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(12) 船上のエンターテインメント [太平洋横断]

毎日海を眺めて過ごす日が続く。このボケーとした時間を望んではいたのだが、船にはそんな人ばかりがいるわけではない。数々のエンターテインメントが用意されている。まずは毎晩シアターで行われるショーだ。8人編成の「オーケストラ」がバックを引き受け、14日間毎日異なる出演者のショーがある。一回しか登場しない出演者を14日間も船に乗せておくのも大変だろう。

歌あり、ピアノあり、マジックあり、物まねあり、ダンスあり、ジャグリングあり、ミュージカルありといった具合でなかなか面白い。芸のレベルも結構高いと思う。少なくとも舞台に引き込まれてあっという間に1時間たってしまうというものだった。ただし。ダンスについては良さがよくわからなかった。多分、僕の素養の問題だろう。

船内のカフェやプールサイドではライブミュージックがあり、これに出没するのは、ギターで弾き語りの男性歌手、バイオリンとチェロのクラシックデュオ、女性歌手とギターのコンビである。カフェでお茶を飲んでいたらやってきて、すぐそばで演奏してくれるのはいい。あちこちの催しものと平行してやっているからカフェが混んだりはしない。これとは別にダンスフロアには4人組の専属のダンスバンドがいた。fly me to the moon とかスタンダードナンバーの曲を歌う歌手には、なかなか聞かすものがあった。踊りまくっているカップルにアジア系が多かったのは意外だった。

俺の演奏を聞いてくれと、カフェのピアノでリストを弾き出した乗客がいたが、なかなかうまくて喝采されていた。乗客が組織する編み物の会とか日本語を練習する会とかもあったようだし、これだけ乗客がいると中には特技を持った人もいるだろう。僕らは参加しなかったが、トリビアとかジェスチャーのゲーム催しもあった。乗客のコーラスとかダンスグループも組織されそれには先生が付く。最後の日にそれの発表会と乗組員のかくし芸大会があった。

その他、社交ダンスとかヨガ、ズンバ、ラインダンス、タップ、マジックといった教室系の催しもたくさんあるし、お菓子、寿司、盛り付けといったお料理系もある。ジムがあって、ベルトの上をあるいたり、器械体操をしている人も多い。海を見渡しながらやると気持ちがいいのだそうだ。プールやジャグジーの愛好者もいる。もちろんカジノもある。

日本発着のクルーズにはなかったレクチャー系の催しも面白かった。宇宙論、気象、希少生物、幕末史、船の構造といった様々なテーマのレクチャーがあって、講演者は大学の先生ではなく、レクチャーを職業にしている人だ。あちこちにレクチャラーを派遣する会社があるらしい。プロだけあってよく準備されたスライドを使っての面白いレクチャーだ。半分船会社の宣伝になるが、旅行系もおもしろい。ガラパゴスや南極のクルーズもあるらしい。「日本の歩き方」みたいなシリーズは当然ながら、人気だった。

あれやこれやで、結構忙しいことになって、持って行った本は結局一冊も読めなかった。14日間退屈するなどと言うことがないように、工夫されていることには間違いない。

(13) 日本に入って横浜への船旅 [太平洋横断]

ウラナスカ島からさらに6日、船は千島列島を横切り、オホーツク海に入る。小樽の港を目指すのだ。そのあと、函館、東京大井ふ頭を経て最終港横浜に着く。船内は、いよいよ日本だということで、少しざわめいている。実はこの間体調不良で熱も出て一日寝込んだ日もあった。船旅のありがたさ。船室で寝て過ごすのに何の支障もない。これが陸旅だったら、荷物をまとめての移動が大変だっただろう。

宗谷海峡を横切るから岬や礼文島が見えるかと思ったが日暮れになってしまった。翌々日、朝起きてデッキに出てみると、もう小樽に着岸していて、小さな建物が少ない隙間で並ぶおなじみの日本の景色が見えた。看板が林立するが、ゴミゴミした感じはなく、整然とした感じさえ受ける。これが乗客たちの第一印象といったところでもあるらしい。

僕らも下船して、久しぶりに美味しい海鮮でも食べようかと思ったのだが、なかなか下船の順番が来ない。入国審査官が乗り込んできてパスポートをチェックしてスタンプを押してくれるのだが、乗組員を含めると3000人だから大変だ。船会社のツアーに参加する人が優先で、次には値段の高い部屋の人、僕らは最後で、結局昼過ぎになってしまった。

そういう事だろうとは予想していたので、Ocean View Cafeで軽食をつまみ、ゆっくりお茶でも飲みながら待とうと思った。日本だからYmobileでインターネットにつながる。船のインターネットは衛星通信だから1時間$22というとんでもない値段で手が出なかったから、メールを出したり、ブログを見たり、することはいっぱいある。

