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トースターの買い替え [日常生活]

トースターは単純な電熱器だから故障のしようがないと思っていたのだが、最近、焼け方にムラが出てきた。右端が白いままで左端が焦げる。調べて見ると、内面のあちこちにサビや汚れが出ている。二本の石英管ヒーターが上下にあり、内面の反射で均等に焼く仕掛けだったらしい。十年以上も毎日使っているから仕方がない。この際、いいものを手に入れて毎朝の食事を快適にしたい。それがささやかな贅沢というものだ。

さて、どのようなものに買い換えるか? 使っていたのはオーブントースターなのだが、現在ではこれにもいろんな機能が加わり、高級品は万能レンジといったほうが良い。しかし、うちにはレンジがあるのだから、そんな機能はいらない。パンが美味しく焼ければいいのだ。

美味しく焼くとはどういうことだろうか。美味しいトーストというのは、外は焦げ目が付いてパリパリとなり、中はしっとりとしたモチモチ感があるものだ。そのためには、強い火力で短時間に表面だけ加熱できる物が良い。伝統的にはポップアップと言われる焼き上がりにパンが飛び出すタイプの食パン専用の物があって根強い人気がある。これは、ヒーターがパンのすぐそばにあり都合よく表面だけを加熱するからだ。

その意味ではオーブントースターは良くない。庫内を広げて食パン以外の物も焼けるようにしているから、中までじっくりと加熱してしまう。中が乾燥してモチモチ感がなくなる。しかし、これに対しては対策が考えられている。バルミューダというメーカーのものは、水を加えて乾燥を防ぎ、コンピュータコントロールで適正温度で表面を焼くという。値段は24000円もするが、レビューの評価は高い。「他のトースターとは全然違う」「まるで出来立てのパンみたいだ」などという感想がある。

これには、かなり心を動かされた。毎朝のことだから値段が高いなどということは問題ではないと大見栄を切って見る。しかし、「まるで出来たて」とはどういうことか。所詮、出来立てのパンには及ばないということではないか。パンは古いと美味しくないというのは事実だ。僕は、万歩計を3000歩にするために、夜に出かけて朝食のパンを買ってくる。古いパンを食べるつもりは、全くないのだ。パンは必ず厚切りにしてもらっている。だから古いオーブントースターでも中が乾燥したりはしにくかった。

高いトースターのコンピュータコントロールというのも怪しい。トーストは強火が良いとわかっている。何も適正温度にコントロールする必要はないのだ。思うに、このコントロールはフランスパンを温めるといった中まで熱を通す時に必要なものだろう。古いフランスパンをトースターで焼くなどというのが、そもそも間違っている。フランスパンはその日のうちに食べるものだ。コンピュータコントロールが食パンを焼くだけに必要なものとは思われない。焼き加減は時間だけで決まる。これについては、高級であろうと安物であろうと関係がない。レビューの中でもバルミューダで黒焦げというのもよくあるらしいことがわかる。

水蒸気で中の乾燥を防ぐというのも良くわからない。中に水蒸気がしみ込んだりするほど長い時間ではないし、表面はカリカリに乾燥する。パンの中身から見えるのは表面だけで、その先に水蒸気があろうがなかろうが関係ないはずだ。これもフランスパンの温めに効用があるものだろう。トーストのおいしさはは強い火力で短時間に表面を焦がすことに尽きる。

伝統的なポップアップもいいのだが、結構値段が高い。骨董品的な価値が生まれているのだろう。レトロ感覚なデザインに凝ったものが多い。僕にはトースターのデザインを楽しむ趣味はない。それに、厚切りのイギリスパンが入るかどうかが定かでない。口を大きくして丸パンも入るようにしたものもあるが、これは邪道だ。ヒーターとパンの距離が小さいことが美味しさの秘訣なのだから、口を広げてあるものはこの利点を失っていると言える。ということで、ポップアップも候補から外れてしまった。

