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お姉ちゃんの大泣き [日常生活]

僕の孫、小学5年生のお姉ちゃんが大泣きしている。校内マラソン大会の途中で足が痛くなって動けなくなってしまったのが悔しいのだ。

お姉ちゃんはまじめな努力家である。学校の宿題はもちろん欠かさないし、自分で決めた自主学習の計画も必ずやりとげる。努力は報われるという哲学を確立しているようにも見える。成績はいいのだが、特に頭がいいとは思われない。本人はそれも努力の結果だと自分で思っているらしい。

体も大きくはなく、運動神経が優れているわけでもない。なにしろ僕の孫だ。しかし、マラソンは頑張れば走れるのだ。22位から12位、9位、4位と学年を上がるごとに順位を上げてきた。今年は3位に入りたいと、夏休みからトレーニングを始めた。早起きをして、登校前に走るのだから続けるのは大変だ。しかし、努力すれば願いはかなうという信念でこれをやった。

ところが、練習のしすぎだったのだろうか、足首を痛めてしまった。足首に少し奇形があり、成長期の子供にはこういった足首の異常はよくあることらしい。病院の先生に「ゆっくり走れば完走も出来るよ」と言われて憮然としていた。

今年は頑張らなくてもいいよと、親もなだめたのだが、どうしても走りたい。案の定、途中で足が痛みだし動けなくなって車で運ばれることになってしまった。努力が報われなかったことがが悔しいのだ。

校内マラソン大会で速く走れたところで、どういうこともない。ボール紙で作ったメダルがもらえるくらいのものだ。それが悔しくて大泣きできることに僕はむしろ感動する。この年になるとそういった悔しさの高まりを感じられることが、いかに素晴らしいかがわかる。

うんと泣くがよい。若さとは無駄を無駄と感じないことだ。「どうせ」とか「疲れる」などといった言葉は、若者から聞きたくない。たしかに世の中には努力だけではどうにもならないことがある。お姉ちゃんも、これからそれに直面して行かなくてはならないだろう。

あきらめてはいけない。達観してしまってはいけない。挫折を正面から受け止めて悔しさに大泣きして、成長の糧にして行ってほしい。

りんご、そして歌 [日常日記]

高校時代の友人がリンゴを一箱送ってくれた。箱の中には青森産の美しくも赤いリンゴがきっちりと並んでいる。そう言えば近年あまりリンゴを食べた覚えがない。果物の種類がいろいろと増えて、りんごを食す機会が減ってしまったのだろう。噛むと甘酸っぱい香りが飛び散り、なぜか懐かしいと感じる味がした。

僕らが子供のころ、リンゴ、みかんと柿は一番身近な果物だった。みかんは、こたつに入って家族で食べるもの、柿は友達と木によじ登ってかじるものだ。リンゴはどうだろう。僕の場合、母親のそばに座って、りんごがむけるのを心待ちにしていた記憶につながる。母の手元から長くのびるリンゴの皮を見て、切ってもらい、やがて僕の口に入るであろうその味を思い浮かべていた。

リンゴというのは、小さい子供が自分でむけるものではない。だから母につながる郷愁があるのだ。連れ合いの友達に音楽指導をしている人があって、少年院で指導した時に、ある子にリンゴを食べさせてやったことがあるそうだ。不幸な生い立ちで不良と呼ばれるようになっていたその子は、リンゴをむいてもらったことに感激して泣き出してしまった。りんごは、母の愛情を感じることができる果物であり、幸せな家庭の象徴であるかも知れない。

赤いりんごをながめていて思い出すのは藤村の詩だ。国語の教科書に出てきたから多分覚えている人も多いだろう。
まだあげそめし前髪の、林檎の元に見えしとき、
前にさしたる花櫛の花ある君と思いけり、
やさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に人恋そめし初めなり
実はこの先もあるのだが、ここまでしか覚えていない。この先は余計ななような気がする。「薄紅の秋の実に」と目先を転じるところの新鮮さがいつも気持ちを引き付ける。たしかにリンゴの甘酢っぱさは初恋の味にふさわしい。そういえばリンゴの唄が多い。他の果物はそんなにも歌われていない。
「私は真っ赤なリンゴです。お国は遠い北の国.........」
「赤いリンゴに唇よせて、だまってみている 青い空.......]
「りんごの花ほころび 、川面に霞たち 君なき里にも.....」
「リンゴの花びらが、風にちったとさ.......」
「リンゴ畑のお月さん今晩は、噂をきいたら...」
「おぼえているかい 故郷の村を........都へ積み出す 真赤なリンゴ.....」
「ひとつのリンゴを君が二つに切る 僕の方が少し大きく切ってある.....」
「若葉かおる五月の庭 リンゴの花咲き、流れてくる乙女たちの......」
このところ腰が痛くて動きの取れない連れ合いに付き合って家で一日を過ごすことが多いのだが、たわいない話に終始する。戯れに挙げて見たらきりがないくらいに次々と出てくる。おもわず口ずさんでしまう歌の数々だ。もちろん大声で歌うわけではない。僕はいつのまにか歌うことに気恥ずかしさを感じてしまうようになっている。