ところがである。船のパブリックスペースには110V電源がないのだ。アメリカの船なのに全部230Vのヨーロッパ規格だ。110Vがあるのは船室だけである。変換プラグをもってこなかったから仕方がない。POCの電池が消耗してしまうから船室でふて寝して待つことになった。

降りたのはもう午後。小樽市が準備してくれた町までのシャトルも終わる時間を過ぎていた。仕方がないのでタクシーだ。小樽駅前郵便局で、薬を受け取らねばならない。局留め郵便物と言うのを初めて受け取ったが、身分証明書を見せればすぐに受け取れた。

三角市場で寿司を食べ、ぶらぶらと運河あたりを散策した。なかなかきれいな街並みだ。しかし、歩くと暑い。北海道にきて暑いはないだろうとも思うのだが、こちらはもっと北のベーリング海からやって来たのだ。小樽市立博物館で北前船の写真を見た。絵はよくあるのだが写真は珍しい。リアルな構造がわかる。

船に戻り、翌日は函館だ。もう入国審査はないから、すんなりと下船できる。この船は外国人ばかりだということが知れ渡っているようで、シャトルの手配をしてくれている市の職員も頑張って英語を使っている。こちらもなんとなく日本に来た外国人の気分になって、英語で答えてしまった。

駅まで行くと、こんどは大勢の女子高生たちが英語の練習に道案内を買ってでていた。見た目アジア系の人も結構いるからわからないのだろう。日本語でバス乗り場を尋ねたら、ホットしたような、がっかりしたような表情をしていた。五稜郭を見物した。タワーから全景が見渡せるのが良い。

ここに立てこもった一党は、北海道共和国を宣言したということが興味深い。ところが解説看板はくりかえし「脱走軍」と書いている。これはあまりにひどいネーミングではないか。明治政府が押し付けた蔑称が今もそのまま残っているのだ。案内の人に彼らはどう自称していたのかを聞いたが、だれも知らなかった。出航のとき、昼間の女子高生たちがたくさん来て、「いか踊り」で見送ってくれた。乗客たちも感激していたようだ。僕らも窓から手を振って答えた。

函館からは、また2日かかって東京の大井ふ頭に行く。いや東京は大きい。品川までシャトルがあったが、駅の中だけで歩き疲れた。今更東京観光ということもないのだが、一応上野の博物館に行ってみた。乗客たちの観光ベスト3は、東京タワー、明治神宮、浅草だった。ここでも外国人観光客の一団という扱いで、テレビカメラが待ち構えており、「Youは何しに日本へ?」などと、マイクを向けられそうになってしまった。

大井埠頭と横浜大桟橋はすぐ近くだ。夜遅く出航して翌日は早くに横浜に着いた。娘婿が車で迎えに来てくれたので、楽々家に帰れた。足の痛みはまだ続いていたのだが、家に帰るとすっかり治ってしまった。なんという皮肉な事だろう。

(太平洋横断 終わり)

プレドニンの飲み忘れ [療養]

ぼくは、12種類もの薬を飲んでいる。飲み忘れと言うのは、処方と症状と関連がつかなくなり、医療としては絶対に良くない。しかし、起こるのを完全に避けるのも難しい。大抵の薬は、多少の飲み忘れも許容されるのだが、僕の場合、ステロイド剤の飲み忘れは、てきめん体調に響く。なんとも体がだるく、体の節々が痛むのだ。

旅行から帰ってきて、しばらくは体調不良が続いた。旅行中よりも良くはなったが足の痛みは続いていたし、元気ではなかった。特に午前中がつらい。まあ、年とともに体力が減って来ているのだろうと考えるしかない。それがある日の午後、極端な不調に陥った。とにかく、節々が痛い。歩くとすぐに意気切れする。座っていても体がだるく、とうとう微熱も出だした。食欲がなく、夕食は何も食べずに薬だけを飲んで、早々と寝てしまった。

翌朝起きたら、少し回復していたようだったが、やはり不調ではある。ここで、前の日の朝、薬を飲み忘れていることに気が付いた。飲んだつもりだったのだがカレンダー式の薬箱に薬が残っている。はたして、朝の薬を飲んで、午後になるあたりから、著しい回復が見られた。そして夜は見事に回復していた。ステロイド効果恐るべし。

以前にもプレドニンを飲み忘れて、体調不良を感じたことはある。しかし、今回はひどかった。考えて見ると、以前は朝5㎎、夕5㎎の一日10㎎だったのだが、肺ガンの騒ぎで朝夕それぞれ2倍にした。これを下げていくのに、夕を減らして行ったのだ。朝10㎎、夕2㎎になっていたので、朝の飲み忘れは影響が大きかったのだ。

