など、あらゆるところで使われる万能薬のようなものだ。ある医者は「原因不明で対処法の無い時はとりあえずステロイドですね」などと言っていた。

しかし、その使い方は難しい。ステロイドの弊害がとりわけ皮膚科などで取りざたされることが多い。湿疹などに劇的な効果を示すのだが、常用していると、前にも増してひどい症状が現れてくる。一般的にステロイドを増量した時に効果が顕著なのだが長続きしない。間質性肺炎ではパルス的に短時間の大量投与が急性増悪の対処法になっているが、これもなかなか難しいようだ。

僕の場合も、一回目のパルスは効いて急性増悪を逃れることができた。しかし、2回目の時は効果が見られず、あちこちに感染症が現れ、発熱が続き、視力が衰え、体がふらつき、肺の炎症は増大し、大変な目にあった。先生の英断で、検査数値を無視して、レントゲンの所見で見ながら、とにかくステロイドを減らして行くことにしたのが功を奏して回復を果たすことができた。パルスを与える前のステロイド量が多いとパルスの効果がないように思う。

定常投与も分量が微妙で、わずか1㎎でも、大きく体調が変わることが多い。増やすときは、大きく増やし、いつまでも続けず、徐々に減らして行くと言うのが定番の使い方になっている。増やし方が足らず追加して行くことになるとかなりの量でも効かない。減らし損なうと副作用ばかりが残るし、一気に減らすと症状の再発が起こってしまうから、この、増やす減らすのコントロールが非常に難しい。経験を積んだ臨床医の業だと言える。人によってステロイドの作用は異なり、体の変化を一番鋭敏に感じられるのは患者本人だから、患者の方の修練も必要なのではないだろうか。

ステロイドを服用している人が一番気にしているのは感染症の問題だろう。ステロイドは免疫抑制するので、当然感染症リスクは高くなる。しかし、それがどの程度であるかは人によって異なる。過剰防衛で引きこもってしまったりするのも考え物だ。僕の場合は現在13㎎であり、普通にはかなり用心が要ると言われている分量なのだが、あまり気にしていない。今年は、人の集まる所に出かけることもあったが、インフルエンザにもかからなかったし、風邪も引いていない。

ステロイドは副腎皮質ホルモンであり体内でも8㎎-10㎎位が分泌されている。長期にわたってステロイドを服用すると、徐々にその投与量が増えてくるのは副腎からの分泌が減ってくるからだ。僕のように10年もステロイドを外部から注入していると、副腎からの分泌はもうあまり行われていないだろう。だから13㎎飲んでいても、通常状態からの増加量は実質的には5 ㎎ということになる。5㎎なら、そう用心深くする必要もないのだ。

出かけるときは厳重にマスクをすることが推奨されているようだが、これも僕はあまり意味がないと思っている。ウイルスの大きさを考えればマスクなどは素通りすることが明らかだ。咳で飛沫が飛び散るから、うつさないためには有効だが、うつされないためには無意味だ。むしろ、うがい手洗いが大切だ。ドアノブなどについていた菌を手で触り、手から食物とともに口内に入るといった感染が一番多い。

長くステロイドを使っている場合に気を付けなければならないのは「飲み忘れ」だ。体内からの分泌がないから、飲み忘れた場合、極端なステロイド不足が起こる。体のあちこちが痛み、倦怠感、発熱と言うことになる。完全に体調のバランスが失われる。とりわけ、朝に分量を集中させているとこの被害が大きい。体内分泌の不足を補う分があるなら、それは朝夕に分散すべきだろう。だから今は、朝8㎎夕5㎎という配分にしている。

間質性肺炎や膠原病に対する唯一とも言える効果的な薬剤であるステロイドだが、骨粗鬆症とかミオパシーによる筋力の低下とか、避けがたい副作用を伴うこともまた事実だ。僕の体はステロイドで持っているようなものだから、これをやめるわけにはいかない。なんとか、うまく付き合って行くしかないのだ。分量のコントロールに習熟する必要がある。