緑内障の手術で入院(1) [療養]

病気のネタには事欠かない。今度は緑内障だ。一年ほど前から眼圧の高いことが続いていた。しかし、それ以前に、僕の目には経緯がある。間質性肺炎の急性増悪をなんとか乗り切って退院したのだが、目の調子が良くない。眼科に行ったら視力が極端に落ちていた。近視の度が急激に進んでしまっていた。おまけに乱視が入り、青信号が5つに見えた。

眼科の専門医を訪れて、白内障の手術が必要だと言われた。別に視野が白濁しているわけではないので診断に納得できなかったのだが、他に問題があっても、まず白内障を手術しないと原因の究明ができないと言うことで白内障の手術を受けた。結果は素晴らしく、まったく良く見えるようになった。白内障は水晶体の屈折率がまばらになり、まず乱視という形で現れるものらしい。視野が白濁するなどというのは相当に進展してからだ。

ところが3か月後に視野がおかしくなりだした。オーロラのように部分的な歪みが出て見にくい。右目は実際的には役にたたない。この理由は硝子体が曇って見えないと言うことがあった。硝子体はレンズの奥にある目の玉の本体だ。白内障の手術で濁りが出たり、蚊が飛んでいるようなゴミが見えたりすることはあるが、2,3か月でなくなるのが普通だ。硝子体も新陳代謝があり2,3、ヶ月で入れ替わるからだ。僕の場合は全体的な深い、屈折率のムラみたいなものだが、いつまでたってもなくならない。

どうも循環がうまく行っていないようだ。この原因にはいろいろあって、他の重篤な病気があることが疑われる。もちろん僕は、間質性肺炎、白血病、リウマチと、いっぱい病気を抱えているから、思い当たる節は多い。しかし、どれも原因としてぴったりとは当てはまらない。ともかく硝子体を取り除けば、もやもやは消えるはずだ。ということで硝子体の除去手術を受けた。除去してあとに水がたまれば機能的にはそれでよいそうだ。

硝子体手術も無事に出来たのだが、ちょっと問題があった。瞳口の開きが悪く目の中が良く見えないので周辺部は取れなかった。しかし、視野に関係のある中央部は取れたから、見えるということに関しては問題が無くなった。視野がすっきりすると言うことはなんと気持ちの良いことだろうか。僕は大いに満足したのだが、主治医は顔をしかめている。なぜかと言うと眼圧が高いからだ。いいじゃないか眼圧くらい。血圧だって高めの人はいっぱいいる。

僕はそう思ったのだが、実はこれが問題だ。目の中の循環が悪いことは続いている。出口が塞がっているから眼圧が高くなる、視神経は高い眼圧に圧迫されると死んでしまう。失明の危険があるというのだからたまらない。しかし、現在では良い薬があって眼圧は下げられるという。毎日目薬をすることになった。

ところが、目薬をさしても眼圧は下がらなかった。それでは、ということで別の目薬が追加になった。次々と追加してついに6つの目薬を一日に16回にわたってつけることになった。これは、なかなか大変で、完全に回数をこなすのは至難の業だ。どうしても何回かつけ忘れる。失明すると脅されて頑張ったのではあるが、結局のところ眼圧は下がらなかった。

まだ自覚症状としては視野の欠損はない。しかし、検査をすると盲点のような部分がポツポツと出てきている。眼圧もだんだん上がって35㎜Hgにまでなった。「年明けをまたず、急いで手術をしたほうがいい」と言われたのは4日前のことだ。それで明日から入院することになった。traveculectomyという手術なのだが、ようするに金属パイプを目に入れて房水のバイパスを作る手術だ。なかなか難しいらしく、まだできるお医者さんは少ない。主治医がやると言うのだからお任せするしかない。