何のことはない。複雑な機能がついていない単純なオーブントースターを買うことになった。1000Wだからカリっと焼くための火力は十分にある。実は使い方にコツがある。短時間で加熱出来るように、あらかじめ一度空焼きして庫内の音頭を上げておく。焼け上がったら、ポップアップのようにすぐに取り出す。いつまでもトースターの中に置いておれば、中が乾燥してふわふわ感がなくなる。素早く取り出せばポップアップ並みになるのだ。

コイズミ製で2400円。バルミューダの1/10の値段だ。都合がいいのは、上下のヒーターを切り替えで使えることだ。チーズやハムを乗せて焼く時に都合が良さそうだ。またもや、ささやかな贅沢をするという事は出来ずに終わったことになるが、使い方のコツがわかり、朝食は美味しく食べている。

サンタクロースの盛衰 [日常日記]

孫のお姉ちゃんは4年生。「あきちゃんが、もうサンタさんにもらうもの決めたって言うから、え、もうお手紙書いちゃったのって言ったの」「そしたら、お手紙ってなに? って言うんだよ。」「お手紙書かずに、どうやってプレゼント貰えるのよ。」

4年生になると、少しは物事を合理的に考えるようになる。サンタさんは、いつも遠くから見ているなどと言うことは信じない。何がほしいのかを伝えるためには手紙を書くしかないと言うわけだ。クリスマスツリーの横に封筒が置いてある。一所懸命、丁寧に書いたようだ。目立つようにと、お花や、ハートのシールが貼ってある。

もう少し大きな、高学年の子どもたちどうしの議論を聞いていると面白い。「いるはずない」と自信を持って言う子には、あまり反論しない。お父さんが置いていく家もあるけど、中にはサンタさんが来る家もあるのではないかと言うのが平均的な高学年の理解らしい。全くいないのなら、ここまで話題になるはずがないと考えている。ふっと気配を感じて外を見たら、ベランダにトナカイの糞が落ちていたなどと、もっともらしいことを言い出す子がいると、サンタクロース否定論は影を弱める。

この子の親、つまりうちの子供たちは、中学生になるまでサンタクロースを信じていた。同じような世代が集まっている集合住宅だったので、僕も近所の子によく「本当にサンタクロースはいるの?」と聞かれた。半信半疑の子どもたちは、よその小父さんに聞いてみるらしい。もちろん「いるともさ」と答えた。結果的に大人たちが、みんな口裏を合わせたことになる。80年代には、しっかりとサンタクロースが実在していた。

しかし、僕らが子供の頃、50年代には、サンタクロースは来なかった。そんなものを信じないのが「科学的」だと思われていたのである。どの大人も、サンタクロースを否定した。僕も、サンタクロースにプレゼントを貰った覚えはない。幼稚園や地域の子供会がクリスマス会をやって、サンタクロースが現れてプレゼントをくれるというのは一般的だったが、クリスマスは、家庭行事ではなかったのである。あちこちのバーやキャバレーがクリスマスパーティーをやって、酒飲みを集めていた。家庭行事でなかったからこそ出来たことだ。

70年頃にはクリスマスケーキが流行った。大きなケーキを食べる機会が他に無かったからかもしれない。駅前の商店街にはケーキが積み上げてあり、飲み会帰りのお父さんが、罪滅ぼしに買って買えるパターンが多かったようだ。サンタクロースの人口が一番多かったのはこの頃ではないだろうか。歳末大売出しの福引会場には必ずサンタクロースがいたし、この時期の宣伝にはサンタクロースは欠かせなかった。今は、駅前商店街自体が衰退している。いつでもケーキを食べられるようになって、クリスマスケーキは少なくなった。

サンタクロースは、夢と余裕の産物だろう。格差が拡大する世の中で、子どもたちにプレゼントをくれるサンタクロースが増えているのか減っているのか気になるところだ。中にはあるだろう、小さな子の家にサンタクロースが来ないのは、考えても痛ましい。

酸素メガネ 遠近両用メガネ二度買いの法則 [日常生活]