プレドニンは、通常は朝を多くして波を作る方が効果が高いとされているので、朝10㎎夕2㎎は悪くない配分だったのだが、朝の飲み忘れは厳しいことになる。飲み忘れのリスクを避けるためには、朝と夕に分散させた方がいい。朝7㎎夕5㎎を飲むことにした。

それから一週間、体はどこも痛まない。すこぶる調子がいいのだ。素人考えではあるが、ステロイドは一度止めてリセットすると体調が改善されるという話もある。まんざら、出鱈目ではないような気もする。薬の効き方は人によって、随分異なるからだ。旅行中もずっと続いていた午前中の不調は、プレドニンの飲み方のせいではないだろうかと思いついた。朝多く飲むと、血中濃度が高まるのは3、4時間後だから、午前中というのは一番ステロイドが効かない時間帯になる。

ステロイドは魔法の薬。作用機序はまったくわからないのだが、リウマチから間質性肺炎、果は鬱病にまで効く。ムーンフェイスや免疫低下、糖尿病や骨粗鬆症といった副作用も多い。しかし、僕はステロイドを飲みだして10年にもなろうとしている。長年にわたる服用で、おそらくもう、膵臓からはほとんど分泌されなくなっているだろう。

ステロイド薬とはこの先もずっと付き合っていかなくてはならない。主治医は、朝が多いのが一般的だが、飲み方は特に指示しないと言う。自分で、適正な量と、飲み方の配分を見つけていかねばならない。僕の場合、均等に近い配分がよさそうだ。

歴史の楽しみ [定年後の苦難]

定年後、確かに時間は出来る。この時間をなにに使うかが問題だ。趣味を持つことが重要である。元気な現役のころはスキーとかサイクリングが好きだったが、さすがに、これだけ病気をかかえ、酸素を担いでいるのでは、それは無理だ。できるだけ旅行に出かけることにしているが、家にいるときの趣味は歴史だ。

若いころ、歴史、特に日本史は好きではなかった。大学受験も日本史がないところを選んだくらいだ。年号とかこまごました歴史上の出来事を丸暗記するのに意味が感じられなかったからだ。しかし、こういった歴史上の出来事を単なる出来事で終わらせずに、相互の関連を考えて行くと面白い。事実を論理で結びつけて行くと、新しい史実が浮かび上がってくる。歴史にも発見があるのだと言うことがわかった。

歴史の本を読んで、考えて行くと、いろんな疑問がわいてくる。これを調べて行くと次々に事実がわかってくる。高校生のころには疑問がわいてくるような読み方が出来なかったのだと思う。最初は「邪馬台国はどこにあったか」とか、論争になっている事柄について、どちらが正しいのだろうといいった気持ちで読んでいた。これも楽しい。

しかし、もっと楽しいのは、あたりまえとされていることに、疑問を見つけることだ。たとえば、聖徳太子が隋に派遣した遣隋使のことを教科書でならったわけだが、実際に日本書紀を読んでみると、隋に行ったとは一言も書いてない。小野妹子は唐に行ったと書いてある。明治維新と言えばドラマでもなんでも坂本龍馬が大活躍するのだが、彼は、明治時代には全く有名人ではなかった

こんなことを調べて行くと、それを多くの人に伝えたくなる。しかし、そのチャンスはあまりない。連れ合いなどは、僕がそんな話をし始めたらすぐに「今、忙しいの、あとにしてね」と言いだす。ウンチク親父は社会の嫌われ者らしい。そこで僕は「歴史ブログ」を書くことにした。これでいっぱい読んでくれる人があり、反応もあるだろうと思ったのだが、ほとんどない。

今書いているのは、病気とか旅行とかの日常のブログだけど、これは時々コメントをもらう。同じような病気を持った人どうしの思いやりといったものが感じられる。しかし、歴史ブログの人たちは仲間意識が薄いようだ。自分の知識を読んでもらいたいばかりで、思いやりなどさらさらない。まあ、お互い様かもしれない。

それだけではないこともわかっている。ブログと言うのはもともと日記だから、短い文を毎日投稿するのが基本だ。歴史を調べて何か月かに一度、まとめて投稿したのでは注目されない。記事は書き捨てで、古くなると見向きもされなくなる。歴史評論などというのはブログに向かないのだ。

そこで僕はwebページを作って、そこに記事を発表していく事にした。目次を整えて記事に飛べる仕掛けだ。これでも、そう簡単に読んでもらえるとは思わない。作っておいて、じっくり待てば、そのうち読んでもらえるようになるかもしれない。はかない努力だ。そのためにHTMLやCSSも勉強しなければならないし、Jabascriptのプログラミングもしなければならない。webページはなかなか面倒だ。趣味ひとつにも苦労をしなければならない。

定年退職後の苦難の道はまだまだ険しく続くのである。