不安はあるが、まあ命には別条のない入院だと、おおらかに考えることにする。僕の急な入院を、まわりも心配してくれているようなのだが、どうも真剣味が感じられない。腰痛が治らない配偶者にとって、誰が毎日背中に湿布薬を貼るのかが問題だそうだ。孫は24日が入院中になることを、ことさら心配してくれている。せっかくサンタさんが来ても、なんとおじいちゃんは留守なのである。

続きは-->緑内障の手術で入院(2)

緑内障手術で入院(2) [療養]

緑内障の手術というのは嬉しくない。なぜって、手術の結果なにも良くならないからだ。緑内障で失われた視神経が回復することはない。その上手術の結果、眼球が歪み、乱視が出て手術前より確実に視力が低下する。多少の視力を犠牲にしても、眼圧を低下させて将来の失明を避けるというのが、手術の主旨なのである。

目の玉を丸く保つために眼内は10㎜Hgくらい圧力がかかるようになっている。光彩の裏側で房水が作られ、これがレンズの淵を通って外側のシュレム管に吸収される。この速度が適当に保たれると房水の圧力が適正になる。緑内障はこのバランスが崩れ、房水の吸収が悪くなることで起こる。房水の取り入れ口にあるフィルターが目詰まりを起こしているのだ。

対策としてフィルターをとり外す方法があるが、経路自体が細くなっていることもあるので、効きは悪い。だからバイパスを作って別の経路で房水を流すのが良い。トラベクレクトミーと言われる手術は、白目と茶目の境界の所で、白目部分に4㎜x4㎜くらいの短冊型の切り込みを入れて、白目の表面の短冊を薄く切って持ち上げる。その下から穴をあけて、ふたをすると、短冊の隙間から房水が少しづつ流れ出るようになる。目玉全体は結膜に覆われているから、流れ出た房水はシュレム管ではなく結膜の血管に吸収される。

この手術の難しいところは、傷は癒着して治らなければいけないのに、穴が塞がってしまってはいけないというところにある。近年開発された技法はこの穴のところにステンレスの管を入れるということで日本では数年前にやっと行われるようになった。管がずれたりしないように鍔と返りが付いているものがエクスプレスという商品名で認可されるようになったからだ。短冊が癒着しないようにマイトマイシンCという薬を塗りつける。これは本来抗がん剤で細胞の増殖を妨げるので癒着も防げるのだ。

流れ出た房水はいったん結膜と強膜の間にたまる。そのため白目にちょっとこぶができる。このブラブが出来ることで流れが安定するが、流量の調整は短冊の蓋の強さで決まるから、手術後に短冊の端を縫い付けている糸を切ることで調整する。だから手術自体は短時間で終わっても1,2週間の入院が必要なのだ。糸の切除は結膜を切らなくてもレーザーでできる。

とにかく細かい業だ。チューブを挿入する技法の開発で成功率は高まったが、目の内部に素通りの経路が出来てしまうから感染症の危険も増える。怯えながら手術を受けることになる。僕の主治医は、多分先進的にこの手術を取り入れてきた人で、まだ若いのだが年に40件くらいの経験を積んでいるそうだから、まあいいだろう。しかし、大学病院というのは信用がならない面がある。

今回も、手術前の検査は研修医だった。「右を見て、あ、やっぱり左、やっぱり右」。コンピュータに打ち込むのだが途中でわからなくなって誰かに聞きに行った。「明日の手術は左目ですね」。「いえ右なんですけど」。またどこかに行って戻ってきて「右ですね、腕に書いておきましょう」といった具合だ。

執刀は主治医で、学生や研修医に説明しながらやる。最初の目玉への麻酔注射が痛いだけであとの痛みはほとんどなく、20分くらいで終わった。眼前は見えているから、メスが動いたりするのが見える。ぐいぐいと目玉を押されるような感じが時々ある。やはり緊張するから肩がこって、疲れる。車椅子で部屋に戻ってしばらくは安静ということになる。

右目はガーゼで目隠しをされたまま、成否は明日の診察までわからない。

続きは-->緑内障の手術で入院(3)

緑内障手術で入院(3) [療養]

外は寒いようだが、病院の中は暑さ寒さの心配はまったく要らない。一日中をパジャマで過ごす。三度の食事はベッドまで持ってきてもらえるし、後片付けもいらない。気楽なものだ。以前入院した時は大学病院らしく、極めて重症の人ばかりで驚いたのだが、眼科の入院はたいてい短期だし、命に別状がないので雰囲気は明るい。同室の人たちとおしゃべりをしたりして、結構くつろげる。