僕は、「遠近両用メガネは二度買うの法則」を提唱している。まあ、これは、マーフィーの法則に類するものかも知れない。近視の人が年を取って、近くが見えにくくなると眼鏡を頻繁に掛けたりはずしたりする面倒なことになる。解決策として遠近両用メガネを買う。聞いて見ると、ほとんどの人が遠近両用メガネを2度買っている。必ず、買い換えるのである。

近視には適正なレンズがあり、度を合わせないと役に立たない。度を合わせるというのは、無限遠点にある光源が網膜に集中するように焦点距離を調節すると言うことだ。何が適正なのかは、はっきりしている。しかし、遠視に適正な度というのは無い。どの距離まで焦点を合わせるかというだけのことだからだ。近くに焦点が合わず、離して見る必要が生じるのが遠視だ。離して見ると小さいから読みにくいのは当然だろう。眼鏡で近くまで見えるようにすると、大きく見えるから当然見やすい。度は、強いほど良く見えるのだ。極端にはすぐそばで見る虫眼鏡になる。

どうして遠視の度を決めるかというと、差し支えなく見える範囲のなるべく低い度ということになる。これが曲者である。眼鏡店の照明というのは、メガネを掛けたときによく見えるという感想を与えるために、極端に明るくしてある。見え方を試す新聞は、はっきりした活字の見やすい新聞を用意してある。実際に使う環境は、もっと暗いことが多いし、文庫本の活字はもっと小さい。自分の老化を認めたくないささやかな抵抗心理もあいまって、必ず、実際に必要な度よりも軽いものを選んでしまうことになるのだ。

これは眼鏡店による一種の陰謀である。もう少し老眼の度を強めておいたほうが良いなどとアドバイスは絶対しない。お客さんが、もう一度買いにくることを、ひそかに期待している。眼鏡を持ち帰ってしばらく使って見ると、近くを見るときの度をもう少し上げておいたほうが良かったと後悔する。自分が選んだ結果なのだから、文句の付けようがない。黙って、眼鏡を買いなおすことになるしかないのだ。

眼鏡自体はよく出来ている。眼鏡を掛けたり外したりの煩わしさから解放されて快適なのだが、それは、2度目に買ってからの事だ。

僕は、単に二度買いをするのが癪だから、これに便乗して「酸素メガネ」を買った。メガネの「つる」がパイプになっていて、鼻パッドの両側から、細いチューブで鼻の穴に酸素を持ってくるものだ。カニューラが目立たないようできるから、外見を気にする人が使っているようだ。

僕は、特に外見を気にすることは無いのだが、補聴器のために必要かと思ったから買った。補聴器も軽度のうちは、耳の穴に入れてしまうタイプのものが使えるが、性能的には耳掛け型のほうが優れている。RICと言われる本体は耳に掛けて小さなスピーカーだけを耳の穴に入れるものが最近の流行だ。メガネとカニューラと補聴器の3つを耳に掛けるのは厳しい。だから、この酸素メガネを使って見ることにした。

メーカーは「さわやか眼鏡」などといった安直極まりないネーミングをしているが、いかにも老人っぽくて嫌だ。使いそうな人は、そう多くないから、デザインチョイスはほとんど無い。僕はもっとレンズが大きなタイプが好きなのだが、仕方がない。買ったフレームを眼鏡屋さんに持ち込んでレンズを付けてもらうことになる。眼鏡屋さんでは扱っていない。

普通のメガネより、パイプになっている分だけ硬いから、顔の形に合わせた調整など出来ない。耳が痛いのは慣れるしかない。使ってみて初めてわかる不具合もあった。鼻をかんだり、目薬を付けたりは、当然不便だ。近くを見るときの度は、しっかり高めておかないと、酸素チューブが付いているから、ちょっと外して近くを見るなどということは出来ない。一番困るのは風呂だろう。メガネを外したら酸素まで外れてしまう。温泉に行くときには、別にカニューラを一本用意しておく必要がある。

とはいえ、近くも見えることになったメガネはやはり快適ではある。公然使用は25日からになる。「サンタさんへ、よく見えるメガネが欲しいです。」と書いて壁に貼ってあるからだ。今年一年、僕がよい子だったかどうか、孫達のチェックがある。

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