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ゼロの焦点ーーアラ探ししているわけではないのだが [日常日記]

抗がん剤の投与が始まって身動きならない連れ合いにつきあって家で過ごすことが多い。つれづれに、DVDを借りてきて映画「ゼロの焦点」を見た。僕は元来推理劇と相性が悪い。ファンタジーなら荒唐無稽でもよい。だが推理物はなまじ論理的なストーリー展開を売りにするものだから、ついアラが見えてしまう。

新婚の夫が金沢に行ったまま行方不明になる。金沢支社に勤めていたのだが、本社に戻り見合い結婚した。金沢へは後始末に行ったのだ。夫を探しに金沢に行くが手掛かりがつかめない。金沢の下宿先は一年前に引き払っていた。手助けに来た義兄が殺され、一緒に探してくれた夫の同僚も殺されて謎が深まる。

実は夫は、立川で警察官をしていたことがあり、その時にアメリカ兵相手の二人の売春婦と知り合った。金沢赴任でこの二人と再会したのだ。一人は地元名士の社長夫人になっていた。もう一人は田舎で海女をしていた。結婚前の一年、夫は海女と同棲していた。社長夫人が自分の過去を知っている夫を殺したのだ。義兄や同僚は、夫を探しているうちに社長夫人の秘密を知ってしまったから、やはり殺された。

社長夫人は弟を一緒に住まわせていた。嫁入りに弟を連れてくるという変な設定だ。どうやら二人は戦災孤児らしい、だとすると大学まで出た才色兼備のキャラクターと矛盾する。原作にはなく、盛り上げのために勝手に入れ込んだ人物だとわかった。社長が妻をかばうために自分が犯人だと名乗り出て、警官の銃で自殺するのが終局だが、これもおかしい。赤いコートの女が捜査線上に上がっているのだから、こんなことで庇えるはずがない。これも原作にはない演出だった。

シーンを盛り上げるために、なりふり構わず場面を作ってしまう。少しは考えればいいものを。ちなみにこの映画は1961年に一度作られ、見たのは2009年二回目に作られたものだ。驚いたことに、原作から起こさず、1回目の映画をもとに、さらなる脚色で映画を作っている。だから辻褄の合わないところも引き継いでしまっている。なんといういい加減な脚本だろう。

では原作が万全かというと、そうではない。義兄や同僚の死が謎になるのは、彼らが何も情報を残さなかったからだ。普通、何か発見したら周りにしゃべる。だから、社長夫人が二人を殺して秘密を守ろうとする動機はおかしい。殺したってばれるに決まっている。そもそも、本社に戻って金沢から離れてしまう人物を、この期に及んで殺さねばならないという理由がない。話が混乱するのは夫が海女に偽名を使っていたからだが、なぜ偽名を使わねばならないのだろうか。

松本清聴のゼロの焦点は推理小説として評判の高いものだ。それでさえこうだから、横溝正史など読めたものではない。まあ、小説というのは何にしろ難しい。リアリティーを持った創作を作り出すのは至難の業なのだ。実は僕も小説めいたものを書いてみたことがある。近所に高層マンションが建つことになって、それを阻止した話だ。創作を交えてドラマチックな展開を考えてはみたが、結局、ありのままを書いただけに終わった。小説という形をとったのはペンネームで訴訟をさけるためだったにすぎない。

僕は小説の愛好家ではない。すぐにケチつけをしてしまうから、読んで感心したことがあまりない。ケチのつけようがなかったのは森鴎外くらいのものだ。鴎外の歴史ものは、丹念に調べあげて、資料を創作で補うもので、これは納得できる手法だ。創作部分も見事なもので、渋江抽斎では夫の危機を救うため裸で飛び出した妻を描いている。司馬遼太郎が「竜馬がゆく」で同じことを書いているが、もちろん鴎外をパクったものだ。全くの架空のことを、いかにも事実であるかのように仕上げるという意味では芥川龍之介が秀逸だ。こういった人たちの業は、映画脚本家ごときにまねのできるものではないということだろう。
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