しかし、当然行動は制限される。手術後はシャワーも出来ないし、病棟外には散歩にも行けない。食事はあてがわれたものだけである。病棟に閉じ込められたままだから、刑務所のようなものだが、インターネットを使ったり、面会に来てもらえるのがが違うところだ。

部屋にはベッドが4つあるのだがゆったりした広さがあるし、テレビや冷蔵庫もついている。僕はテレビを見ないし、冷蔵庫もいらないのだが、差額ベッドしか空いてないということで仕方なく一日1600円くらいを余計に払うことになった。どの病室も食事は同じだからつまらない。飛行機のビジネスクラスのようなわけには行かないようだ。

目の玉を切ったり突いたりには恐怖感を覚えてしまうのだが、麻酔後に痛みはないし、短時間で終わった。手術の翌日に眼圧を測ると6㎜Hgだった。30㎜Hgから劇的な下がりだ。普通はフラップの癒着が始まり2,3日でまた上昇する。フラップを縫い付けた糸を切って調整するのだが、僕の場合は、2日目にも7㎜Hg、3日目にも7㎜Hgで、あまり上昇はしていない。しかし、4日目には9㎜Hgになったから、少し心配になったが、5日目に8㎜Hg、6日目には7㎜Hgだからまあ安定ともみられる。結局、無調整で終わることになり、7日目で退院することになった。
手術前1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目
32 ㎜Hg6 ㎜Hg7 ㎜Hg7 ㎜Hg9 ㎜Hg8 ㎜Hg7 ㎜Hg7 ㎜g
15日目21日目29日目43日目53日目84日目121日目
9㎜Hg13㎜Hg16㎜Hg15㎜Hg13㎜Hg14㎜Hg14㎜Hg

手術後の眼の見え方は、予告されていたとおり、やはり悪い。近くも遠くもにじんだようにぼけて良く見えない。これは2か月ほども続くらしい。左目は手術していないので見えるから実用的には支障はないと思うが、うれしいものではない。普段は右上のまぶたの下に隠れているのだが、白目にポコッとこぶがある。これが房水のたまるブラブだ。少し大きさが足りず盛り上がり過ぎているのが主治医も気に入っていないようだが、まあ、許容範囲だろう。

手術の傷が癒えて、全体的なボケが治まって来て違和感に気づいた。やっぱり、視野の欠損があるのだ。右目でべた文字の画面を見ると濃淡にむらがある。ぼつぼつと、ぼやけの島があるのだ。視野の中央付近もぼけている。先週、視野検査をした時には周辺部だけで自覚症状としての視野欠損はなかったのだが、手術までの一週間でかなり進展したことになる。改めて緑内障の恐ろしさを知った。ブログを読むと、もう少し早く手を打っていればという後悔が書いてあるものが多い。気づかないうちに進行してしまうし、その進行も早いのだ。僕の場合、完全に見えない部分はなく、左目が健全だから今のところ実用的には不便はない。診断からわずか5日で手術という機敏な対応がなかったらと思うとぞっとする。またしても僕の「不幸中の幸い」である。

問題は、もう少し長期にある。この手術で眼圧を下げても、またしばらくして眼圧の上がる人が多い。眼圧が上がる根本原因が取り除かれていないからだ。僕の緑内障は新生血管性のものだ。血流が悪いと目の中が酸素不足になり、新しい血管を作って酸素を補給しようとする。レンズの近く光彩の端に血管ができてこれが隅角の房水取り入れ口をふさいでしまうのだ。網膜にも新生血管が出来てしまうのだが、新生血管は応急的なものだから弱く出血しやすい。出血などが起こると房水の圧力は高まってしまうし、直接的に黄斑変性が起きたりもする。

新生血管緑内障は、多くの場合、糖尿病の合併症として引き起こされるから血糖値の管理が有効な対策になる。しかし、僕の場合はステロイドの副作用で血糖値が上がってはいるが、HbA1cの数値で6.5程度を保っているから、普通に考えれば緑内障を起こすほどのものではない。新生血管は炎症とか他の原因でもおこるのだが、原因は結局よくわからない。

注意しなければならないのは目の感染症だ。トラベクレクトミーの結果、目の中まで穴が空いているから感染症になると大変なことになる。感染症事故は3%というから、そうまれな事ではない。さらに調べて見ると、「新生血管緑内障は難治性で最終的には失明になることが多い」とある。困ったものだ。なんとか進行を引き延ばせればそれでいいのかも知れない。僕の寿命もそう長くはないのだから、それまで視力を保てればそれでいいのだと考えよう。

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